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こよみだより *きたかぜ このはをはらう*



二十四節気では小雪を迎えています。
二十四節気を3つにわけた七十二候では、今日、朔風払葉(きたかぜ このはをはらう)に入りました。


■二十四節気
 11月22日~12月6日 「小雪」(しょうせつ)
七十二候
 ・初候 11月22日~ 「虹蔵不見」(にじ かくれてみえず)
 ・次候 11月27日~ 「朔風払葉」(きたかぜ このはをはらう)
 ・末候 12月  2日~ 「橘  始  黄」(たちばな はじめてきばむ)

日にちは年により異なることがあります。


月の第一日を「日」(さくじつ / ついたち)というように、朔には「はじめ」という意味もあります。十二支の 一番はじめのの方角が 北を指すことから、やがて 北の方角を「朔」と呼ぶようになったのだそうです。
風に木の葉が舞い落ちる頃。
初雪のたよりも ちらほらと聞こえはじめ、枯れ景色に冬の深まりを感じる時季です。



一方でこの時季は、ふと訪れる春の日のような「小春日和」に、心までぽかぽかになることもありますね。

数日前のそんな日に、ちょっぴり すてきなことがありました。
午後3時頃だったでしょうか、お客さまをお見送りに職場の外に出てみると、玄関前の大きなけやきの木がいつにも増して美しい姿を見せてくれたのです。
心地よさを感じる程度の冷たい風は 梢を揺らし、乾いたさざなみのような、葉ずれの音を奏でます。その枝からたくさんの黄色い木の葉が、陽の光をうけてキラキラと揺れながら舞い落ちていました。

きれいですねぇ。
と足を止め、お互いに目を細めてその様子に見惚れた時間は、ほんの数秒だったかもしれません。それでもそれは、移ろう季節の美しさを、その場にいる人とともに感じることのできたた 大切なひとときだったように思います。

もう少しの間、そんな風景を愛でるチャンスはあるのでしょう。




~ 鎌倉『覚園寺かくおんじ』を訪ねて ~


またつい先日、やはりよく晴れた日に、私は鎌倉を訪ねました。
タイトルと次に添えているのは、その時に撮った『覚園寺かくおんじ』の写真。山門から入って撮影がゆるされている場所の風景です。






拝観受付から先は「祈りの空間」であることから、草木を含め、一切の撮影・写生が禁じられていました。

写真に撮れないぶん、目に 心に焼き付けなければなりません。
そう思うと、撮影禁止というのは良い効能があるものです。


苔むした地面。頭上を覆う大きな樹々。その合間から時折キラリとさす陽の光。
境内には、茅葺かやぶき屋根の「薬師堂」や、緑のつたう石窟「やぐら」など、5つの参拝ポイントがあり、どこに視線をむけても情趣がにじんでいます。

いにしえの空気が漂うようなその風景は、とても厳かで、幽玄で、それなりに人はたくさんいたにもかかわらず 、不思議と静寂を感じました。




ところで、『覚園寺かくおんじ』というと、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』をご覧の方は、”ドンピシャ!” と思われたかもしれません。
覚園寺はまさに、先週放送された第44話の内容とリンクする寺院です。
そしておそらく、今夜放送される45話では、なお深く繋がることでしょう。(わかりませんけれど…。下記の一部は、今夜の放送でどのように描かれるのか楽しみにしたいと思います…。)

歴史書「吾妻鑑あづまかがみ」によると、
北条義時は、建保6年(1218年)に、夢の中で白い犬(十二神将じゅうにしんしょうの中の 戌神じゅつしん。=十二支と結び付けて信仰される守護神。)から、「今年の将軍の参拝は無事だったが、年明けに参拝がある時は、そなたは供奉ぐぶしない(お供の行列に加わらない)ほうが良い」とお告げを受けたそうです。
そのお告げをきいた義時は、自身の安全を願い、私財をなげうって、大倉薬師堂おおくらやくしどうを建立しました。
覚園寺は、それを前身とする寺院なのだそう。

義時が薬師堂を建立した翌年に、源実朝は右大臣拝賀の式で 公暁くぎょう(甥)の襲撃にあい、討ち取られてしまいます。でも御剣ぎょけんの役で その拝賀に同行した義時は、”白い犬”のお告げにより難を逃れることができました。そしてますます 、十二支の中のいぬを意味する戌神じゅつしんを、あつく敬ったのだといいます。

当時の義時の薬師寺堂はその後 焼失してしまいますが、室町時代になり足利尊氏が再建したという現在の薬師堂と尊像には、義時の祈りが息づいているのでしょう。
その薬師堂に足を踏み入れた瞬間に、私は息をのみました。

正面中央には本尊 薬師如来、左右には願いを昼夜うけとめるため日光菩薩と月光菩薩がまつられ、そしてさらに、守護神として 戌神じゅつしんを含む十二神将がまつられています。
それぞれの頭上に十二支の動物があらわされている十二神将の姿はどれもとても勇ましく、最強のガードマン集団のよう。個性豊かな立ち姿ポーズや表情は、これが鎌倉武士の雄姿かと思わせるような剛勇さを感じます。
その眼光は、とても鋭く強い光を放ちながらも、吸い込まれそうなほど澄んでいました。どこか慈悲深さを思わせるところに なお魅了された私です。



山々に囲まれた覚園寺は、鎌倉武士の息吹を感じるような、それでいて心が鎮まるような、奥深い空間でした。

またいつか、再訪したいと思っています。
できればまた、木の葉が舞うこの時季に。








実は、私の今回の鎌倉行きのお目当ては覚園寺にあらず。別の場所だったのですけれど、そこから少し足を伸ばした先の覚園寺がこんなにすてきで、行って良かったとしみじみ思っています。
旅行は なかなか叶いませんが、小春日和の平日休暇がうれしくて。スニーカーを履いて、電車に揺られて、気持ちの良い一日でした。

お目当てだった場所については長くなりますので、またいつか。


最後に、初代鎌倉殿・源頼朝のお墓と、散策の途中で目に入りランチをいただいた発酵食café「おりぜ」さんの写真を添えておしまいにいたします。



源頼朝墓みなもとよりとものはか


源頼朝は、自身の持仏堂だった『法華堂』に葬られたそう。
この塔がある丘の上 一体が、その法華堂跡だと推定されているそうです。
塔は、安永8年(1779年)に島津藩主・島津重豪しげひでが整備したものとされています。




café



ルビー色がきれいな 赤しそのドリンク。


お水はセルフサービスで。


うつわも素敵なカレーライスセット。


うれしいデザートつきで、おなかいっぱい!








覚園寺で頂いた資料入りの封筒



最後までご覧くださいまして、ありがとうございました。


これから日に日に寒くなってゆくのでしょう。
どうぞご自愛ください。








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