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15.完成された木造りの美しさー伊勢神宮の宇治橋ー


伊勢神宮で和橋を観る

 飛び石に始まり、丸太橋のような単純桁橋けたはし連続桁橋けたはしへと長大化する過程では、創造的思考に基づく多くの発明・発見と試行錯誤が繰り返されてきた。
 これまでは石橋を中心にして、石造りアーチ橋にいたる「橋のイノベーション」を垣間見てきた。

 一方、メソポタミアや中国沿岸地域とは異なり、国内では森林資源が豊富なため、石橋とは異なる木造橋が、独自の発展を遂げた。
 すなわち、橋を架ける周辺状況や利用状況に応じて技術革新が進められ、様々な形式の木造橋が架けられてきた。

 しかし、石材に比べて耐久性に劣る木造橋は、残念なことに朽ち果てて、当時の姿は残されていない。ただ、伊勢神宮の五十鈴川いすずがわに架かる宇治橋は、古式に従って立て替えられ、現在に至る。
 この和橋わきょうを観ることで、いにしえの木造橋に思いを巡らせてみよう。創造力を膨らませてみよう。

写真1 伊勢神宮の神域に入るには五十鈴川を渡らねばならず、
古来から参拝する前にはこの清流で身も心も清めるのがしきたり

伊勢神宮の「神宮式年遷宮」とは

 伊勢神宮の正式名称は、神宮じんぐうである。皇室の祖先神である天照大御神あまてらすおおみかみまつ皇大神宮こうたいじんぐう(内宮)と、天照大御神の食事をつかさどる豊受大神を祀る豊受大神宮とようけだいじんぐう(下宮)を中心とし、大小125の宮社で構成される。

 式年遷宮しきねんせんぐうとは、20年に一度、宮処みやどころを改め、御社殿や神宝をはじめ、一切を一新して天照大御神の新殿へのおうつりを仰ぐ儀式である。そのため神宮の内宮と外宮には、それぞれ東と西の隣地に同じ広さの敷地が準備されている。

 この式年遷宮は、第40代天武天皇の発案により、次代の持統天皇の即位4年(609年)に初めて行われた。以来、62回を数え、1300年の歴史を有している。
 第62回式年遷宮は、2005年(平成17年)に始まり、8年間にわたり30におよぶ祭典・行事が古式に従って進められ、2013年(平成25年)に遷御せんぎょが行われた。
 第63回式年遷宮は、2025年(令和7年)に迫っている。

 30におよぶ祭典・行事の中で、内宮の入口に架けられた宇治橋も20年毎に架け替えられ、式年遷宮の「遷御」の4年前に、宇治橋渡始式うじばしわたりはじめしきが執り行われる。

五十鈴川いすずがわを渡る「宇治橋渡始式」

写真2 五十鈴川に架かる宇治橋から皇大神宮(内宮)の森を臨む 

 宇治橋渡始式わたりはじめしきで、祭列の先頭を行く渡女わたりめは伊勢市に住まうおうなで、全国各地から集められた三世代夫婦と、神事参列者が付き従う。

 祭列は、内宮の斎館さいかんに始まり、仮橋で五十鈴川いすずがわを渡り、宇治橋の守り神をまつ饗土橋姫あえどはしひめ神社に向かい、神職により宇治橋と渡る人々の安全祈願が奏上される。

 次いで、橋工はしこうにより、饗土橋姫あえどはしひめ神社で祈祷きとうされた神札である万度麻まんどぬきが、宇治橋の下流側西詰の第二柱の擬宝珠ぎぼしの中に収められる。

 その後、祭列は再び仮橋を渡って内宮に入り、架け替えられた新しい宇治橋の東詰めから渡り始め式が執り行われる。饗土橋姫神社で一拝の後、大宮司を先頭に再び宇治橋を渡り斎館へ戻る。橋の中央では古式に従って橋工が、川へそなえの餅をまく。

古式に従う宇治橋の架け替え

 日本書紀によると、内宮が鎮座したのは約2000年前とされるが、当初は立派な橋は無かったであろう。五十鈴川に架かる橋の記録が確認できるのは、鎌倉時代以降である。
 宇治橋が公的に架橋されたのは、室町時代の第6代将軍足利義教よしのりの寄進(1435年)による。この時に現在の宇治橋の原型が架けられたと考えられている。

 江戸時代は、徳川幕府のもとで山田奉行が橋奉行となり、計11回の宇治橋の架け替えが行われた。明治時代は、式年遷宮と同年に国庫による架け替えが行われたが、第二次大戦後に架け替えは式年遷宮の4年前が定着した。

 第62回式年遷宮の「宇治橋修造起工式」は、2008年(平成20年7月26日)に始まった。約40人の橋工(宮大工と船大工)により伝統技法に従って、仮橋の架設が行われ、新橋の完成までに約1年3か月をかけ、2009年(平成21年11月3日)に「宇治橋渡始式」が行われた。

 橋の両端に設置された宇治橋鳥居とりいは、内宮側は内宮古殿の棟持柱むなもちばしらを、外側は下宮古殿の棟持柱を再利用し、遷宮後に建て替えられた。

五十鈴川に架かる宇治橋を観る

写真3 宇治橋を渡り鳥居をくぐると皇大神宮(内宮)域に入る

 橋の高欄こうらんは、木曽の御杣山みそまやまで伐採したひのき材、橋脚は全国から集めた高強度のけやき材が使われる。

 宇治橋は橋長:101.8m、全幅:8.42mの連続桁橋けたばしで、けやきである98本の橋桁を39本(3本組X13基)の橋脚で支え、径間(スパン):6.1~7.9mである。
 総檜そうひのき造り高欄こうらんは、高さ:1.32m、川底から敷板までの最大高さ:7.25mで、中央のり高:1.82mである。江戸時代には、反り高は約3.3mあったといわれている。

 現在の京都の三条大橋は、橋長:73.3m、鴨川の中に5本横並びの柱状橋脚が9組、合計45本が立てられ、全幅:15.5mの9径間桁橋であるが、古の三条大橋は宇治橋の風情を彷彿とさせる木造橋であったであろう。 

 参拝者が歩く敷板(幅:30cm、長さ:4.2m、厚さ:15cm)は上流側と下流側に分けて、各308枚が敷き詰められる。隙間をなくすため、敷板616枚には特殊なのこ作業で「すり合わせ」が施される。
 さらに現場では木殺こなし」により、敷板の合わせ面を金槌かなづちで叩いて一枚一枚入念にすり合わせ、水にぬれると膨らむ性質を利用して隙間をなくし、和釘わくぎで固定される。いずれも船大工に伝わる伝統的な技法である。

参考文献:「お伊勢さんの大橋ー宇治橋ものがたり」、伊勢文化舎(平成21年10月1日)

木造橋の耐久性対策について

 現存する国内の木造橋の維持・管理に関して、土木学会木材工学特別委員会による調査結果(2011年11月)が報告され、耐久性能に影響する項目として、1~8の事象があげられている。

  1. 屋根付橋と上路橋の健全性は、他の構造形式と比較すると極めて高い

  2. 樹種の耐久性に依存した事例では劣化が顕著

  3. 同じ樹種においても心材と辺材の耐久性能の違いは顕著

  4. 防腐剤を加圧注入した材料は、樹種の選択、部材内(接合廻りを含む)への水の侵入がな ければ薬剤の効能が認められる

  5. 定期的な点検とメンテナンスを実施している木橋の健全度は概ね良好

  6. 木口からの水の侵入防止は不可欠

  7. 水平におかれた部材の上面割れは、内部への水の侵入を許し、内部の腐朽を促進させる

  8. 2つ以上の部材が接する場所や水が溜まるディテールは水はけを悪くし、腐朽の原因になっ たと推定される事例が多い

表1 樹種別の耐久性区分
出典:「大規模木造建築物の保守管理マニュアル」p.211、日本住宅・木材技術センター

 当然、宇治橋は上路橋であり、橋脚に雨水を漏らさない敷板の加工耐久性に優れた檜(ヒノキ)と欅(ケヤキ)が使われている。

 また、木材の耐久性は中心部の心材が辺材に比べて優れており、反りなどのくるいが生じにくいため、橋脚や梁には辺材を切り落とした心持ち材(心材)が用いられている。

 宇治橋の上流には橋脚を流木などから守るため、丈夫な8本の心持ち柱が、木除け杭きよけぐいとして立てられている。また、木口こぐちからの雨水侵入防止として、塔頂には小屋根が設けられている。
 この小屋根は梁の木口にも設置されており、橋の装飾にもなっている。

写真4 宇治橋の上流に立てられた木除け杭

 ところで、現在の木造橋では防腐剤を加圧注入した木材が多用されているが、素木しらきの宇治橋には似つかわしくない。交換が容易な敷板や高欄は別として、橋脚や梁には20年間の耐久性を担保する必要がある。

 特に、河川水と常時接している橋脚については、防水・防食対策が不可欠である。実際に、橋脚や木除け杭の下部には、黒色の塗料が塗られており、和船などで重用されたコールタールが塗られているのではと考えられる。

 また、橋脚は頑丈な基礎の上に立てられ、さらに橋脚や木除け杭の設置位置には一面に石が敷き詰められている。これにより水流による洗堀の防止対策がしっかりと施されている。

 このような宇治橋の耐久性を向上させる諸対策は、多くの試行錯誤を経て完成されたもので、多くの木造橋に引き継がれている。




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