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竪穴のイメージが広がる『たてたて あなあなー竪穴建物の世界』展|松戸市立博物館

縄文時代に誕生した竪穴式住居。
博物館などで再現されているものは、遺跡に残された柱の跡などから想像されているものです。

実際はどのような建物で、人々はどのように暮らしていたのか?
そんな疑問にヒントを与えてくれるのが、この展覧会での北海道や東アジア、アラスカ等の200年程前の「竪穴建物」の実際の写真等のパネル資料です。

『たてたて あなあな―竪穴建物の世界』展から、あまり知ることのない「竪穴建物」を抜粋してお伝えします。


先ず、竪穴建物とは

洞穴を転々とする生活から、定住生活の第一歩を踏み出した縄文時代。その住まいとされているのが「竪穴建物(竪穴式住居)」です。
地面を掘り下げ、そこに床をつくり、柱を立てて屋根を葺いた、言わば半地下にある建物です。

地面を掘り下げることによって、外気の影響が少なく室温を一定(およそ15℃前後)に保つことができました。
掘り下げたのは20~30㎝位が多いようですが、寒い地方では1m以上も掘り下げた例が見られると言います。

山梨県 梅之木遺跡

縄文時代の竪穴の床の形は主に円形、弥生時代になると四角形になり、古墳時代にはそれまでの炉から竈が設けられるなど、少しづつ変化していきます。

古墳時代には現在の一般的な家のような平地式住居(地面を掘り下げない)が出現し、畿内地方では8世紀初頭にはその姿が見られなくなりましたが、東日本では住居として多く存在していました。

北海道

『色丹島の竪穴建物』
左にあるのが夏の間に使う「茅葺の家屋」、右奥にあるのが冬に使う「竪穴住居(土の家)」のようです。写真では見づらいのですが、両者は屋根付きの通路で繋がっていました。

ヒッチコック・ロミン1892年「蝦夷の古代竪穴建物」

北の島々では、1900年前後までこうした住居での暮らしがありました。厳しい自然環境に対応するために、夏と冬とで住み分けをしていたようです。
建物の高さは人の背たけ程ですが、内部は半地下になっていたので、見た目ほど窮屈ではなかったのかもしれません。

1919年

樺太からふと 多来加たらいかの竪穴建物廃屋』
北方に暮らすアイヌの中で多来加たらいかに住む人々は、明治の終わり頃までこうした竪穴住居に暮らしていました。

馬場脩・岡正雄1938
「北千島占守島及び樺太多来加地方に於ける
考古学的調査予報」『民俗学研究4巻3号』

アイヌ語で「トチイセ(穴居住居)」と呼ばれ、建物の寿命は10年程度であったと考えられるようです。

朝鮮・中国・ロシア

日本の近隣でも同じような竪穴建物が存在していました。

『朝鮮半島 金海の竪穴作業場』
冬場の作業場として使われていたものですが、日本と同様に古くは住居として竪穴建物が使われていたようです。

「三国志 韓」 解説:日本語(意訳)
(韓地方の)住居は、屋根を草で、部屋を土で作る。
家の形はつか(土を盛った墳墓)のような形である。
入口の戸は上部にあり、家の中で家族が共に住んでいる。
老若男女で部屋を分けあうことはしない。

1886年「朝鮮金海の竪穴住居」人類雑誌39巻3号

『中国東北部 興安領こうあんれいでの竪穴住居』
中国の古い書物にも「竪穴」の記述がありました。また100年程前に「竪穴」で暮らしていた人がいたそうです。

亜東印画協会編1926「亜東印画輯」第1冊

カムチャッカ半島
『イテリメン族の夏用の建物と竪穴住居』
この地域は雪が多く、11月初めになると冬の住居である竪穴建物に移り、雪解けが始まると内部が水で溢れるため、高床式住居(バラカン)に移りました。

よく見ると、バラカンから梯子のようなものが竪穴建物へと繋がっています。

1785年 ジューン・ウェーバー画

それを辿ると、『冬用住居の内部』へ。

カナダ・アメリカ

カナダ ブリティシュ・コロンビア州
『トンプソンの竪穴住居』
カナダの先住民族トンプソン族は、川や水辺に近い場所に「冬の住居」を作りました。
夏の間は狩猟や漁で別々に暮らしていた一族が、冬になるとこの冬の住居で一緒に暮らしました。建物の大きさはその都合に合わせて、15~30人が暮らせる大きさに作られました。

竪穴は近隣の手伝いも得て、20~30人ががりでたった一日で作られ、他の先住民族も同様の暮らしをしていたと言います。

真ん中に突き出ているのは梯子

内部は大きな空間が広がっていました。
天井に梯子が通る穴があいているということは、床の中心部に雨や雪が溜まるようになっていたのでしょうか。

1900年 トンプソン族の竪穴建物図 

アメリカボーニー族のアースロッジ
土が高く積み上げられた大きな建物です。人が登っても大丈夫なほど、頑丈であったようです。

1871年 ウイリアム・ヘンリー・ジャクソン撮影

アメリカ『マンダン族のアースロッジ内部』
マンダン族はアースロッジを「冬」の小屋として使っていましたが、地域によっては「夏」用の小屋として使用していた部族もいました。

1833-1834年 カール・ボドマー画

最後に

竪穴建物は日本以外でも作られ、中には近代になっても使われていたといいます。
その土地土地ごとに身近な草木や土を使って作られ、季節に応じてすみ分けをしていたようです。
その住まい方や竪穴づくりによって、一族の連帯が高まり、厳しい気象などの困難を乗り越え命を繋いでいった、という側面もあるのかもしれません。

庶民の住居である故にその資料はあまり多くはありませんが、実際の写真を目の当たりにすると、今まで夢物語のような「竪穴建物」がリアルに感じられました。

千葉県松戸市立博物館
『たて、たて、あなあな 竪穴建物の世界』展
開催中~2024年6月2日まで

参考資料 展示パネル解説
     建築知識2022.8月号 エクスナレッジ

最後までお読みくださり有難うございました。

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