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白昼夢【掌編小説】

ただ歩くだけでいい。
そう、ただあゆむくんと一緒に歩きたい。
純白のバージンロードとその先の人生を。

でも、私にはもう自分の脚がない。
取り柄のない私が唯一誇れるのは、「脚」だけだったのに。
走るのが得意で短距離走で負けたことはなかったし、成長するにつれ脚はスラリと伸び、柔軟な筋肉が綺麗な曲線を描き、適度な弾力に富んだ脚だった。

ある日、ママが泣きながら言った。
家族のために、あなたのその美しい脚を売ってほしい、と。
パパが死んでからというもの、ママと私の収入だけでは、5人の弟と3人の妹の食事にさえ困窮する毎日だったから。

私の脚を売れば、家族はもっと良い暮らしができる。それに私は、自分の脚の価値を活かせていないと感じていた。だから、ママの提案を素直に受け入れた。

体のパーツ交換手術は痛みを感じることはない。長期間の入院は必要だけれど、眠っている間にパーツ交換もリハビリも行われ、目が覚めたら退院できる。

理想とする顔やボディを、美容整形の分野で作ることはもちろん可能だ。ただ、医学が進歩しても、脚の機能と見た目の美しさを両立させることは難しく、いまだに本物の美しい脚は高値で売買されている。

ママには言えなかったが、本当は少しだけ悲しい。ささやかな夢があったから。それはナチュラルな体のまま、恋人の歩くんとバージンロードを歩くこと。

歩くんにそのことを打ち明けると、「私の脚だけを好きになったわけではないのだから、僕の気持ちは変わらない」と言ってくれた。
また、「君だってそうだろう? たとえば僕の顔が変わったとして、それだけで僕への気持ちまで変わるわけではないよね」とも言った。

ユーモアがあって優しくて誠実な彼が、見た目も含めて好きだった。
「驚くとは思うけれど、もちろん変わらない」と伝えたら、人懐っこい笑顔で「だろ?」と満足げだった。

歩くんは、僕も近々簡単な手術をするから、終わったら式を挙げよう、と言った。
断る理由などない。私は返事の代わりに、最後になるであろう自分の脚を彼の脚に絡め、唇に長いキスをした。

この村では、求婚の翌日から式の前日までは「心を清めるための時間」として、新郎新婦が会うことを禁じる慣習がある。
なので、2カ月後に身内だけで式を挙げることを約束して、最後の一夜を過ごした。

そのかん、私の手術も無事終わり、脚は人工のものに変わった。思っていた以上に綺麗な脚だった。私の脚はというと、陸上競技連盟を通じて売買されたと聞いた。個人情報保護のため開示はされていないが、脚を見ればきっとわかると思う。

自宅に戻ると、歩くんから大きな荷物が届いていた。箱の中身は、純白のウェディングドレス。
彼も私も裕福ではないので、式は軽装で行うと決めたのに。なぜ?

メッセージカードが添えられていた。
『やっぱり君にはウェディングドレスを着てほしい。僕もタキシードを着るよ。かっこいい僕に驚かないでね。 愛してるよ』



挙式当日。
2カ月ぶりの再会だった。

私は絶句した。
驚きのあまり、言葉だけでなく呼吸も失いかけたと思う。

「久しぶりだね」
「え、えっ! あ、あ、あの、ど、どうして? あなた様がここに?」
「歩だよ」
「歩くん? 何を言ってるんですか? あなた様はあの……」
「ごめん。驚かせちゃった? 実は、僕のこれまでの顔は一時的な、えっと、仮のもので、本物の顔はこれ。今までレンタルに出していたんだ」
「レンタル? 本物?」
「そう。これが僕の本当の顔なんだけど、やっぱりダメかな……」
「ダメじゃない!全然ダメじゃない!!でも歩くん……。あ〜、信じられない。私は夢を見ているの?」

頭が真っ白になるとはこういうことなのだろう。自分の存在が遠のき、自分を俯瞰しているような感覚に陥った。

だって、目の前の彼の顔は、間違いなく私の推しアイドルのその顔なのだから。

「愛してるよ。さぁ、式が始まるよ」

控え室のドアをノックする音。
時間を知らせる教会の重厚な鐘の音。
私は頭の中を鐘の音で満たし、思考を停止させた。

ただ前を向いて歩いた。
歩くんと一緒に。
真っ白な世界。
純白のバージンロード。
厳かな鐘の音。
愛する家族。

祭壇の前で立ち止まると、視界も頭も真っ白になったことで私はリセットされたのか、今度は一気に思考を開始した。

人は大事なときに限って余計なことを考えたり行動するものだなぁ、と思ったり、ナチュラルな体ってなんだろう、と考え出したり……。
そうだ、骨折や病気で体の中に人工物を入れて治療する場合があるけれど、それはもうナチュラルな体ではないのか?
いや、違う気がする。
どこにその境界線があるのだろう。
そんなことに意味はないのかもしれない。
ナチュラルであるかどうかなんて関係ないのだ。

「誓います」と歩くんの声が聞こえた。

大好きな歩くんと、共に歩んでいくことが大事で、私はそれを望んでいる。
ただ、それだけのことだ。

「誓います!」

歩くんと目が合い、私はまた頭が真っ白になった。以前の歩くんの顔も好きだったけれど、今の本物の歩くんは、たまらなくかっこいい。

「誓いのキスを」

私は失神寸前だった。
もうここからの記憶はない。





〈完〉
©️2023 ume15

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