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ドラマのような先生

          

「私はぁー、100%のうち70%しか力をださない者よりも、70%の能力を持った者がぎりぎりその能力をだしきる者のほうが偉いと思う!」


 
私がまだ小学生気分が抜けきらない中学の入学式のあとのことだった。私たちのクラスの担任になられた松岡先生の第一声だった。

最初聞いたときはなんとなくわからなかったが、後々、私自身をかえりみて先生の話がわかるようになり、要は何事にも全力をだせ、ということだろうと思った。そして、自分からみてほかの人たちも、結果をだせていないからといって、努力していないわけじゃない。がんばっていないわけじゃない。なかには70%だしてがんばっている人もいるのだと、いままでの思い込みが晴れて、少しづつ他人に対しても寛容になれてきたような気がする。

まだ二十代。英語を教え、頭はスポーツ刈りで、背はさほど高くはなかった。快活な声は教室の黒板に響いて、笑うと銀歯数本がきらりと光るのがみえた。
 
松岡先生は、私の通った中学校に赴任してくるまで、教室に十五名ほどの素朴な少年たちが集う学校にいたと後に聞いた。松岡先生にとっても私の母校が初の担任であり、希望と情熱に燃えたつ姿が今も私の心に焼きついている。
 
今思うと松岡先生はかなり型破りだった。教師ドラマといえば『金八先生』などの熱血教師ものをテレビでやっていたが、松岡先生はまさしく熱血教師そのものだった。

学校の規則に反した生徒は男女とわずに教壇に立たせ、頬に平手打ちをくらわすのだ。今だと体罰教師として世間から手ひどい批判をされるだろう。平手打ちをやられた生徒の中には不満な者もいただろうけれど、私にはかえって清々しい痛さに感じられた。

なにを隠そう、平手打ちをやられる生徒の中にはたいてい私が入っていたのだ。その後、さすがに平手打ちに関して問題とされたのか、平手打ちではなく頬をつねるものに変更された。

松岡先生のデート現場を発見して友達と一緒になってはやしたてたり、先生の家に遊びに行ったこともある。先生の部屋には、スキーをしている十歳くらいの少年の写真が小さな写真立てに収まっていた。幼くして亡くなった兄の写真だという。いつもは豪放磊落な先生もこのときばかりは言葉少なく、眉間に皺を寄せ、哀しげにうつむく姿が印象的だった。 

私が中学二年生になると、松岡先生は三年生の担任になり、先生に会うことが少なくなった。そんなある日のこと、なにかの用事で職員室に行ったときだ。松岡先生が渋い顔をして、電話の受話器を置いたところだった。

そして、教師生活うん十年かと思われるある男性教師が、

「松岡先生。あまり深入りしないほうがいいですよ」と、

松岡先生に声をかけた。松岡先生はその言葉には耳をかさずに、またどこかへ電話している。二人の会話をさりげなく聞いていると、どうやら問題ばかりおこす生徒の家に電話しているようだった。そのあとで何人かの友達に聞きまわってみると、どうやらある生徒がほとんど学校に登校しなくなり、松岡先生がその生徒を再び登校させようと一人奮闘しているということがあとでわかった。
 
松岡先生に対する私たち生徒の思いはさまざまだった。松岡先生を快く思わない人もいたかもしれない。それは生徒だけでなく、教師のあいだでも同じであったろう。松岡先生はその当時においても、時代遅れな教え方だったかもしれない。平手打ちの件にしても体罰教師だとして世間から非難されるだろう。

しかし、松岡先生の平手打ちは温かいものだった。体罰が悪くて生徒の心を傷つける言葉を投げつけるのはいいのか? と思うこともあった。
 
ニュースで少年たちがおこす事件をみるたびに、私は松岡先生を思い出す。今もあの頃のように生徒思いな先生だろうか? それとも誰もがそうであるように、挫折し、いつしか情熱を失い、惰性的な仕事に埋没していくだけの教師になっているだろうか? と。

否!私は信じています。あなたの熱い情熱を、生徒に対する真心を。私がくじけそうになるときは、あなたの言葉を握りしめ、心の中でつぶやくのです。「七十%だしきってがんばろう!」と。


        
               (了)





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