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妊活中。暗闇から一筋の光が見えた。
こんにちは。
今日で最終回。
「妊活で悩んでいたあの頃のわたしに伝えたいこと」
今日で、5回目の記事となります。
一話ずつの完結型の記事となっているので、その他の記事で読まれていない方がいらっしゃったら、のぞいてくださるとうれしいです。
最後だから、思い切って本音で書きます。
とても悩みながら書いていました。実は、今も悩みながら書いています。
「妊活」とひとことで言っても、そこには、さまざまな方がいると思います。さまざまな状況で、違った立場で、悩み苦しんでおられるのだろうと思うと、わたしなんかに何が分かるのだろうと、書くことをためらってしまうこともありました。
同じ苦しみを味わったわけではない。
もしかしたら、読まれた方を傷つけているかもしれない。
わたしが経験したことから、見出したもの。
それは、多くの人にあてはまらないかも知れない。
でも、誰かひとりでも、その苦しみが癒される場所に行き着くのであれば。
まだ悩みながらではありますが、そうした願いをもちながら、今日も書いてみます。
✳︎
妊活中での様々な出来事、思いについて綴っていくため、読む方によっては、不快に思われるような内容も含むかもしれません。その時は、そっと画面を閉じていただければと思います。
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わたしの妊活の経歴
35歳で、妊活から半年以内で第一子を自然妊娠。
第一子が、1歳の年に第二子の妊活スタート。
9ヶ月後、レディースクリニックを受診。基本検査、卵管通水検査→タイミング法。投薬治療に進む時に精神的ストレスにより治療を中断。(約2ヶ月間)
半年後、自然妊娠に至る。(38歳)
現在、妊娠4ヶ月。
今回は「妊活中。暗闇から一筋の光が見えた。」
苦しかった妊活期間。
大きく変わるきっかけになった考え方や、救われた言葉について、書いていきたいと思う。
1 がんばることを手放すために必要だったこと
妊活中によく耳にする言葉。
「あきらめたときに妊娠する」
これほど、無責任な言葉はないなと思う。
「どうあきらめろと言うねん!」と暴言を吐きたくなる。
子どもがほしい。どうしてもほしい。
だから、がんばるし、がんばってきた。
これからも、がんばるしか道はないように思えていた。
がんばって、がんばって、がんばり続けても、無情にもリセットの日はやってくる。
これ以上、何をがんばればいいんだろう。
「もういいわ。がんばるのやめよう」
がんばることに疲れたわたしは、遂にはがんばることをやめた。
それから、苦しいと思えた習慣をやめ、自分の身体と心にとって必要だと思える習慣だけを取り組むようにした。
でもね、今思うと「がんばる」ことも必要だったのかも。これ以上、がんばれないというところまで行き着いたらから、あきらめがついたのだと思う。
めいいっぱいがんばったのは、それほどまでに、赤ちゃんに会いたかったわけだから。がんばり続けてよかった。それは、きっと無駄な時間ではなく、身体と心の準備のために必要な時間だったんだ。
2 そういうふうにできている
これは、さくらももこさんの「そういうふうにできている」という本のタイトルである。本にも書かれているが、実は、さくらももこさんがコピーライターの糸井重里さんからいただいた言葉でもある。
妊活中、何気なく手に取った本。
お腹の中に赤ちゃんを授かって、赤ちゃんを育てる身体に変わっていく不思議。
自分の努力の範疇を超えたところで、大きな力が働いている。
宇宙の摂理。
「そういうふうにできている」
点と点が結ばれたように、ハッとした。
自分も夫も、できる限りのことをした。
あとは、もう自然に身を任せるしかないのではないかと。
簡単に言ってしまえば、「運命に身を委ねる」
ことわざでいうと、「人事を尽くして天命を待つ」
「人事を尽くして天命を待つ」とは「自分で全力の力を尽くしたら、後は天の意思に任せる」という意味です。人ができることには限界があるのだから、どんな結果になっても後悔はないという心境のときに使うことができます。
必要以上にがんばることを手放し、あとは運命に身を任せてみよう。
身体と心の準備は整った。あとは、赤ちゃんが来たいと思うタイミングで「いつでもきていいよ」と思えるようになった。
そして、奇跡的に、この周期で赤ちゃんを授かることができたのである。
3 気持ちがどん底だったときにもらったお守りのような言葉
わたしの座右の銘でもある「人生、塞翁が馬」
人生は、良いことも悪い事も予測できないということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえです。また、人生において、何がよくて何が悪いのか、後になってみないとわからない。という意味もあります。
今はつらくとも、きっと、どこかで明るい未来が待っていてくれるはず。
ぽきっと折れた心を、やさしく包んでくれる、わたしにとってお守りのような言葉。気持ちがどん底だったときに救ってくれた言葉でもある。
![](https://assets.st-note.com/img/1708260723063-LStNvKz1ea.png?width=800)
「妊活で悩んでいたあの頃のわたしに伝えたいこと」
わたしの伝えたいこと、端から端まで、すべて詰め込みました。
でも、まだ伝えきれていないこともあるような気がしてなりません。
どんな感情も、どんなに無駄だと思える時間も、どんな自分も受け入れて、無駄じゃない。ダメじゃない。わたしはそう思いたい。
だから、書き残したかったのかもしれないです。
最後まで書けてよかった。振り返ることができてよかった。
読んでくださって、何かを受け取ってくださったなら、すごくうれしいです。
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読んでいて分かりにくかったところ、もう少し説明してほしいところがあれば、気軽にコメントで書き込んでいただければと思います。
個人的な内容で、コメントに書きにくいようであれば、noteの「クリエーターへの問い合わせ機能」にて、直接メッセージください。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
安らいだ気持ちで眠れますように。おやすみなさい。
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