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縄文時代-夏の味覚はちと苦い

車で遠出した時によく立ち寄る「道の駅」。

生産者さんごとの棚に並ぶ旬の野菜や果物、
同じ種類でも大きさ、色がちょっとづつ違って、買い物の楽しさを増してくれます。


先日、富士山麓の「道の駅」へ寄り道した時のこと。
トマトやきゅうり、ナス、カボチャ、インゲン、特産の大きなトウガラシ…と夏野菜がいっぱい、そこにはユウガオも。

ここに来る道すがら、道路沿いの何件かの民家の窓を覆っていたツルの中に、小さなユウガオやヒョウタンを見たばかり。夏の風物詩ですね。


ユウガオとヒョウタンは共にユリ科で長く茎を伸ばし、夕方に大きな白い花を咲かせます。夏の終わりには大きな実がなります。


以前に園芸店でこんなポップを見たような。
〝夏の日よけに最適〟として、ゴーヤやヘチマと共に人気の苗として売られていました。


ユウガオは、かんぴょうの原料として知られていますね。生の果実は煮物になりますが、街のスーパーではあまり見かけません。
ユウガオの源はヒョウタンで、苦味が少ないヒョウタンを食用に栽培したのがユウガオの始まりだということです。


では、ヒョウタンは?
苦く毒を持っているので食べられない、と言われています。
その分、容器としてはお馴染み。すぐに思い浮かべるのは、あの有名な七味入れ、縁起物としても見かけることが多いですね。


そのヒョウタン、日本での歴史は古く、
縄文時代に遡ります。

青森県や福井県の縄文遺跡からは、ヒョウタンの栽培種子が出土しています。このことは、この時代にヒョウタンが栽培されていたということを意味しています。

縄文時代には全国各地で緑豆、大豆、小豆などのマメ類や、ゴボウ、アサ、エゴマなどが栽培されていました。
栽培と言っても今の畑とは違い、種を蒔き、他の草花よりも目をかけ管理し成長を見守り、収穫をしていたと思われます。


ひょうたんの栽培?
苦いとされていますが、栽培するほど食用にされていたのでしょうか。


私が実際に出会った縄文時代のヒョウタンはこちら。
富山県で出土した〝ヒョウタン〟。
あれ、あの〝ヒョウタン〟ではない?

小矢部ふるさと歴史館  /  富山県桜町遺跡


まぁるい形をしていますね。
もともとヒョウタンはこんな形で、丸い形の上部には、つるに繋がる尖った部分があり、玉ねぎに似た形であったようです。
今の形のものは、中世以降にどこからか伝わってきたものだそうです。

このヒョウタンは、中を掻き出したような跡があり、食器や容器として使われていたということです。


また、長野県の祭祀が行われたとされる場所からは、7 個のヒョウタンが並べて置かれていたそうで、ヒョウタンが祭祀の道具にもなっていた可能性があるようです。

そうすると、
苦味がありながらも食用に、容器として重宝し、祭祀の道具にもなった…と、いくつもの理由があって栽培をするまでになったのかもしれませんね。


トップ画像は、ヤブツバキで作られた斧の柄、
ヒョウタンと同じ約4000年前の富山県桜町遺跡から出土しています。


ヤブツバキで作った柄の先に石斧をつけて、
土を耕し、ヒョウタンの種を蒔く、
やがて実ったヒョウタンはちょっと苦くて…。

なんとも風流な縄文の夏が浮かんできます。


ユウガオ…を手に持ちかけ、結局私が買ったのはスーパーで売られているような野菜ばかり。
50㎝ほどもあるユウガオ、
生産者のどなたか、小分けにしてくれないかしら。

因みにユウガオも、まあるい形のものもあるそうです。

季節ごとにちょっとした楽しみが見つけられる『道の駅』です。


最後までお読みくださり有難うございました☆彡

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