16ビートはやお
自分の人生を振り返って大切なものを考えたり考えなかったりするブログです。
母との思い出の話です。 癌で闘病していた母が自宅で倒れ、旅立つまでの五ヶ月間のお話です。僕の母が生きてきた証として書き残しています。
危険なヤツらの危険なエピソード
SUPER COOLバンド、ZOOZのあれやこれやを綴ります。
人生って何なんでしょうねぇ。分からないけど考えることは楽しかったりしますよねぇ。
[1]胡蝶の夢 眠りが浅かったのか、夢を見ました。夢の中で、母が隣で眠っていました。何度も何度も見た、口を半開きにして気持ちよさそうに寝息を立てる母でした。きっと焼酎でも飲んで強引に寝ているいつもの母なのでしょう。 僕は夢の中で、飛び上がるほど喜んでいました。「母だ!いつもの母だ!!」と小躍りしていました。しかし少しするとサラサラと砂がこぼれ落ちるように母が消えてなくなってしまいました。「やっぱり母は居なかったんだ」 目が覚めると、サカスプ終わりに入ったネカフェの個室が
【↓前回:その①】 癌の闘病中に自宅で倒れた母。そのまま病院へ運ばれ、脳の放射線治療を経て寝たきりとなり、余命半年を宣告されました。 倒れる前まで普通にやりとりしていた母は、病院で面会した時にはもう起き上がることも、ほとんど話すこともできませんでした。そんな面会後から話は続きます。 [5]ミートソーススパゲティ 面会が終わり自宅に帰ってから一人、病室での出来事を反芻していました。この数週間で運命が大きく変わりつつある母、変わらない自宅、気持ちが行ったり来たりしている
[1] アルカラとこんなに対バンできる人生になると思っていませんでした。学生の頃『キャッチーを科学する』を見て「あぁこうはなれないかっこよすぎるうますぎるどうしよう」となっていた自分を思い出します。 月日は流れて令和になって、諦めずに(といっても惰性もあるし時に本気だったりするけど)ライブをし続けていたらこんな素敵な未来が待っていました。 ずっとずっと、人生ってなんだろう?満たされるってなんだろう?幸せってなんだろう?と考え続けているのですが、見栄や権力やお金や色欲は
2024年4月5日、59歳で母が亡くなりました。 普段連絡を取らない兄から数年ぶりに着信があり、仕事終わりファミレスに呼び出された僕は、そこで母の肺と胃に癌が見つかったこと、そして現在の病状を知らされました。兄は額に手を当てて涙を流していました。それは2022年秋の話でした。 母の病状を知っても、僕はまさか母が亡くなるなんてこれっぽっちも考えていませんでした。闘病はしているものの、のんびり暮らし続ける母の姿に少し安心感を覚えていたのですが、癌発見の一年後、2023年1
[1]小学生 朝。通勤途中の小雨降る街を歩いていると、マンションから乳母車を押しながら誰かのお母さんが出てきた。その後を追ってランドセルを背負った男の子が小走りで傘をさしながらお母さんを追いかけて元気よく出てきたけれど、何かにつまづいて僕の前で派手に転んだ。 途端に大泣きし始めたので、お母さんは慌てて乳母車から手を離し、男の子の擦りむいた膝や、濡れた服をハンカチで拭き始めた。 僕は思わず歩道の真ん中に置かれたままの乳母車を安全な場所まで動かしていた。近くにいた見知らぬお
[1]愚かさは自分の中に 真の意味で見返りを求めず与え続けよう。そう思って生きていても、自分も含めてほとんどの人間は愚かだなと思う。 「見返りを求めない」と言っているくせに、どこかで見返りを求めている。「ここまでやったからこのくらいは返ってくるだろう」とか、「こんなに与え続けているんだから、このくらいの反応は欲しいよね」とか、与えているふりをして、その実は何か返ってくると思っている。 物質的な見返りでなくても、「ありがとう」という言葉であるとか、笑顔であるとか、自分の行
[1]疲労の原因 「自分の正しいと思うもの以外は全て間違い!と考える人が多いのか、そういう人の声が大きいだけなのか、はたまた両方なのかは分からないけれど、ここ数日の疲れの原因のほとんどはこの不寛容にある。 「全て間違い」とまではいかないまでも、自分の正しいと思う事柄の順位が絶対に変わらない人は多い。そういった人たちの自尊心を撫でながら過ごしているので、自分の疲れが溜まってしまうのは無理がない。 「あらゆる価値観が認められる」という多様性の時代のわりには、自分ばかり主張し
[1]インスタントな関係 SNSも、曲も、絵も、話も、人工甘味料のような、口に入るとすぐ刺激的な味のするものばかりが溢れてしまった。インパクトが大きな刺激と分かりやすい味と、テンプレートな感動や絶望を与えて、なんでもパッケージにして人の感情を動かそうとしてしまう。勿論消費もとても早いし、薄い。 SNSに至っては、好きも嫌いも数値化されて、ポジティブもネガティブも直接的に本人に届いたりする。 そんな世の中だから、あらゆる人とすぐに繋がることができる反面、繋がる人の母数も圧
[1]自分のことばかり考えている 「機嫌の悪い自分を相手に見せて不快な思いをさせたくない」という気持ちばかりが先行して、自分はあまり不機嫌になれない。たまにコントロールできないこともあるけれど、なるべくそうならないように不機嫌を避けている。 仲良くなればなるほど相手と自分の「機嫌」が折々に触れて気になってくる。「親しき仲にも礼儀あり」と言い換えてもいいかもしれない。親しい人同士だからこそ、ずっと楽しい関係でいたいし、そうである努力は不断に続けるべきだと思う。 一方で不
[1]数字の化け物 承認欲求の化け物達が目に余る。SNSでも、実生活でも、自分の価値を認められたい、大きくなりたいと、しきりに小手先の技術を駆使する人が視界に入る。 そういう人は、何か他人と比べられる数字やステータスが何より大事で、自分を大きく見せようと必死で、色々な人に対して比較したり、近づいたり、切り捨てたりする。 「自分の価値を認められたい」という承認欲求を満たすためには、本当は、自分自身が努力するしか正しく解消する道はない。それなのに、多くの人は近道をしようとし
[1]思慮の敗北 「思いやり」を勘違いしないようにどれだけ注意していても、間違ってしまうときがある。「思いやり」と称していても、「相手にこうしてほしい」という自己満足や価値観を押し付けてしまっていることが往々にしてある。 相手のためを思っている言葉や行動が、裏を返して自分の欲求を満たそうとしているだけだったりする。まるで自分が、相手の思考や行動を分かっているかのような、正しい方に導いてあげているかのような、知らないうちに相手を見誤って、上から接する「思いやり」から発生する
4月のガストバーナーはライブ月間でした。 思い出大好き振り返りのコーナーです。 社会人に与えられる休日の約半分をライブに注ぎ込みましたが、本当にライブって楽しい。ずるい。 ライブそのものも楽しいですが、その周囲、バンドメンバーと過ごす時間、バンド仲間と久しぶりに会ってわいわいしたり、ライブを楽しんでくれているお客さんの嬉しそうな顔を見たり、なんだか予定を作ってみんなでその日を一生懸命楽しむ姿や、頑張っている様子全てが愛おしく感じていました。 [1]4/7 扇町para
[1]塞がらない 穴が空いたまま生きる。最近の身内の不幸で心に大きな穴が空いてしまった。夢にだって平気で出てくるし、あの曲がり角を曲がったらひょっこり出てくるんじゃないかとか、日が経つにつれ、人生で最大のショックを受けたあの日はフィクションだったんじゃないかと思ってしまう。 けれど、どれだけフィクションだと思っても現実は現実で会えないし、夢で会えるのは嬉しいけれどそれはやっぱり夢だったりする。残ったのは心にぽっかり空いた大きな穴だけだった。 この心の穴は、あの時ああして
[1]ぬいぐるみだけが理解してくれる ぬいぐるみだけが理解してくれる。自分自身が幼少期の頃、何かストレスや悩みがあるとよくぬいぐるみに相談していた。ぬいぐるみは僕のことを完全に理解してくれ、いつだって肯定したり、励ましたり、心の状態を完璧に察知した言葉をかけてくれていた。ぬいぐるみに「今日はちょっと話を聞く気になれない」と言われたことがない。 いつも話を聞いてくれるぬいぐるみは、自分のことを完全に理解してくれているもう一人の自分自身に他ならなかった。解決できない何かを、本
[1]変わる街 今年に入ってから「思い出の場所」を歩くことがかなり多くあった。小学生の頃遊んだ公園や、もう潰れてしまった駄菓子屋、当時住んでいたマンション、デイサービスに変わったコンビニ、表札の変わっている友達の家、通っていた高校、様々な街をくぐり歩く機会がずっとあった。 最初は「あぁ、懐かしい!あそこは変わってないなぁ」「あの時、怒られたっけなぁ」と懐かしさに耽りながら当時の思い出を手繰っていたのだけど、数ヶ月何度も往復するうちに、少しずつ自分の変化に気づいてきた。
[1]異なる脳 人間同士の齟齬。相手にどれだけ丁寧に伝えているつもりでも、言葉を尽くしているつもりでも、相手に歪みなく伝わっていない場合、意図していない伝わり方をしていた場合、それは誰の何が欠けてしまった結果なのだろうか。 人間は弱いのでできるだけ「言葉を尽くした自分は間違っていない」と思いたいし、大切にしている人ほどより「伝わっていて欲しい」という気持ちが強くなって、「そんなつもりで言ったんじゃないよ!!!」と相手に責任を押し付けてしまいがちになったりする。相手を大切に