「教育もまた、教育を必要としないだろうか?」
これは『資本論』で知られるカール・マルクス(Karl Marx)の言葉だが、この文の主語にあたる「教育」が何を指すのかについては、何通りかの解釈がある。
代表的なのものは次の3つだろう。
①であれば、「教育理論や教育システムというものは、時代や社会の変化とともに見直す必要がある」という意味になるだろう。
最近、文部科学省による「児童生徒の問題行動・不登校調査」の2022年度の結果が公表された。それによると、不登校の小中学生は過去最多の約29万9千人で、前年度に比べて22.1%の増加となっている。
この数字は、これまで子どもたちに公平な学習機会を保障してきたとされる日本の教育システムに対して、「再教育」の必要性を突きつけていると見ることもできよう。
②の場合には、「教育に携わる者は、自らも学び続けなければならない」ということになる。「学び直し」、流行の言葉でいえば「アンラーン(unlearn)」の必要性を説いていると解釈することもできる。
最近の教育界の潮流に当てはめれば、教師は講義型の一斉指導に固執するのではなく、「個別最適な学び」や「協働的な学び」を取り入れることが大切だということになるのだろう。
ただし、これは①にも関わることだが、新しい教育理論や教育システムにすぐに飛びつくのではなく、それらを批判的・客観的に見つめることも必要だろう。また、「不易と流行」という言葉のとおりに、従来からあるものと新しいものとの「いいとこ取り」をするような柔軟性も求められる。
③だと、「教育を受ける者にも、その前提となる知識や経験、意欲などが必要だ」ということになるだろう。いわゆる「レディネス(Readiness)」である。
これまでは、教育といえば「教える側」から考えることが一般的だった。しかし、学習(修)者の主体性が重視される今、教育を「学ぶ側」からとらえ直していくことは、より一層重要になっていくことだろう。
・・・こういうことを書くと、かならずと言っていいほど、
「3つのうち、どれが正解なんですか?」
と聞いてくる人がいる。
たしかに、
「マルクスがどのような意図でこの言葉を発したのか?」
という意味での正解はあるのだろう。
しかし、その一方で①・②・③のどの解釈も成り立つし、それぞれに大切なことでもある。「教育」に携わる者がこの言葉を「座右の銘」として、ときどき立ち止まり、自らの実践を見直そうとするのであれば、どれも正解なのではないだろうか。
つけ加えると、自分の頭で考えようとせずに、
「3つのうち、どれが正解なんですか?」
と、しつこく聞いてくる人には、間違いなく「教育」が必要だろう。
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