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日本最古の土偶に会いに行く!「ようこそ三重の土偶パラダイス」展|三重縄文旅

こんにちは。
縄文時代の土偶を追い求め、
あちらこちらへと旅する、のんてりです。
年の瀬迫った先日、三重県へ向かいました。


これは、行かずにはいられない!

今年も東日本の縄文遺跡をたくさん訪れました。その多くは寒さ厳しい地域にあり、この時期は雪に閉ざされ、中には閉鎖されている遺跡もあります。

そんなことで、11月を最後に〝縄文旅はもう仕事納め〟と思っていたところ、「ようこそ三重の土偶パラダイス」展開催の知らせが届きました!
善は急げとばかりに、予定をやり繰りして早速行って参りました。

「斎宮歴史博物館」にて開催中

この展覧会は、三重と滋賀から出土した「日本最古の土偶」を一度に見ることができる、という画期的なもの。

この2つの土偶は、本来はそれぞれが出土した三重と滋賀にありますが、そこでは常時の公開はされていません。
そのようなことは貴重な考古品の状態を保つためによくあることで、時折公開される機会を待つことになります。

今回は、そんな2つの土偶が同時に見られるチャンスということで、〝逃すわけにはいかない〟展覧会であったのです。

西日本の縄文時代?

三重の土偶?三重の縄文時代?と聞いても、あまりピンとこないのではないでしょうか。

私たちが縄文時代を思い描くと、
夏は野山で狩りをし、冬は竪穴住居で家族が肩を寄せ合って火を囲み、そこには燃えるような炎を思わせる火焔型土器があり、傍らには宇宙人のような遮光器土偶…などと、北の地方のイメージがあると思います。

遮光器土偶
青森県亀ヶ岡遺跡 / 東京国立博物館

実際、縄文遺跡の多くや国宝の土器や土偶たちも寒い地方から出土し、そこから伝播したかのように東日本一帯に縄文遺跡が広く分布しています。

一方で西日本には大きな縄文遺跡が少なく、縄文土器などの出土数も少ないのです。

そうは言っても北海道から沖縄まで日本列島には一万年以上の縄文時代があり、その多くの土地では大きな文化が開かずも、僅かな人々の暮らしがあったと思われます。

そんな知られざる小さな暮らしが、実は脈々と営まれていたことを実感したのが、今年最初に訪れた東大坂、そして2月に訪れた奈良の土偶を見た時でした。

ホンモノの日本最古の土偶たち

三重の縄文遺跡はあまり知られていませんが、三重県内の縄文遺跡の数は1252ヶ所(令和3年度文化庁資料)もあります。

三重県では1996年に、今から*約12000年前のの遺跡から日本最古の土偶が発見されました。
その後2010年には、鈴鹿山脈を隔てた滋賀県の遺跡から同時期の土偶が発見されたのです。

右が三重県の粥見井尻かゆみいじり遺跡の土偶
左が滋賀県の相谷熊原あいだにくまはら遺跡の土偶

レプリカで何度となく見てきた土偶ですが…ホンモノはそれよりも随分ボリュームがあり、キメ細かい地肌に自然の温かみが感じられます。

三重の土偶は高さ6.8cm
豊かな乳房と締まったウエストを持つ

モデルを目の前に作られたような完璧なボディ。磨き上げられたように滑らかな地肌は鈍く深い土色で、その年月の重みを語っているようです。

滋賀の土偶は高さ3.1㎝
トルソーのようなの体部

この2つの土偶が作られた滋賀県と三重県の遺跡は、直線距離にすると約60㎞の場所にあります。
今のところ2つの土偶に共通点は見られないと言われていますが、この広い日本列島の中で隣接する場所で作られたことには、何らかの繋がりを感じてしまいます。

2つの土偶の特徴などはこちらをご覧ください☟

その後の三重の土偶たち

日本最古の土偶から約4000年後の遺跡からは、たった一つの土偶が見つかっています。大きさや形は、最古の土偶とほとんど変わらなく見えます。

縄文時代早期(今から約8000年前)/ 大鼻遺跡出土

その後はまた4000年以上の空白を経て、墓や祭祀場の跡と見られる遺跡から70点もの様々な土偶が出土しました。

こちらは以前の土偶と似たような上半身の女性像ですが、手が象られ、口のような表現が見られます。

縄文時代後期中頃(今から約3500年前)/ 天白遺跡

しっかりと人形ひとがたをした約10㎝ほどの土偶もあります。足には甲や膝と思われるものまでもが表現されています。

縄文時代後期中頃(今から約3500年前)/ 天白遺跡

別の遺跡からは、大きくデフォルメされた土偶が見つかっています。
愛嬌のある顔はどこかで見たような、ナニカのキャラクター?とも思えてきますね。

縄文時代後期中頃(今から約3500年前)/ 下沖遺跡

やっぱりパラダイスだった!

三重の土偶の歴史をざっとおさらいすると、今から約12000前に日本で初めての土偶が誕生し、それから長い長い空白期間があり、今から約3500年前頃になって再び本格的に土偶が表れたと言えるようです。

そしてこの時期のバラエティに富んだ土偶たちは、ここでの縄文人たちの生活の変化を表しているようです。

それまであまり活発でなかった人やモノの往来が盛んになり、各地から様々な文化が流入してきたことで、いろいろな形の土偶が作られたと推測できるのです。本来はこの地域にない、新潟県糸魚川産のコハクなどが、それを証明しているようです。

足を運んでよかった!
日本最古の土偶は、レプリカでは感じられない、目には見えないリアル感と親しみを、そして行くことがなければ知りえなかった「三重の土偶たち」との出会いをくれました。来年も縄文旅は続きます。

*約12000年前
ここでの展示では「約12000年前」となっていますが、「約13000年前」とされている場合もあります。

参考図書
土偶と生活 松阪市

最後までお読みくださり有難うございました。

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