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僕のレッスンを終えると師匠は買い物があるから車で送って行くよと言ってくれた。坂道を下がっていると、モデルさんのような美人の女性が歩いていた。僕は釘付けになった。師匠はモデルさんを見ながら言った....「Like a museum」
どれだけ見ても良いが触ってはいけない....
僕のピアノ修行ハンガリー珍道中1989No3
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40分くらい経ったのだろう、拳銃に弾丸を装填するような音がした。
驚いて、横になった体を捻って音の方を見た。
さっきとは違うCAが銀色のカートを押して後ろで何かをしていた。初めて国際線の飛行機に乗った僕は、機内での色々な儀式がまったく分かっていなかった。
CAは僕の2つ後ろの席の乗客にプラ
僕がハンガリー国立リスト音楽院のホールで演奏会が決まっていた時、緊張感でいっぱいな僕に言った師匠の言葉。
「どんなに間違えたって警察も誰も捕まえには来ない。だから堂々と弾きなさい」
もし、楽譜にPと書いてあったら、左手の伴奏をPPで弾き右手はm fで弾いてごらん。トータルでPになればいいんだよ。
伴奏の方が大抵は音符が多く、メロディーの方が音符は少ない事が多い。メロディーが響かないのはとても残念な事だから。
留学してすぐに言われた言葉。
師匠ジュラ・キシュの深い解釈とオクターヴテクニック
S173『詩的で宗教的な調べ』
葬送曲
ハンガリー留学中、リズムが強すぎるから優しく、翌週、優しく弾いていたら、リズムをもっと強く?
「僕は師匠に聞いてみた。仰っている事が逆なんですけど」すると師匠は笑いながら言いました。
「やり過ぎるから直しているんだよ、ピアノは全てバランスだからね....」
僕のピアノ修行ハンガリー珍道中1989No2
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ハンガリー国立リスト音楽院の試験は6月であった。
それを知らずに3月のこの時期に試験を受けようとした僕は無謀であったと言っていい。
リスト音楽院に留学していたフルートの先輩Kさんと何度もやり取りをした手紙の中に、第1次試験用の録音を送っても誰も聴いてくれないということが幾度となく書いてあった。
どちらにしても聴いてくれないのならこちらから赴くしか
次のレッスンまで練習すれば上手くいく!は幻想だと思います。
同じ事を繰り返す事も重要です。もし弾けない場所があったら、その日のうちに弾けるようにしたいものです。1小節、その半分でもいいのです。そこを練習するのです。決まった練習をやるだけでは足りないと思います。その日のうちに解決。
私の師匠ジュラ・キシュ
最高のシューベルトのライブ録音
全てのメロディーに神経が行き届いています。
プロフィール
Gyula Kiss(ジュラ・キシュ)ピアニスト
ハンガリー政府より、フランツ・リスト賞を授与された、ピアニスト・ジュラ・キシュは、1944年ハンガリー・ブダペスト生まれ。6歳からプロとして演奏活動に入った天才である。
ジュラ・キシュは1966年、ハンガリーのリスト・バルトークインターナショナルコンペテ
ピアニストH.GOTO
逗子開成高等学校在学中、ピアノを増田宏昭、安孫子和子の両氏に、音楽理論を安東裕躬氏に師事。1985年武蔵野音楽大学器楽科ピアノ専攻入学。在学中、ピアノを安孫子和子氏に師事。1988年4月川崎のサンメディアに於いて室内楽の演奏会を行う。1989年同大学を卒業。
1989年3月渡欧。同年9月ハンガリー国立リスト音楽院ピアノ科入学。在学中、ピアノをジュラ・キシュ、アッティラ・ネメティ、ペーター・ナージュ
僕のピアノ修行ハンガリー珍道中1989No1
※このころはまだインターネットSNSが全く無い時代で、連絡手段は手紙もしくは高額な国際電話のみでした。
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飛行機というものは全く落ち着かないものである。そもそもこのような大きな金属の塊が宙を浮いていることが僕には全く理解できない。
ソ連製の飛行機にはサービスというきめ細やかなものは存在しない。あったとしてもサービスとういものにたいして皆が記憶喪失にな