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ママ、3時間の休息を申請します

これは、黄色信号だ。
頭の中で、微かに鳴り響いているサインは慢性的な疲労によって見逃してしまいそうになる。

そのサインは、夫が部屋に置きっぱなしにしている書類の数々だったりする。

片付けてくれてもいいのにな。
子どもが動き回るようになって、手を伸ばしてひっくり返したら危ないのに。どうせ、わたしが片付けないといけないのかな。

いつもは気にならないのに、気持ちに余裕がなくなると、そういうものばかり目につく。

そして、勝手にイライラして、勝手にわかってくれないと決めつけて、勝手に落ち込んで。

これは、もう警告レベルの段階にきている。
そう頭の中では、どこかでわかっているはずなのに歯止めが効かない。

ああ、まず寝よう。
寝てから考えよう。
寝て起きたら、意外にスッキリと回復しているかもしれない。

しかしながら、悲しいかな、安息の時は寝る時ですら訪れない。

生後9ヶ月を過ぎた息子は、添い寝で、しかもママとしか寝れず、くっつくようにどこか触れておかなければ安心できず、すぐに起きてしまう。

そばにいるか確認するかのように、手をバタバタさせてわたしの頭をペチペチ、ほっぺたをペチペチ、髪の毛を鷲掴み。

普段はかわいいなと思えるところが、心がよれよれになっているわたしは、
「わたし、人権あるんかな」
と、急速に心が冷たくなってくる。

しあわせなはずなのに。
子どもはかわいいはずなのに。
夫はやさしいはずなのに。

そう、わかってはいる。

けれど、そう思ってしまうのだから仕方ないのだ。だからってそんなふうに思ってしまう自分が悪い、そこまでは思わないように踏み留まる。

きっと疲れているだけなんだ。
そう思ってしまうくらいにヘトヘトなのだ、と。

ペチペチ叩かれながら、自分を自分で慰める。
ようやく、息子の手に力がなくなり、深い眠りに入ったと思われたので、そおっと息子のそばから離れる。

くっついていると暑くて眠りにくい、という理由もあるが、はっきり言って、今はもう離れたかった。

「大好き!」と胸を張って言えるくらい、心の底から大切な存在であることに変わりないのだけど、身も心も「ひとり」になりたい時だってある。

離れてみて、ようやく深く息ができる心地がした。

しかし、安住の地はここにもなかった。

しばらくすると、息子の動いている気配を感じ、振り返ってみると、座っている息子の暗い影が映る。目は瞑っているが、寝ながらもママを探していた様子。

また、あちこちペンペン叩かれながら、無の境地で背中を優しくトントンする。
そんなことを、かれこれ1時間くらい続けていた。

これは一夜限りのことじゃない。こうした日々は、明日も、明後日も、きっとその先も続いていくのだろう。

もう考えるのはよそう。
今日は寝よう。


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寝て起きたらスッキリと...。

そう甘くはかった。

しっかりと、ちゃんと、身体も心も、どっさりと見えない重荷で押しつぶされそうだった。

「3時間だけでも休ませてほしい」

夫はとてもやさしいので、そんなわたしの発言を無下には絶対にしない。それどころか、3時間と言わず、もっと休んでもと、息子と二人でどこか出かけてくると提案してくれる。

実は、その日、「日帰り旅行にいこうね」と前々から計画していた日だった。
どこへ行こうか、ランチはどこで食べようか、息子が何だったら喜びそうか、そんなことを考えては、ひとつひとつ楽しみにしていた。

本当は行きたかった。
無理をしたら行けただろう。
でも、それ以上に身体と心は休みたがっていた。

休みたい。
もう何もかも忘れて、ただ寝ていたい。

「休む」

その選択は、時に勇気がいる。
やさしい夫のことだ。絶対に受け入れてくれるのはわかっている。それでも、だ。

自分が「休む」ということを許可することが、何よりも難しい。

だからこそ、「休みたい」
その気持ちを大切にできたことが嬉しかった。

そして、ひとり。
パジャマのまま、ベッドに寝転がりながら好きな動画を見る。その後は、隣を気にすることなく大の字になってベッドで横たわる。目が覚めても、まだ起きる気になれず、また目を瞑る。

こんなママ、褒められたもんじゃない。
子どもをほったらかして何をしてるんだと非難されても、言い返す言葉がない。でも、どうしようもない。ママだって燃料切れなんだもん。

結局のところ、ママという名の宿命か、3時間以上は続けて寝れず、2時間弱の浅い眠りの中でゆらゆらと夢を行ったりきたりしながら目が覚めた。

それでも、自分だけを大切にできた時間。
きっと、これがほしかったんだな。

ママは、24時間付きっきりで、赤ちゃんに手間も時間もかける。自分を一番に優先してあげることがほぼ皆無になる。

ごはんも。
トイレも。
睡眠も。

自分のことは二の次。

だから、自分だけを大切にする時間が、時々でいいからママには必要なのだ。

「休みたい」のなら、頭の中も、心の中も、身体もぜーんぶ、とことん休む。

そうして、心も身体も満たされたあとは、急に掃除がしたくなって、トイレ掃除やら寝室などの掃除に勤しんだ。でも、重たい感じは全くなく、むしろ、やりたくてやっていた。

パパと息子が帰ってきて、前日から抱いていたイライラやもやもやは嘘のように消え失せ、素直にパパには感謝、息子には愛おしさが復活していた。

休んでいいんだよ。

休めなかったとしたら、
自分も世界で一番大切なんだと。

自分で言ってあげたい。

息子も夫も、もちろん大切。

大切な存在を
ずっとずっと大切にしたいから、
わたしはこれからも自分を大切にしていく。







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