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気づき・学びのメモ集

iPhoneのメモ帳に過去に学んだことや気づきを色々と書き留めていましたが、それらを整理するのと自分用の備忘録として本記事を投稿します。この記事を読んでくださる方の、何か一つでも気づきのきっかけになれれば幸いです。

神様には、お願い事をするのではなく、お礼を伝えに行く

神社に行くと神様にお願いごとを伝えるというのが主流だと思いますが、自分はお参りをするとき、神様に「ありがとう」を伝えるという風にしています。どこからインプットしたかは忘れてしまいましたが、「祈り」も「願い」も、「夢や希望を叶えてもらいたいとき」に使う言葉ではありません。どちらも、神や仏に対して、「すでに、たくさんの恵みをいただいています。ありがとうございます」と感謝を伝える言葉です。神社は、「○○○をしてください」「○○○を叶えてください」とお願いをするところではありません。
そもそも、神社に行って参拝を出来ている時点で、既に幸せなことなのです。どこか怪我をしているときや、精神状態が悪いときは、わざわざ神社に行こうと思いません。仮に、何か状態が悪く、その状況を打破しようと神頼みにきていたのだとしても、その行為自体が前向きな行動なので、神社に来れないときよりは、幸せな状態だと言えます。
神様にお願いをするなんて、おこがましいことで、神社に行ったときは「おかげさまで幸せです。いつもありがとうございます。そして、これからもよろしくお願いします。」と、お礼と挨拶をするようにしています。
じゃあ、「夢や希望を叶えてもらいたいと思ってはいけないの?」と思われるかもしれません。エウレカセブンというアニメの中に名言があります。
「ねだるな。勝ち取れ。さすれば与えられん」

好きなことしか本気になれない

激変するこの世の中で「絶対」を求めて安定を手に入れようとする人は、全財産を賭博に注ぎ込むほどのギャンブラーだと言ってもいい。この資格をとっていれば食いっぱぐれない、手に職をつけるという考え方は、今後の世の中で生き残れない可能性がある。唯一無二のスキルを身につけるのではなく、複数のスキルを持つ、新たにスキルを獲得し続ける必要があるというマインドに切り替えていくしかない。使えるスキルをいくつか持ち、それを更新し続けたり、掛け合わせたりすることで、自分の中の選択肢が増え、自由度が高まる。1000人の中で1番になるのではなく、1000人の中でレアな人材になった方が、この激動の時代には合っている。
経験を活かすという発想は捨てる。年齢とともに体力は落ちるし、業界構造も変わる。法律が変わったり、テクノロジーの進化で自分の強みが消えることもある。スキルや実績にしがみつかず、過去は過去、未来は未来と割り切っていく。
なぜスキルや実績にしがみつくかといえば、それは自分の強みや価値観を理解していないから。個人の力は、過去から生まれるのではなく、自分自身の価値観から生まれる。自分の強みと価値観が定まっていれば、やりたいことには自然に出会える。自問すべきは、「なぜ働くのか(why)」「どんな仕事をしたいのか(what)」「どうやったらうまくいくのか(how)」。一つ一つのことに本気で向き合っていれば、これは好きじゃないとか、こっちの方が面白そうという、自分の本音が分かる。本気にならず、ただこなしてしまうと、その経験はただの業務処理となってしまう。大切なことには、たった一つの意思決定だけでは、辿り着けない。たくさんの意思決定を重ねて、自分を成長させることが大事。

事実はなぜ人の意見を変えられないのか

自分の意見を裏付けるデータばかり集めてしまうことを、「確証バイアス」という。分析能力が高い人ほど、情報を合理化して、都合よく解釈しがち。そういう人は、「事前の信念」がしっかりしていて、それを支える証拠に対する確信も強い。そうなると、事前の判断が、予測の立て直しを阻害してしまう危険性も出てくる。そうならないために、自身の意見とは別のことを謳っている記事を読んだり、自分の専門外のジャンルに対しても教養をつけることがいいだろう

「食」について考える。

食事で人が生かされているということは、人は色んな人に生かされているということ。農家、畜産、酪農、屠畜、加工、物流、卸売、小売、料理人、などなど、普段何気なく食べている物には、実に様々な人たちが関わっています。
食事の挨拶である「いただきます」は、「命をいただきます」という意味。食物連鎖の関係に敬意をもって、感謝の意を表す。ハンターハンターというアニメのメルエムの名言に、「お前らは豚や牛の命乞いに耳を貸したことがあるか?」というものがあります。命をいただくという行為について考えさせられる一言。もっとダイレクトなもので「銀の匙」という農業高校を舞台にしたアニメもあり、そちらも食に色々と考えさせてくれる作品です。
食事の挨拶である「ごちそうさま」は、食事を用意してくれた人たちへ、感謝の意を表すもの。昔は今のように簡単に食材を買いに行くことができず、食事を作るのに遠くまで走って食材を調達しなくてはなりませんでした。ごちそうさまの”ちそう”は「馳走」と書き、走り回ること、奔走を意味します。その言葉に、走ってまで食事を用意してくれたことに対して、丁寧な気持ちを表す接頭語である「御」、敬う気持ちを表現する「様」をつけて、「ご馳走様」と言うようになったのです。

食べ物は自分自身の体の中でどうなっていくのだろう。
その食べ物にはどういう成分が入っているのだろう。
その成分は体の中でどう使われているのだろう。
体はどういう仕組みで生命活動を行っているのだろう。
食事をつきつめると、自分自身を知ることに繋がる

Googleの人事採用(今も続いているかは分かりませんが)
食があると人が集まる。
人が集まると会話が生まれる。
会話が生まれると発想が生まれる。
発想が生まれるとイノベーションが生まれる。
だからGoogleは社員食堂に一流のシェフを雇って、「食」からイノベーションを発生させようと狙った。

僕は偽薬を売ることにした

偽薬の価値には2つある。1つは効果があることで、もう1つは効果が無いこと。
①効果があること
プラセボ効果は医療分野において、否定的に扱われることが多い。だが症状の改善に繋がるのであれば、一般的な医療行為でもプラセボ効果でも、有用性という観点では同等ともいえる。
ヒトは進化の過程で不安や恐怖に対するストレスを感じるようになり、分からないものに対して否定的な感情を持つようになった。そこで、ヒトは「分からないことの原因」に名前をつけ、説明原理を作るようになった。
プラセボ効果は説明原理である。本来、薬効のない偽薬による治癒という現象は、従来の論理からすると説明不可能である。だが新たにその現象をプラセボ効果と呼ぶことによって「薬効成分の含まない偽薬の投与が、プラセボ効果により人に変化をもたらす」という説明が成り立つようになる。
②効果が無いこと
偽薬の価値には、効かないことにもある。薬好きと呼ばれる人たちは薬を飲むことが心の拠り所となっていて、それを無理矢理奪うことは危険である。近年多剤併用の問題がクローズアップされており、薬の数を減らすことが必要な場面もある。その時に薬に似せた偽薬に代替することで薬の数を減らすことが出来る。明示的に偽薬を服用させるオープンラベルプラセボでも、効果を示す事例が報告されているので、患者を騙さないといけないということもない。
プラセボ効果を身近なものとし自らの体に対する信頼感に結び付けることが出来るようになったとき、必然的に私たちの健康観は変化し、医療に対する負担の軽減に繋げられるかもしれない。

最高の体調 進化医学のアプローチで、過去最高のコンディションを実現する方法

人類はわずか1-2万年前に農耕生活に移行した(ヒト属(ホモ属)はおよそ200万年前にアフリカでアウストラロピテクス属から分化し、現生人類であるホモ・サピエンスは40万年~25万年前に現れたとされている)。
農耕生活に移行する前は、狩猟・採集生活を営んでいた。安定的な食糧が供給されるわけではないので、古代ではカロリーは非常に貴重な資源だった(特に塩と糖分)。だから人類は、自然と高カロリーな食事を好むように自らの脳を進化させた。だが、飽食の現代では、高カロリーな食事を好む脳をうまく調整できず、それが「肥満」に繋がっている。なので、かつ丼やラーメンなどといった高カロリーを代表する食品に関しては、「美味いものを作ったら高カロリーだった」のではなく、「高カロリーなものは美味いと感じる」というメカニズムで成り立っているので、体型を気にした食生活を送るためには、付き合い方を考える必要がある。
飽食の現代、本能に従った食生活だと太ってしまうことは必至なので、敢えて本能に逆らって、カロリーコントロールをしていくというマインドを持つ必要がある。

細胞から人工的に生産する「純肉(純粋培養肉)」の可能性について

飽食の現代ではあるが、人類は近い将来で、「食糧難」が課題になると言われている。人口統計予想では2050年には90億人近い予想データがある。この90億人をどうやって養っていくか、地球規模で考える必要がある。
現状の食糧難に対する問題を、3点ピックアップしてみた。
「食糧問題」
2016年時点で世界中の穀物生産量は25億トン。そのうちヒトの食用として消費されるのは43%、35%は家畜の飼料として使われている。その家畜も畜産物となるが、変換効率が悪く、牛肉1kg生産するために約10kgの穀物を必要とする。
「環境問題」
家畜を飼育するために水や土地といった資源が必要。現在では利用可能な水と土地の約3割は畜産業のために使われている。地球温暖化の原因となる温室効果ガスの18%は家畜によるもので、全世界の交通機関による数値よりも大きくなっている。
熱帯雨林伐採の原因の約7割は、家畜の飼育土地確保が原因とされている。少ない面積で大量の家畜を飼育しようとすると、感染病のリスクが大きくなる。その感染病のリスクを抑えるために抗生物質を使ってしまい、その肉が市場に出回ることで人体に悪影響が出る可能性もある。
「倫理問題」
そもそも肉を得るために家畜を殺しているという道徳的な問題もある。
下記の記事は、記者が畜産の現場に1か月以上密着して書かれたもの。食に対する核心に気づかせてくれる良記事なので、興味のある方はぜひ読んでもらいたい。

以上の問題を、「純肉」であれば、解決することが出来る。

そもそも、「純肉」とは
純肉とは、目的の細胞から人工的に生産させる「細胞農業」という方法。食肉は動物の筋肉で、その筋肉は複数の細胞が集まって出来ている。動物の筋肉から細胞のみを抽出し、その細胞を培養させる。使っている技術は再生医療と変わらない(臓器移植やiPS細胞の技術)。医療と違い、人体と適合さえ、そのまま稼働させるまでしなくてもよいので、難易度は細胞農業の方が、再生医療より低いはず
人工的に作った「肉」と聞くと、否定的な人もいるかもしれないが、自分は早く庶民の手に届く範囲まで、純肉が流通している世界になってほしいと思う。

終わりに

ジャンルに一貫性はありませんが、過去に学んだことや気づきの整理は以上になります。ここまで、ご拝読いただきありがとうございました。


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