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#みんなの文化(曳航の足あと)No.5

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みんなの文化(曳航の足あと)、No.5です。 だいたい、500枚~1000枚で次号へ向かいます。 あなたの曳航を残して。 表紙イラストレーター アッサラーム智子さん
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太陽の境界で出会って 3

太陽の境界で出会って 3

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 ――いつから、そうだったのか、ぼくたちには知りようがなかった。

 気がついたら、それこそ呼吸をするのと同じくらいには、当然のようにぼくらのそばには、眠りがあった。

 そして、それは一度来ると大きな津波のようにぼくらをさらってゆく。夢の彼岸に向かって、一呼吸ずつ、あっぷ、あっぷ、と、流されてゆく。

 夢の中で誰かと話し、どこかへと、向かっていたように思ったが、起きると、忘

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すごいライブやったわ。感動の場面は胸にしまって、かわいいひとコマを。3人とも緊張してたね。
たぶんこれが今年最後のHump Backイラスト。怒られなければ来年も描きます! #HumpBack #ACHATTER #日本武道館 #右手

「寒い時期です」

「寒い時期です」

この姿を見ると、冬が近いなと思う。

我が家の下足番である。

どうしてこんなところに・・・という場所に鼻や足を突っ込み暖を取るのか。

「写真はしばしば重要な瞬間を切り取るものとして扱われるが、本当は終わることのない世界の小さな断片と思い出だ」
とは、伝説の写真家ソール・ライターの言葉だが、この写真はまさに、毎年のように繰り返される終わることのない世界の断片と思い出だ。

というのは言い過ぎかな

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私の転職経験 涙の時代 2

私の転職経験 涙の時代 2

話が戻りますが、息子が小学校1年生になって、辺境へ引っ越ました。
まず1年は慣れる(馴)と考えて
トライしたこと
1. 小学校のPTA役員(3クラス全員集まるパーティーを開催、お父さんお母さんそして子供たち。20人以上集まって楽しい会でした。)
2. ガーデニング、デザイナーをお願いして中庭と主庭をつくっていただきました。子供用に遊具を、パーゴラ、白樺と理想の庭をつくり、きれいな花も咲きました。

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ハーゲンダッツ ザッハトルテ

ハーゲンダッツ ザッハトルテ

noteでつながる、素敵な物美味しいもの。

ときめく✨と真似したくなる、今日この頃。
西島さまが食べてらしたのがとってもおいしそうだったので。

それにしてもすごいです。
ザッハトルテが好きで本場からお取り寄せしたってエピソードは驚いたとともに。。。本場の味・・・どんなだろ?と興味津々・・・

っと・・・ハーゲンダッツのザッハトルテ。

アイスですね。アプリコットソースがめっちゃ甘酸っぱい。

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去るものと来るものと

去るものと来るものと

アウトプットしたい事柄がたくさんあるのに、追いついていません。

父が永眠しました。去年の母につづいて。

父が亡くなる2日前、姉と義兄と4人で母のお墓参りをしたばかりでした。足腰が弱くなってはいるものの、食欲旺盛で頭はまだまだしっかりしていたので、あと数年は元気でいてくれるだろうと思っていました。

姪のお腹に宿る小さな命の誕生を、とてもたのしみにしていた父。まわりの誰もが、ひ孫を抱いて喜んでい

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伝統と新しさのモンブラン〜帝国ホテル〜

伝統と新しさのモンブラン〜帝国ホテル〜

何度も気になって、何度も食べなかったスイーツがある。

SNSで見つけて「おっ」と思い、スクロールの手を止める。
そして「後で確認しとこ」と少しだけ意識して、結局食べないスイーツなら数えきれない程ある。

その中で実際に行こうかなと思って、いつ行くかを具体的に決めたり、お店に向かってみたり、そういう行動を起こすものとなるとかなり限られる。

それでも、食べるうちの全てではない。
そのお店がある駅に

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なつめれいなの演芸コラム~2代目林家三平師匠

なつめれいなの演芸コラム~2代目林家三平師匠

こんばんは。
LGBTQライターのなつめれいなです。

今回は夜の更新になってしまいました。

本日は、笑点の出演者『2代目林家三平』師匠へのエールです。

笑いのポイント『笑点』私が好きな番組に『笑点』があります。今年11月21日に没後10年を迎えた、七代目立川談志師匠が1966年(昭和41年)に作った番組としておなじみですね。

現在の笑点メンバー

2016年に桂歌丸師匠が司会を勇退(現在は

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ビジネススタイル

ビジネススタイル

音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです。

なんとなくテンションの上がる曲って
あるじゃない?

今は仲間と回るけど
最初は仕事を取って外注に振っていた
途中から自分で回り始めて

最初の頃はわけもわからず
独りで回り首都高に乗る時に
稲葉浩二の羽を流すことが多かった

確か10月か11月頃だった
春に向けての歌だけど

仕事も夕方からが多くて
早くなった夕焼けを眺めながら

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