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今日会いに行きたい!気になる土偶#088滋賀県埋蔵文化財センター

半分になってしまった顔。
目の廻りには…複数の力強い線が刻まれています。

『土偶形容器』弥生時代中期

一見土偶のように見えますが、頭の部分が入れ物になっている弥生時代の『土偶形容器どぐうがたようき』と呼ばれるものです。
このような容器には幼児の骨が入っていた事例があることから、人形の形をした「子供用の骨壺」と考えられています。

そしてこの『土偶形容器どぐうがたようき』の特徴は、目の廻りに刻まれた線です。

これは「イレズミ」の表現であると考えられるものです。

同じ遺跡からは、同様に「イレズミ」を表現したと思われる縄文時代の土偶が見つかっています。
それがこの鯨面げいめん土偶」と呼ばれるものです。

あまり鮮明ではありませんが、額から目の外側にかけて「イレズミ」を表していると思われる線が刻まれています。

西日本では約5000年前の縄文時代中期頃まで、土偶は殆ど見られませんでした。それが縄文時代の終わり頃になると、東海から西の地域でも姿が見られるようになります。その1つがこのような「イレズミ」表現のある土偶です。

土偶には当時の風俗が表れていると言われています。
全国各地の土偶の顔にも、このような線が刻まれているものが多くあることから、縄文時代から「イレズミ」の習慣があったと推測されています。
当然その真偽は定かではありませんが、弥生時代になるとその信憑性が少し高くなってくるようです。

3世紀末の『魏志倭人伝』に、
和人の男子は身分の高い人もそうでない人も、みな顔や体にイレズミをしている」という記述があるというのです。

これによると弥生時代にはこの『土偶形容器どぐうがたようき』のように、「イレズミ」の習慣があったと考えて良いようです。

そしてその習慣は、それ以前の縄文時代から続いていた、とも考えられるのかもしれません。

同じ遺跡から出土した「イレズミ」表現のある顔。
それらは時代をこえて受け継がれた習慣があったことを、ほのめかしているのでしょうか。

*参考資料
顔の考古学 設楽博巳 吉川弘文館

*タイトルは〝土偶〟ですが、
このようなカオがついた土器や、土製品なども紹介しています。

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