縄文時代にユートピアはなかった
以前に紹介した縄文人の骨が展示されている企画展。5/16までに会期が延長されています。
さらに4/4には、展示品の「穴の開いた頭蓋骨」についての解説が博物館H.Pで公開されました。
頭蓋骨に故意に開けられた穴は、縄文時代での「殺傷事件」の可能性が否定できないようです。
最近は色々な場所で縄文時代が話題になることがありますが、「戦争がない幸せな時代だった」と語られることが多いように感じます。
その理由として、
殺傷能力のあるような道具(武器)が出土されていない / 約数千の縄文人の古骨のうち、殺傷痕が残るものは十数例である / 絶対的な支配者がいなかった…
ということがあげられているようです。
ところが「殺傷事件」があったとすると、平和で穏やかな時間がゆったりと流れていた…ユートピア的な縄文時代への幻想が崩れていくようです。
話は少しそれますが、
水木しげるの漫画『縄文少年ヨギ』。
ー 少年が飢饉や災害、妖怪と闘いながら、村人と共に生き抜いていく ーという冒険物語です。
縄文時代の遺物や各地に言い伝えられてきたような物語が、水木ワールドの真骨頂である妖怪と共に描かれています。
そこにあるのは、私たちと同じように日々を過ごす縄文人。毎日の生活には、喜びや悲しみ、憎しみといった人間としての感情が交差しています。
そして時に「殺傷事件」も起こりうる、いつの世も変らぬ人間社会があります。
本当の縄文時代を推測することは難しいですが、漫画にあるような人間社会があったとしたら…そんな中でも大きな争いが起こらず、しかもそれが1万年以上続いた。
このことは日本はもちろん、世界の歴史をみても稀にみる特別な現象です。
世界の民俗学から推測されるには、縄文社会は身分制度が無く、一部の人間が権力を握り富を得る構造が無かった、と言われれています。
そうした社会を保ち続けられたのは、根本には利他的な生き方があったと思われますが、縄文土器や土偶、副葬品もそうした平和を保つためのツールの一つであったのではないでしょうか。
美しさや神秘性を求めて、創造することで競う。
皆で1つのものを信じ、連帯を生む。
神への感謝や貢献者を敬うのために、
技巧を凝らす。
理想郷はあるものでなく、そこに生きる人々でつくるもの。
縄文人の「骨」から語られること、縄文遺跡や出土品から伝わってくるものには、私たちへのメッセージが隠されているように思えてきます。
最後までお読みくださり有難うございました。
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