日常への反抗

こちらの作品はyoutube配信のお題を頂いて書く即興小説で作成いたしました。
所要時間大体50分くらいです。 

そうでないと、おかしいということは世の中に沢山あるが、その中でもやはり確実なこととして、頭が空を向いていないといけないということがあるだろう。
足は地面について、まっすぐ進む。これが生きている中で、普通に暮らしている中でそうである必要があることの一つであろう。
あとは、法を順守するとか、人の嫌がることをしないとか、そういった類のものになる。私はどうもそれが落ち着かない。そうでいないと、いけないことというのを受け入れるということが出来なかった。
かといって、法を破るとか、嫌がることをしないとかは、出来なかった。しかし、世の決まりを守っているという事実に身体が耐えられなかった。
そのせいか物心がついてきた4歳の時に、全身蕁麻疹を出して、高熱で一週間うなされた記憶が、まだ残っている。
あまりにも寝込んでいたものだから、その時たまたま見舞いにきたおじさんが、つまらなそうに私の足を掴んで、宙に釣り上げた。
 私の頭は地面に向き、足先は空を向いた。私は突然のことに驚きながら、あまりの衝撃でその場で吐いた。吐しゃ物が上から下に流れていった。
 体調が崩れていたからか、余計に具合が悪くなって最悪だった。ただ、一点、釣り上げられた時の非日常感が妙に心地よかった。
 常識ではないことを今されているのだという気持ちが、日ごろ押さえつけられていた「そうでないといけない」という意識から少し解放されたような気がしたのだ。
 その体験をした翌日、私の蕁麻疹は少しマシになったし、熱も少し下がった。私は親が寝静まったその日にまた、あの感覚を味わいたくて逆立ちをした。
 最初は上手くいかず、結局大きな音を立てて崩れてしまい、両親が起きて中断された。しかし、一瞬頭が地を向くときの違和感は気持ち良かった。
 その次の日から私は、毎日逆立ちをした。両親が止めても決して止めなかった。
一週間程度で、最初に逆立ちが出来るようになった。逆立ちしたのは大体五秒くらいだったと思う。
ただ、その五秒間が私にとって、とてつもない安心感を与えた。上に頭、下に足がなくて良いという安心がそこにあった。
ささやかな非日常の感覚が、いつしか安心のために必要なことになっていった。その日から私は、隙あらば逆立ちをするようになっていった。
十代になってからは、毎日座る以外の時は逆立ちをするようになっていった。13歳の頃になると、身体が逆立ちをしていないと安心しないようになり、身体の仕組みそのものが逆立ちに向くようになっていった。
だから私は運動会にも逆立ちで走ったし、合唱祭の時も逆立ちで歌っていた。周りからの視線は気にならなかった。学校では「そういうやつ」として、上手く立ち回っていた。
しかし、社会と対面するときはそうはいかなかった。就職活動は逆立ちでもちろん挑んだが、一社も受からなかった。社会では「そういうやつ」を受け入れる器がまだなかったのである。
一般職が無理だと諦めた私は、自営業を考えていた。前向きに考えれば、会社を企業するでも良かったし、店を開くでも良かったし、道はたくさんあった。
私は、逆立ちを常にしていていても良い程度には社会性の高さがあると自覚していたし、それで上手くいく程度の学力があったのである。
結局、その間に暇で始めたFXが上手くいき、それを本職にすることにした。都会での逆立ち生活も悪くなかったが、毎回、道行く人に驚かれるのも面倒だったので、田舎の広い家を買った。ついでに大きめの山もついてきた。
 気兼ねなく逆立ち生活が出来る様になったが、家の中で逆立ちばかりしていると手の皮が弱くなるので、定期的に山に入って散歩をするのも日課になっていった。
 山では、良く知らない木々が生えているばかりであったが、山の奥に竹林がり、そこで松茸を最近見つけた。その松茸を取って、販売するのも副業になる程度には稼げるようになった。
 それと、田舎の町内会で最近、朝の号令を任された。田舎で家が点々としている中で、音を届けなければいけないということで、町内会で伝統的に使われている法螺貝を渡された。
 特殊な法螺貝で、上手く吹けば遠くの家にも聞こえるらしいが、全く音が出ないので最近この法螺貝の音を出すことが目下の課題である。
 でも、それくらい。
 そろそろ30になるが、逆立ちしていても、人生今のところ問題ない。

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