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どうして高知は特別

はじめて四国へ降り立って
大荷物かかえて
香川でうどん食べて
大荷物のせいで
ホームの階段のぼれなくて
駅員さんに助けてもらいながら
乗り換えして
2017年8月20日
14時台の電車
林を抜けたら


やっと、大杉駅。

ホームに降りたものの
ホームからの出方が分からなくて
電話かけて
教えてもらった。
すぐそこまで来てくれてた、電話の相手。

はじめてみた有名人。
ネットでしか見たことなかった有名人。
わたしひとりのため
車で迎えに来てくれた。
ああ、緊張する。
こんな声してるんだ。
わたしのこと認識してるんだ。
すごいひと
りっぱなひと
お邪魔します。
よくわからないけど
なんとなく強そうな田舎の仲間たち。
よくわからないけど
みんな多分すごいひと。
「はじめまして、千葉大四年生の…?」
こんな田舎において
いま
「千葉大生の」っていう自己紹介は必要か。
わたしのアイデンティティーのよりどころと
すごいひとへの自己紹介、
そのバランスに困惑。

夕飯のかんじ
家族でもなく
他人でもなく
友達でもない
仲間でもない
会うことが決まってたみたいな
初めてではないような
前世で何回か遊んだような
それくらいの感覚とでも表現すればいいのか。

ひとついえること
それは
この人たちは、私が何をしても
それを「迷惑」だと思わないこと。

なぜだか知らないが
初対面なのに
一切の利害関係がない。

この人たちは
わたしがどんなミスをしても
非常識なことをしても
それを「迷惑」だと思わない。
なぜか分からないけど
確実に分かる。

人はルールとして
「迷惑をかけられても迷惑と思わないようにしましょう」って約束することはできる。
とくに大人はできる。
とくに仕事ならできる。
お金をもらえば全然できる。

だけど本当の意味で
迷惑をかけられても「迷惑と思わない」と
心から感じることのできる人は、まずいない。
家族でさえ
「迷惑だ」と感じるほどだ。

それなのに
この人たちは
私がたとえどんなヘマをしても
迷惑だとは思わない。
ルールがあるわけじゃなくて
心からそう思ってる。

人間なのか?正気か?
疑いたくなる。

現代の人間の世界に生きていない人たち。
古いんだか新しいんだか
もはや分からない人たち。

行った人にしか分からない
批判するひとも多い

だけどそれがどうした
古いんだか新しいんだかよく分からない
理解不能な空気感で
確実な渦を作っている人たち

一切の迷惑を迷惑と思わず
こちらに気を使わせない人たち。

小学校の先生というべきか
小さいころの母親というべきか
大地というべきか
地球というべきか分からない

なんでも許してくれる空間。

現代のお金の感覚や
人間関係の感覚
あらゆる文明の感覚では説明できない何か。

自分や他人が生きることに戸惑ってる人は
「迷惑をかけること」や
「迷惑をかけられること」に
過剰に反応している。

それが取り払われるわけだから
へんてこな空間だ。

へんてこな空間
いままでの感覚では説明できない空間
それでもそこにあり続ける
消してたまるか
確実に燃え続けるものたちがいる。

わたしは燃やしてるのか
燃やされてるのか
分からないけれど
その一員として
ときどき心を
高知に飛ばしながら
あのときから続く今を
生きている。

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