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わちゃフェス二日間ありがとうございました!!!!!!!!

はじめまして。けいです。
僕は音声配信アプリ【Wacha】で活動する25歳のライバーです。

存じ上げないですよね。問題ございません。
これまでの記事では細かく僕自身を”配信者として”紹介していましたが今回は割愛。下記マガジンにまとめさせていただきます。
(※たった4記事だけ。寝る前のお供にでも。)

今回は人生初めてであり、Wacha史上初でもあろう大規模イベント
【わちゃフェス】開催を経て
改めて僕自身の配信に向き合う気持ちを振り返って綴ってみます。

〇わちゃフェス総評

【わちゃフェスとは】
◯2024.5.11・12の二日間開催。
◯アプリ内で活躍する配信者たちに2~4人チームを事前に組んでいただく。
〇一か月前から参加チームの募集を開始。
〇タイムテーブルを組み、1チーム15分で僕の配信枠内でパフォーマンスを行っていただきました。
〇僕は主催・MCとして全ての運営/進行部分を一人で務めました。
〇総勢33名の配信者にご出演いただきました。
〇【IRIAM】など他プラットフォームからユーザーをリスナーとして8名招待
〇池袋で過ごす飲み友達を5名リスナーとして招待。
◯最大同時接続数63名・二日間の総リスナー数100名越え達成。
◯コメント数3時間で3490達成。(二日目はアプリ内バグにより記録なし。)

初日のアーカイブ(最終日ちゃぽん🥺)

全てご参加いただいた皆さんのおかげです。
本当にありがとうございました。
ユーザーひとりの発言がここまで皆さんに支援され、形に出来たのは、Wachaの民度の良さと皆さんの優しさのおかげだと痛感しています。
そして何より皆さんのパフォーマンスあってこそです。

「慕ってくれた方には恩を
配信者にはリスペクトを。」


僕が常日頃掲げるモットーを具現化できた貴重な二日間でした。

MCのラピちゃん、目黒。
そしてOPアクトの無黒、告知動画制作の逢瀬さんにも大感謝。

いやぁ、みんなすげ。笑
改めて尊敬です。

皆さん二日間本当にありがとうございました!
とっても楽しい思い出と記録をつくれました!

第二回は7月開催予定
「夏フェス」さながら、今よりも大規模な人数で開催したい!
告知はお楽しみに!

____ここからは僕のお話になります。
本当に伝えたい感謝はここまでですので、お暇な方だけ読んでください____

僕がなぜ「ここまで頑張るのか」。
異様さすら感じている方もいるかと思います。
実際、「色々頑張りすぎじゃないか?」と心配される声もチラホラ。
ハッキリ言って、Wachaだから頑張っているというわけではありません。
そこで、皆さんに僕の過去の話をお伝えしたいと思います。

ここから先に記載する内容には
イベラスに来てくれた方だけに話している過去のエピソードも含まれています。
むしろ例のイベラスに来てくださった方は途中まで同じ内容の重複になることを前提で読んでいただければ幸いです。

①【配信】に出会う前の僕

【配信】に出会う前の僕はとにかくちゃらんぽらんでした。
学生時代も社会人になっても、高嶺の花の女子に鼻の下を伸ばすか、知り合った女性と体を重ねて喜びを覚えるか、ジョッキ片手に叫ぶかの三択だけで過ごしてきました。

僕の転機は20歳の頃。
「逆行性健忘」および「前向性健忘」と呼ばれる病気を患いました。
総称して「解離性健忘」。

このことは学生時代の友人ですら、片手に収まる数名にしか明かしていません。いまだに両親と当時付き合っていた恋人しか全貌は把握していません。

診断書


まず起こったのは、約数年間の過去の記憶が曖昧なものとなりました。

全てを忘れてはいないのも厄介で、一部の友人や恋人との思い出・仕事や遊びの内容が曖昧になり、写真フォルダを開いても「これ..なんだっけ?」とモヤモヤする内容が多発。

自分の失った曖昧さを自分で否定するために無理やり抗い、虚言癖になってしまいました。

それから次いで出た症状が「前向性健忘」。
「一日の記憶の一部が翌朝リセットされる」症状。
ドラマや映画ではよく「翌朝になると記憶が全部なくなってる」描写で描かれます。僕はそこまで重症ではなく、失う記憶は一部に限られていました。

とはいえ、貴重な社会人一年目にクリティカルな障害を連続で受け、絶望の淵に落とされました。
治療とメンタルケアを重ね、今は回復し障害者手帳も持っていませんが、数年前までは地獄のような日々を過ごしていました。

自分の彼女が誰だか分からない・今日出勤する会社がどこだか分からない・親戚の名前が思い出せない
など、孤独感と不安は多大なるものでした。

そんな状態でも僕が鬱病にならず前を向けていたのは
全て友人たちのおかげでした。

仕事に行くのが億劫になった僕を知った高校時代の親友は、毎晩のように家まで飯を届けにきてくれました。当時病気のことは彼だけが知っていたにも関わらず、よく友人を招いて家で遊んでくれました。
彼は未だに病気のことを周りに黙ってくれています。

地元のハロウィンパーティーで知り合ってから病気のことを明かしてないにも関わらず、当時嘘つきな僕を分かっていながらも慕ってくれた親友"たい焼き屋さん"もその1人です。

初対面のたい焼き屋さん

友人との他愛ない会話や飲みの席が、僕は最高に幸せでした。
(「病気を公表したくない」という気持ちはありませんでした。ただ「公表しなくてもよい」関係で居てくれた存在です。

僕は失った記憶や、いずれ失うかもしれない記憶があったからこそ
「記憶」に頼らず「記録」に残すことを心がけていました。
友人と写真を撮ることもそのひとつです。

そんな最中、ようやく出会えたのが「配信」でした。
これは本当に奇跡です。
実はWachaと出会って"配信を始めた"のは2024年の2月ですが
配信の存在自体を初めて"教えてくれた"のは
僕の親友である"たい焼き屋さん"でした。
彼はホロライブが好きで、僕によくオススメを教えてくれていました。

配信という媒体を通して
自分の「記録」を世の中に残し
自分自身を発信して
誰かの「記憶」に残す。


僕がずっと病で悩んでいたからこそ輝いて見えました。
自分が生きた証を生きながらに自己表現できる場所が「配信」です。
Wachaで思い出をイラストに残したり、アーカイブをXに挙げたり。
仲間を巻き込んだ企画を中心にしているのもここに理由があります。
僕が何かを忘れても、誰かに僕が残り続けることができます。
(もう治ったから忘れることはないですが。)

ここまでのエピソードを通して抱いた気持ちをWachaライバーの友人である
空木結桧さん/市月天内さんにオリソンにしていただきました。
(イベラス以降、初公開です。)

タイトルは【memoly lifetime】=【記憶 生涯】

逆さにすると【lifetime memoly】=【一生の思い出】

【記憶障害】で【一生の思い出】にはならなくても
みんなの【記憶に生涯】残っていられる存在になりたい。

そんな想いを込めました。

【歌詞】
夕焼け照らす部屋
目を覚まして 不意に手を伸ばした
スマートフォンの写真
見覚えのない彼女(ひと) 並んでいる写真

知らない 覚えていない?
[彼女だよ]なんて言われても
呆れられても 分からないんだ
影に俯いたまま
目を覚ました "怪物"
記憶 さらわれて心をすり減らしてく
なんで 嫌だ 辛い 怖い
僕の居場所はどこにあるんだろう

うごめく影が
広がり続けて心埋め尽くす
記憶を喰らう音
気づけば欠けている あったはずの時間

どこにある "もう"戻らない?
見つからない なんて言っても
すり減ってんだ 耐えられないよ
夜に沈んでいく

逃げきれない "怪物"
いつか さらわれてしまうくらいなら
僕が そこに 在りさえ すれば
誰かの記憶に残れるんだろうか

暗い部屋に
差し込む黎明の光
恐怖 振り解きたくて 手を のばした
掴んでくれた 声が聞こえる
「一緒に 笑って 逃げきってみようよ」

名も知らない 君
僕を押して走り出した
こんなに 楽しいんだと
思えるなんて
全部 届け 僕という記憶
君が覚えていてくれるなら
最後まで 笑っていよう

病を持っていることを話すと距離を取られることもありますが
僕はむしろ「隠していても差し支えない状態」こそが病を持つ人間にとってベストだと感じています。(持病アピールしたがる人もいますが。)
配信ならバレないし、当たり前だけどみんなと同じ条件で立っていられます。それも配信を好きになった要因のひとつです。

②【Wacha】と出会う前の僕

じゃあもうWachaの話をしろよ。
と思われそうですが、実は社会人になってから大きな動きが2つありました。

①池袋を拠点とした飲みサークルの主催
②恩師と共に走ったクレープキッチンカー

この記事では詳しい内容を割愛しますが
僕にとって大きい原動力となった出来事の2つです。

①池袋を拠点とした飲みサークルの主催

こちらは、東京で出会った友人と、"たい焼き屋さん"と
3人で立ち上げた【池袋を拠点とした20代限定の飲みサークル】です。
2年間企画を開催し、メンバーは総勢160名オーバー。
毎週誰かと仲良くなれる最強の飲みサークルを20代前半で築き上げました。

この経験を通して学んだことは2つ。
人が集まることの影響力」
「人と繋がることの素晴らしさ」

②恩師と共に走ったクレープキッチンカー
僕がいまだに尊敬している恩師の誘いで、クレープのキッチンカー経営に携わらせていただきました。
今は転職によりボランティアとして参画していますが
キッチンカーの装飾を丸々担当させてもらったことや、クレープの施策、資金繰りやマネジメントを学べたのは大きな成果です。

この経験を通して学んだことは2つ。
「人に体験やものを提供する価値」
「主体性を持つ重要性」

余談にはなりますが同時期に「一回目の事業大破産」「長年の恋愛終幕」「セフレと同居」など、書くことによって記事の本質からブレるエピソードもありましたが、あまりにも濃すぎるため割愛します。

③【Wacha】と出会ってからの僕

ここからは皆さんと出会ってからのお話。
僕がこれまでの人生経験で培ってきた、大きく3つのエッセンスは、今まさに活動を頑張る源になっています。

(1)病を通して

自分の「記録」を世の中に残し
自分自身を発信して
誰かの「記憶」に残す。

👇その活動指標として

(2)サークル運営を通して

人が集まることの影響力を「配信」で活かす
人と繋がることの素晴らしさを「配信」で活かす

👇その方法として

(3)キッチンカー運営を通して

人に体験やものを提供する価値を「配信」で見出す
主体性を持つ重要性を「配信」で見出す

僕のWachaでの活動は全てココに詰まっています。
むしろ配信こそ、僕の想いが叶えられる環境でした。だからこそ頑張りたい。

配信歴もみなさんに比べたらドのつく素人です。
つい最近インターネットにひょっこり顔を出した野生の猿です。
スキルも浅はかだし、ソロ配信の出来は正直劣っていると自覚しています。

それでも自分にできることはあるはず。

僕自身これまでの人生で様々な挫折や失敗がありました。
しかしそれは「主体性」があったからこそだと考えています。
すなわち、主体性がないと失敗はおろか成功もないと捉えています。

ただ「自分にできないコトだけ文句言う人」に僕はなりたくないです。

「文句を言うなら行動と思考を。」
「溜め息を吐くなら努力と打開策を。」

Wachaの機能とか、バグとか、人口とか。
古参が寂しいとか、昔が名残惜しいとか、治安が悪いとか。

わかる。
僕だって言いたいことは山ほどあります。

でもね。

病気を盾にするのは苦手だけど
それでも持病があった身として分かります。

できないことってどんなに責めてもなかなか難しいんです。

僕もあの絶望の日に、存在しない記憶をどんなに責めたことか。
どんなに責めても、結局動けるのは何もない自分だけでした。
責める時間すらも無意味に散っていく日々でした。
自分ができないことを、責めてもどうにもならないんです。

「自分にできないこと」をひたすら見つめるより
「自分のやりたいこと・できること」をした方が楽しい。
「自分にできないこと」はみんなの力を借りたら良い。

そう気づかせてくれたのは、これまでの経験と
今回のわちゃフェスです。

「慕ってくれた方には恩を
配信者にはリスペクトを。」

この二日間、楽しかったでしょ?

みんなのおかげでもあり、僕の力でもある。
これが僕なりの未来への第一歩。
皆さんの「記憶」に残れば大成功。

「僕のやりたいこと」と
「皆さんのやりたいこと」の集大成。

泥臭くて不器用でド変態で不格好な僕の応援を
どうか今後ともよろしくお願いいたします!!

2日間
本当にありがとうございました!!!!!!

ハートだけぽちっとお願い笑

【僕のX⬇️】

https://x.com/1616r_yone/status/1762408803889455150?s=46&t=p2GJPDni-KyIHxCWE2YBoQ

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