見出し画像

生きやすくなるための最初の一歩

不登校や発達障害などを経由しながらも、とても生きやすい場所までたどり着いた29歳女です。

今日はTwitterのアカウントを開設してから6年。

このアカウントは大学4年生の頃に「就活せずにフリーランスとして活動するぞ」「来年からは田舎に住むぞ」と意気込んで、情報収集のために作ったものだ。

フリーランスとして収入を得たことはなく、住む田舎のメドも立っていなかった大学生のわたしと比べると、今は随分と理想的なところまでやってこれたなぁと思う。

当時の理想であり現在:ストレスなく働き、田舎暮らしを楽しむ

生きやすい。学生時代が嘘だったかのように、ずいぶんと生きやすい。

生きやすくなるための最初の一歩は何だったのか振り返ってみると、3段階あるように思えた。

まずは1つ目は開き直ること。

「就活はしない、大学院のテストも受けない。別に普通じゃなくたっていい。フリーランスが合っていそうなんだから、フリーランスを目指す、でいい。」

大学4年生の頃、進路について開き直った。

大学3年生までは、将来は地元秋田に戻り、公立中学校の保健室の先生になろうと決めていた。

でもアルバイトや教育実習を経験してみて、どうしても学校で働くことに馴染めない予感がした。自分に合っていないぞ、と思った。

開き直ったきっかけは、経験を通して強烈なマイナス感情・拒否反応を感じたこと。

もしもこれがちょっとのマイナス感情だったら、悩みは小さく、「まぁ嫌な面もあるけれど、就職してもいいか」と考えたかもしれない。

わたしは強烈なマイナス感情を感じたから、吹っ切れることができた。

マイナスの感情は辛いものだけど、自分に合った道へ導いてくれるトリガーになるから使い方次第である。

強烈なマイナス感情を感じたときには、「これはどういう合図だろう?」と立ち止まると、道が見えるかも。

2つ目は、理想的な暮らしをするサンプルとなる人に出会ったから。

Googleで「人と関わらない 働き方」のようなワードで検索していたら、田舎に住みながらフリーランスのブロガーとして活動する人を見つけた。

「そんな生き方もあるのか!」と衝撃を受けた。暗闇でひとり寝込んでいたわたしにとって、光に見えた。

マネしたかったので自分でブログを立ち上げてみるも、全然稼げない。

自力では稼げなかったわたしは「フリーランスの人たちに会ってみたい」「必要なことを教えてほしい。理想の叶え方を教えてほしい」と思うようになった。

そこで高知で開催されていた半農半X講座や、千葉・金谷で開催されていた田舎フリーランス養成講座(現ワークキャリア)に参加した。

両方とも1ヶ月間の講座で、プチ移住・フリーランス体験としては十分な環境だった。

ここで出会った人たちは今でも関係性が続いている。お客さんから仲間に進化できたと思うと、わたしも「あっち側」に近づけたようで嬉しい。

3つ目は、生きやすい環境に引っ越すこと。

実際には千葉の金谷に引っ越しをしたが、ここでいう引っ越しとは物理的な引っ越しだけでなく、「関わる人を変える」とも言い換えられる。

金谷にはフリーランスの人がたくさんいたから、自分にとっての「普通」であり「理想」がそこにはあり、自然に暮らせた。

自分に合っていそうな環境を見つけても、人間関係や仕事が変わらないままだと結構辛いものだ。

現にわたしが大学4年生だったとき、フリーランスとして働きたいと思っていたのに教育系のバイトをしていて辛かった。理想が明確なのに現実が追いついてこなくて辛かった。

自分に合っていそうな環境を見つけたら、できるだけ理想と現実のギャップをなくすような行動を取ると良いんだろうね。

理想が明確なのに現実が追いつかない時間は、矛盾がストレスとなり辛いものだから。

すべてのストレスは「理想と現実にギャップがある」からくるようにも思う。

だとしたらストレス対処法は「理想を掲げない」「理想と現実のギャップを埋める」の2方向になりそうだ。この話はまた後で考えよう。

生きやすくなるための最初の一歩をまとめると、次の3つになる。

1.開き直る
2.理想的な暮らしをするサンプルとなる人に出会う
3.生きやすい環境に引っ越す(概念)

やりたいことが見つかったときに「さて、どうしよう?」とモヤモヤするけれど、意外と「開き直る」さえクリアできれば後はポンポンと進むのかもしれないね。

開き直るためには、強烈なマイナス感情がヒントになるのかもしれない。

ここ最近、なにか強烈なマイナス感情を感じただろうか?

毎日投稿214日目。



サポートはお菓子代になる予定です