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地獄でも生き抜いていく

ただいま、note!
みなさん、お元気でしょうか。

まだまだ暑さが残る今日この頃ですが、木々の葉っぱがところどころ色づき始め、次の季節へと着実に移り変わっていくのを感じています。

先日、お伝えしたとおり、家族そろって、新型ウイルスにやられておりまして…

あのウイルスは、なかなか根強く身体を蝕んでおりまして…

ようやく、心身ともに復活の兆しが見えてきたので、noteへと舞い戻ってきました。

身体が健康って、いい!!
前向きな気持ちが戻ってくる!

それほど、どよんとした毎日を送ってきたわけで。息子が一歳の誕生日を迎える大切な節目にあったのにもかかわらず、怒涛のごとく過ぎ去っていったような感覚でいます。

では、ウイルスにやられたこの数週間を振り返り、気づいたことなどもいっしょに綴ってみたいと思います。

1 油断していたわけではないけれど

我が家はすごく山奥っていうわけではないけれど、車は欠かせない、なかなか田舎の地域に住んでいる。

0歳児の子育て中ということもあり、頻繁に人と会う機会もない。基本、家族で行動。

以前は、誰もが頷くであろう「都会」の方面に住んでいたので、感染リスクは少ないだろうとたかを括っていた。とはいえ、生後間もない赤ちゃんがいる家庭なので、感染への危機意識が人一倍あったといえる。

それなのに、だ。

コロナにかかってしまった。

家庭内感染を防ぐことはできなかったのか?

これに関しては、どうしようもなかった、としかいいようがない。

夫の発熱の時点では、
「熱中症」だと夫婦ともども思い込んでいた。

疲れているのだろう。
寝て休んだら治るだろう。

そのときは、一ミリたりとも「コロナ」だと疑うことはなかった。

夫が発熱でぶっ倒れた翌日、わたしも体調に違和感を感じる。

喉が痛い。
だるい。

聞いてみると、夫との症状と一致。

「これはヤバいやつや」

コロナかもしれない…
そこから感染を防ごうとするがもう遅い。

その夜、発熱。

どうか息子にはかからないでくれ。
それだけを願っていたが、それも虚しく、翌日の夜、息子発熱。

油断していたわけではないけれど。
…いや、油断していたのかな。

小さい赤ちゃんのいる家庭で、どうやって、感染を防ぐ?

抱っこ、添い寝。
常にいっしょ。
密着してお世話。

夫が体調不良になったとき、すぐに「コロナ」を疑うべきだった。
いや、すぐにわかったとはいえ、やはり、家庭内で感染を防ぐことは、かなり厳しい。

家庭に、
「ウイルスを持ち込まないこと」
これ以外に防ぎようがなかったと思う。

2 息子の初めての発熱

息子は生後11ヶ月にして、初めての発熱だった。

夫は病み上がり。
わたし、絶賛発熱中。

感染の疑いがあったので、誰かに看病を頼むことも不可能。

夕方近くから、息子の発熱が疑われた。
その夜は、気が気でなかったが、わたし自身も高熱でお世話できる状態ではなかったので、夫に夜のお世話をお願いした。

夜中、泣いている声が聞こえ、心配になって熱を計ると案の定、「39.3℃」の高熱。

息子も寝苦しいのか、1時間おきに起きていたらしい。

水分補給。
保冷剤。

今できる処置をすべて行い、その後はわたしが添い寝し、割と寝てくれた。

あって本当に救いになったのは、
「保冷マクラ」「冷えピタ」類。

3 つながらん!

翌朝、息子の熱は40℃近くに。
ちなみに、わたしも高熱が続いていた。

緊急の時に連絡、相談できる「発熱外来」や「子ども医療電話相談」など、ありとあらゆる電話にかけたが、全部つながらない!

これだけは言わせてほしい!!!

緊急の電話なのに、つながらないって何?

お盆休みで、コロナも増えてて、電話も混雑しているって、そんなの頭ではわかるけど、だからといって、つながらないのはお粗末すぎ。

あらゆるところにかけ、すべて、かからなかった時の憤りよ。

どうにかした方がいい。
マジで。

4 病院よ、ありがとう

結局、早朝、義家がPCR検査をしてもらえる病院を見つけてくれ、病院が開き次第、すぐに検査をしてもらいにいくことに。

結果、わたし、息子。「陽性」
時間の都合上、夫は検査ができなかったが、家族でかかっているので、明らかに「陽性」であると判断。

病院で薬をもらうことができた。
赤ちゃんには出せなかったので、別の小児科のある病院に行き、薬を出してもらえた。

この早めの処置と行動のおかげで、そのあと、格段と症状がよくなっていく。

電話がつながらないし、どうしようと、そのまま家の中で待機していたら、どうなっていたことか。あー、こわ。

5 ようやく一安心

病院に行って診てもらえた。
薬をもらえた。

この安堵感の大きさ。

弱っている息子に何もしてあげられない苦しみったらない。その面でも、すぐに病院で診てもらえたのは大きかった。

「これで大丈夫」

まだまだ安静にしないといけないが、ひとまず、大丈夫と思えて、心からホッとした。

そして、息子のたくましさに救われた。

熱があっても、普段通りにバクバクと離乳食は食べるし、熱が少し引いてきたら、あちこち動き回る。

親二人は、まだまともに動けそうにないのに。
息子すごい。

その姿を見られただけで、心配が吹き飛んで、わたしも元気を取り戻してきた。

その後は、自宅で10日間過ごし、次第に症状もよくなっていた。息子は、早々に元気を取り戻していたけど。

6 コロナにかかって気づかされたこと

・体調不良に注意深くあろう
不幸中の幸いか、夫の体調不良の際に、近くに住む義両親に手伝いに来てもらう案も出たが、自分たちだけで何とかすることにした。
今思うと、あの時、来てもらっていたら、感染が広まっていたはずだ。考えると恐ろしい。

体調不良の際には、コロナウイルスの疑いも考慮して、周りの人と接するようにしたい。自分の体調不良にも早めに気づき、感染予防や、早めの処置を行いたい。

・近くに頼れる人がいることのありがたさ
発症から10日間は自宅待機になるので、食材や日用品の買い物に行くことができない。その際、義両親に必要なものを持ってきていただいた。

高熱の時に即座に、保冷まくらやアクエリアス類なども持ってきてくださったのも助かった。

何かあったときに、近くに頼れる人がいるのは本当にありがたい。今回、身に染みて感じた。

・感染対策の意識を高めたい
今回は、夫の職場から感染が広まった。
個々の意識を高めるとともに、会社として、感染対策に徹底して取り組んでもらいたい。今回を機に、もっと意識が高まれば少しは安心できる。

・休めた、眠れた貴重な時間
この1年。
ぐっすり眠れたと思える日はなかった。
十分に休めたと思える日もなかった。
コロナのせい(おかげ?)で、眠るくらいしかできず、休むことを余儀なくされ、もう1年以上できなかった
「休む」
「眠る」
ことが、思う存分できた。

いつも頭の片隅で、息子のことが気がかりで、できなかったこと。

身体が疲弊しすぎていて、「休むしか」「眠るしか」できず、思いがけず、のんびり休め、ゆっくり眠れた。

その間、息子のことを見ていてくれていた夫には感謝が尽くせない。

家族だけで過ごせた時間だったとも言える。
外にも行けないので、家でのんびり過ごすのも貴重な時間だった。

・支援物資、ありがたかった
コロナにかかったら、支援物資なるものを届けてくれるという情報を耳にした。早速調べるも、自分の自治体で行っているようにも思えない。諦め半分で、保健所に聞いてみたら、県で行っている模様。いろいろ条件があったものの、届けてもらえることに。

日数がかかって、結果、自宅待機明け間際に届いたので、あまり意味がないと言ったらそうだけど、もらえるものはありがたく、中身もかなり充実していた。

身体が健康でないと、前向きな思考、純粋な心持ちではいられない。

大事な人も守ってあげられないし、やさしくできない。

「健康第一」ってありふれた言葉だけど、実際、本当にそうかもしれないな。


あ、あと、
「おげんさんといっしょ」でおげんさんが歌ってた「地獄でなぜ悪い」が身に染みたなぁ。

源くんはやっぱりいい。
本物の何かを目にしたいし、自分も創りたい。

関係ないような話で終わっちゃった。笑




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