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「会議は踊る。されど進まず」(中編) 

 給特法に基づく教職調整額の在り方などについて審議する中教審の特別部会(第12回)が、4月19日に開催された。その審議の内容については、すでに多くのメディアが報道しているとおりである。

 この会議の翌日、給特法の維持に一貫して反対してきた立教大学・中原淳教授は、X(Twitter)に次のような投稿をしている。

X(Twitter)より

 中原教授自身、中教審の「『令和の日本型学校教育』を担う教師の在り方特別部会」で委員を務めていた時期がある。この投稿の前半の4行は、そのときの体験を踏まえての感想だろう。

中教審が「教育改革の戦略を描き実行する」のは難しいと感じます。利益代表者の集まる、あの短い時間で一方向的に意見を投げつけ、議事録に加筆。

 私も以前、中教審のある部会で臨時委員を務めたことがある。前回の記事ではその経験をもとに、中原教授が問題提起した内容のうち、「利益代表の集まる」という点について補足をしてみた。

 今回は残りの「短い時間で一方向的に意見を投げつけ」「議事録に加筆」という点について書いておきたい。

【「短い時間で一方向的に意見を投げつけ」という点】
 1回当たりの部会の長さは、概ね2時間である。前半には事務局からの説明などが30分程度あることが多いので、正味の時間は90分ほどだ。

 委員の人数は20名前後で、それぞれが学識経験者や所属する団体の代表などである。そのため、司会を務める部会長は「全員、少なくとも1回は発言できるように」という配慮をすることが一般的だ。すると、1人当たりの「持ち時間」は約4分間ということになる。

 審議のテーマは事前に告知されるので、多くの委員は話すべき内容を整理してメモを作成したうえで審議に臨んでいる。特に、団体の代表として参加する委員の場合は、「組織としてかならず伝えなければならないこと」を抱えているため、どうしてもそのメモは長くなりがちだ。4分などアッという間である。

 このように、多くの委員は各自が準備してきたメモを読み上げるだけだから、そこに「対話」「双方向性」「言葉のキャッチボール」は生まれにくい。

 もちろん、他の委員の発言に対して質問や反論をしたい場面はあるだろう。しかし、「持ち時間」の関係で同じ者が何度も発言することは憚られる雰囲気があることも事実である。

【「議事録に加筆」という点】
 通常だと、部会が終了してから数日後に、審議内容の速記録がメールで送られてくる。これは録音された審議内容を事務局の職員が聞き取ってタイピングしたものだから、聞き間違いや打ち間違いの可能性もあるものだ。

 各委員はそれに目を通し、「修正点」があれば直した上で期日までに送り返すことになっている。

 しかし、この「修正点」が曲者なのだ。一般的には、字句の誤りを正すだけだと思われるだろうが、そうではないのだ。

 私の経験で言えば、文字起こしされたものを読むと、
・主語がない
・「えーと」や「たとえば」が多い
・言葉足らずで意味がわかりにくい
 ・・・ことなどがどうしても気になるものだ。かくして、「文意を損ねない程度」の加筆修正を行うことになる。

 その加筆修正の度合いについては、個人差があるだろうから一概には言い難い。無論、あまりにも実際の発言とかけ離れた修正が行われた場合には、事務局から指摘があるだろうとは思う。

 もっとも、前述したように各委員が「言いっ放し」で発言し、前後の委員が言ったこととは関連性が薄いため、たとえ大きく変えたとしても議事録上では不自然に感じられないだろう。

 こうして、完成した議事録と実際の発言との間にはズレが生じることになる。どれくらいのズレがあるかといえば、
「アイドル歌手のCDに収録されている歌声と、実際の生歌ぐらいの違い」
 はあるだろう。


 ちなみに中教審の部会の場合、一つのテーマについて何回も継続して審議をすることは少ない。たとえ結論が出ていなくても、今回はテーマA、次回はテーマB、その次はテーマCという具合に話題が移っていくのだ。

 このようにして10回程度の審議が終わると、それまでの議事録に載った発言の中からピックアップした内容を事務局の職員が繋ぎ合わせ、そこに総括的な内容を書き加えた長い文章を作成する。

 それが「論点整理」とか「審議のまとめ」と呼ばれるものだ。
(つづく)

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