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現代のホラー『地雷を抱いて眠る男』ショートショート

   
ぶんぶんと音がする。まわりをみわたすと、部屋の中を蚊のやつがひょいひょいと飛んでいた。私は蚊をみるたびに、昨年、32歳で亡くなった青谷の事をふと思いだすのだ。
 
青谷は私と同期で、広告代理店での同僚だった。おたがいに新入社員として入社し、おなじ事務の仕事をしている関係で、一緒によく飲んだものだった。青谷はまえからどちらかというと潔癖症で、洋式トイレではテッシュでふいてからすわると青谷は話していた。
 
青谷は酒が入ると、子供時代のことをよく話していた。
青谷の母のしつけは厳しく、母親のいうことをきかないとホウキで叩かれることもあったそうだ。青谷が中学生の頃には、両親ともに不倫をして離婚をしたらしい。
離婚間際には、無理心中に巻き込まれそうになったこともあったらしい。
 
そんな青谷は、学生時代までは友達もいなくて、いつもひとりで過ごしていたという。
そうした青谷は、社会人になってからは、感情を爆発させるようになっていた。相手が上司であれ、なにかあるとすぐにキレて、食ってかかるのだ。
 
私となにかを話していても、私にはわからない地雷があるようで、すぐにキレて怒りを爆発させる青谷に、
 
「おまえは地雷みたいな男だな。どこでなぜキレるかわからないやつだ」
と言ったことがあった。そのさい、青谷は私に、
 
「俺は地雷そのものじゃない。ほんとうの地雷だって、攻め込む兵器じゃなくて、陣地を防御するためのものだろ。たしかに俺は、いつのまにかあちこちに地雷を埋めるようになってしまったのかもしれない。そうだとしても、地雷の製造者は俺の母だよ」
 
と、濁った油のような目をして、そうつぶやくように話していた。
 
 
青谷が変だと思いはじめたのは、三年前、青谷と居酒屋で飲んでいたときの事だ。
 
「蚊って怖いな。仕事で海外に行っていた俺の数少ない友人が、マラリアに感染してこのあいだ亡くなってなあ……」
 
酔客たちの喧噪の中、青谷がぼそっと話しかけてきた。よくみると青谷の手がこまかく震えている。飲みにいくまえからどうも口数が少ないと思っていたが……。 
 
私は青谷におさだまりのお悔みの言葉を口にした。しばらく青谷は黙ったままだったが、突然体をビクッと震わせ、
 
「この店には蚊はいないよな?」
 
青谷はまわりをみまわし、落ち着かないようすをみせてそう言った。
 
「マラリアなんて日本には縁がないよ」
 
「おまえは蚊が怖くないのか?」
 
「怖くなんかないよ。青谷、おまえは少し疲れているんだよ」
 
青谷はなだめる私の言葉を聞こうともしなかった。そのまま青谷の話をとりあわないでいると、青谷は突然立ち上がり、
 
「おまえは何もわかっちゃいない!」とわめき、テーブルを握りしめた拳で叩きつけると、そのまま勝手に帰ってしまった。
 

その後も青谷は蚊に対する恐怖感をしだいにつのらせていき、仕事中も蚊、もしくは蚊らしき虫をみつけると叩きつけて殺すまで追いまわすようになった。
 
もう、仕事どころではない。しまいには課長の頭に蚊が止まるやいなや、机にあった書類を丸め、課長の頭めがけて「パーン!」とやった。
 
私は事情を課長に話してとりなしをしたが、青谷は翌日から出勤しなくなった。私は心配と興味半分で青谷の自宅を訪ねる事にした。
 
 
自宅のドアをあけた青谷の顔は思ったよりも元気そうだった。しかし、鼻につんとくる殺虫剤の匂いが息苦しいほどに充満していて、私は思わず鼻をおさえた。
 
「ああ、匂うか? 蚊除けに家じゅう殺虫剤を撒いたんだ。しかし、よいところに来てくれたな。俺は蚊のいる季節は外に出られないからなにか食い物を買ってきてくれよ」
 
青谷は私にあたりまえのような口調で言った。そのときだ。ドアのすきまから入ってきた蚊が青谷の肌に止まり、青谷が慌てふためき転ぶ間に、青谷の血を吸う蚊を私はスローモーションをみているように観察していた。青谷は口から泡を吹き、体をミミズのように痙攣させると、自分の胸をかきむしりながらやがて動かなくなった。
私はなんども青谷の名前を叫び、体を揺り動かしたが、再び、目をあけることはなかった。
 
後にショックによる心筋梗塞だったと知らされたが、青谷の血をすすった蚊のやつが重々しく飛び立ち、私の腕に着地したさい、私はその蚊を手のひらで叩きつぶすと、蚊の腹部から赤黒い血が飛び散った。自らが埋めていた地雷を踏み、自爆してしまった青谷の姿のようだと思った。
 
私は救急車を呼んだあと、青白い顔で倒れている青谷を呆然とみつめていると、青谷がときおりこぼしていた愚痴が、どこからか聞こえてくるような気がした。
 
「取引先のやつらや、課長の顔が時々、蚊のようにみえてくるんだよな。やつらは寄ってたかって俺の生き血を吸って吸って吸いつくしてしまう生き物だよ。ほんと、疲れるぜ……」 
 
            (了)

※トップ画像は「LEGNA」さんの作品です。ありがとうございます。

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