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人間なんか信じない、嘘をつき、騙し、欺き、絶対に裏切る人間など信じない

実際陰謀論で悪魔崇拝、ディープステートとレッテルを貼られてるのは左翼と呼ばれる側で、それは間違いなく勢力の対立におけるレッテルに他ならない。基本的に右翼保守とは権威主義であり、昔から右翼左翼政治では権威側に立つ思想主義なのが保守右翼と呼ばれる勢力。

その逆は民衆側の勢力として左翼があった。今現在保守右翼勢力に社会主義者、共産主義と攻撃されてる側が民主主義勢力になる。

つまりは権威主義者が保守右翼であり、だから個人崇拝を行うしカルト宗教にも没頭する。昔からある支配統治方法を好むのが保守右翼で、それを変えようとしてるのが左翼と呼ばれる民主主義勢力。

そうやって対立させ、いがみ合わせるのが分割統治であり、左右共に権威者の支配下なのは大昔から何にも変わっていない。昔は王族や皇族、血筋や家系による帝国支配としてあった支配統治方法、それが今現在なら大富豪や政治家、カルト宗教教祖のような人物に右翼保守思想主義者はぶら下がる。

陰謀論者は殆んど保守右翼思想で、左翼側とされる立憲のコミンテルン政治家がそれに混じり、なぜか自民党批判のために陰謀論を使ってるのは、そもそもから陰謀論はコミンテルンのプロパガンダに使われてきたものだから共産党と同じ陰謀論を使う。ロシアは共産主義のコミンテルンなので陰謀論を使うのは当たり前。

そして今現在保守右翼と自称している政党があるが、それは我々の側に立つ保守右翼でも何でもない、我々民衆の側にある民主主義を攻撃する権威主義者、それが今現在の自称保守右翼であり、その人達は何処の保守右翼かと言えばコミンテルン思想主義の権威主義者なので日本の保守でも何でもない。近いのはナチス労働者党のナショナリズムで、そのナチス自体がそもそもからマルクス主義。

だからそもそもから民主主義なんて無い、我々はそんな呼び方だけの民主主義に騙されてきた、あるのは権威主義者の労働プロパガンダに鞭を打たれるだけの社会主義の奴隷社会だけ。

搾取される我々は社会と呼ぶ畑の野菜であり、大人になればみんな平等に税金を収穫される。多く出すものは多く収穫できる野菜で、小さく出すものもそれなりに収穫される野菜でしかない。


もっと詳しく説明したいが、何かもううんざりして、話すのが面倒くさくなってる。


俺は、それほどお金なんかいらない、食べていける分だけあれば充分で、搾取されるためだけの無駄な経済的な消費活動には参加しない。独り身なら、そんなにお金はかからないし、将来についてあれこれ考える必要もない。 

でも、本当の幸せって言うのは、家族なんだと思う。やっぱり最終的には好きな人と結婚し、子供ができて、日々を共に生きる、そんな何てこともない当たり前の日常を生きる、そんな普通の日々を過ごせる事が何より最高の幸せなんだって思う。

でも現代社会では、そんな普通の幸せが簡単には手の届かない高級品になってしまった。一生手が届かないような普通や当たり前、なぜだろうな、素直に好きな人と一緒に愛を育むだけ、それだけのことなのに、どうしてこんなにもハードルが高くなってしまったのかな。

それでも、何とかそれを手に入れたとしても、あまりにもハードルが高いものだから妥協して誰でも良いになってしまう。そうなると、何てことない普通の日々が幸せだったはずなのに、時としてそれが苦痛に変わってしまう。お互いに相手を間違える、それに気がついても遅い、心は冷えるばかり。


恋もなく、愛だけで同じ人と四六時中一緒にはいられない。恋どころか愛すら冷めてしまえばそれは義務的な何かになる。それで生きてるって言えるのかな、確かに子供が産まれたら幸せかもしれない、自分の子供は誰しもかわいいもの。

当たり前にある幸せを当たり前にしてはいけないんだ、それが普通としてもいけなくて、義務的な何かにしてもいけない。恋や愛は義務教育じゃない、国民の義務じゃない、普通や当たり前でもない、世間体でもない、肩書きやステータスでもない、当然お金なんかじゃない。

恋するから一緒にいたくなる、愛するから守りたくなる、結婚がしたいから恋をするんじゃない、子供が欲しいから愛するわけじゃない、恋があり、それが愛になり新しい生命が生まれる三位一体。

ステータスのためじゃない、見栄でもない、色欲でも金銭欲のためでもない、恋は普遍的な自然の摂理、愛は絶対的なる神による自由なる秩序、それは社会に組み込まれた人間の秩序なんかじゃない、人間の支配の中にあるものじゃない、それは神の元にある自然法。

間違ってるんだみんな、お金が無いからで人類の普遍的なる幸福を諦める。人間が吐き出す普通や当たり前、常識的の悪魔の囁き、パラノイアに心を押しつぶされて偽物の恋と愛に騙される。

そんなことしてるから、いつまでも満たされないんだ、不満や愚痴を言って生きるしかできないんだよ。目の前の幸せが見えなくなりもっと多くを欲しがる。


何で普通じゃないといけない、どうして当たり前の中にいると安心できる。体が普通とは違っても、人からどう見られたって、そこにいるのは自分自身なんだ。みんなが同じなんて世界は無いんだ、それぞれが何かの問題を抱えてる、容姿の問題や心の問題。

普通や当たり前のマウントなんかいらないんだよ。そんなものに優越なんか感じなくてもいいんだよ、属す必要なんかないんだ。

今生きてるんだ、誰もが生きてるんだ、不幸になりたくてこの世界に生まれたわけじゃない、愛が自分をこの世界に誕生させた。幸せを感じるために、幸せになるために生きてるんだよみんな。

その幸せを求めてはいけない生命なんかこの世界にはいない。生きてるんだよ、生かされてるわけじゃなくて生きてるんだよ。

恋するから恋するんだよ、愛するから愛するんだ。それはおかしな事じゃない、普通や当たり前の中で、何処の誰がどんな思想主義で、それは変だと言おうが普通じゃない、当たり前じゃないと言おうが、みんな生きてるからそうなるんだ。

今を生きてる自分に恥ずかしいことなんか何もないんだよ。世の中には酷い偏見や言葉で溢れてる。それが自分ではなくて良かったって、思うのは普通や当たり前の中に生きていられるから。だけど、その普通や当たり前が、その中に属せない人達を苦しめる、悲しませる。

こんな人は嫌だ、こんな感じの人は嫌だ、こんな容姿の人は、こんな服装、こんな見た目、こんな性格、こんな年齢、こんなルッキズム、こんな人種、こんな血筋、こうだからこうに違いないの偏見。

その普通や当たり前が、それに属せない人達の心をズタズタに引き裂くんだよ。どんなに泣いても泣いても苦しんでも、誰も解ってくれないって、自分が生きていることすら憎むようになる。

だから俺は、何にも属さない、誰の仲間にもならない、思想主義なんか持たない、普通や当たり前の中には生きたくない。いつまでも個でいる、孤独でいる、その他大勢にはならない、アメーバの一部にはならない。

左右の思想主義なんかくそくらえ。

陰謀論も政治論も、スピリチュアルもニューエイジも、何々主義も宗教も何もかも全部くそくらえ。

人間なんか信じない、嘘をつき、騙し、絶対に裏切る人間なんか信じない。

愛を信じる、神の心である愛だけを信じ続ける。愛は嘘をつかない、騙さない、裏切らない。愛には優しさがある、思いやりがある、かけがえのない何かがある、大切なことを思い出させてくれる。

何が大切なことなのか、教えてくれる。

だから愛は神なんだ、真実の愛は神なんだよ。





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