細い道を歩く

小3の頃から日記を書いている29歳女です。

本が2冊届いた。Aさんからお薦めされた本と、Bさんからお薦めされた本。届いてから気づいたが、どちらもタイトルに「死ぬまで」というワードが入ってる。なんという偶然だろう。わたしは死にたいわけではないし、死がちらついてるつもりもないけれど、友達からお薦めされた本2冊に「死ぬまで」というワードが入ってるので、何かのメッセージかも、これは。死ぬときに後悔するような人生を送ってないか?お前はそれでいいのか?神様からの、そういう問いかけかもしれない。

目を覚ますため、起きてすぐにKindleを開き、さくらももこのエッセイ「もものかんづめ」を読んだ。さくらももこのエッセイとの出会いは、新卒フリーランス時代。時間を死ぬほど持て余している時、唯一徒歩で行けるスーパーの本のコーナーに「もものかんづめ」が置かれていた。与沢翼の本の隣だった。さくらももこと与沢翼を同率で推しているところに、スーパーの本のコーナーらしさを感じた。人口数千人のじじばばだらけの町に、与沢翼が響く人はいたのだろうか。

小説やエッセイはほとんど読まない人だったけど、さくらももこの本は面白すぎて、夢中になって読んだ。さくらももこの本を読み、コジコジのアニメを観て、宮沢賢治の朗読を聴く。本を読み終えたら、公民館の図書室に返却する。築50年超えのボロアパートに住んでいたから、とにかく壁が薄かった。家にいながら、となりのおばあさんから声をかけられる。「嫁さん、いるか?蒸かし芋、食べるか?」という調子で。おばあさんと、わたしと、当時の旦那の3人暮らしをしてたと言っても過言ではない。おばあさんが夜中3時に喘息の発作を起こしたときは、「嫁さん、嫁さん」と呼ばれて、救急車を呼んだこともある。退院後、お礼として生活保護のお金から2000円渡された。生活保護のおばあさんと同じアパートに住んでいたんだなぁ。

新卒1年目だから、住民税がかからず、保険料も減額できて、お金の必要なかった時期。暇を持て余して本に浸れたのは、今思えば幸せな時間だったな。

きのうで退職してから丸1ヶ月が経った。この1ヶ月も、暇を持て余して幸せに暮らせた。そろそろ「次はどうやってお金を得るのか」について、真面目に考えたほうが良さそうな時期。良さそうと言ってる時点で、あんまりやる気はないんだろう。

できるとかできないとかを抜きにしたときにどんな仕事をしたいか?と考えると、短歌と小説とエッセイを書いて暮らす人になってみたい。これは妄想レベルで、努力なんてしてないんだけど。いや、短歌は書いて応募はしてる。けど、本気かって問われたら、「別にそんなんじゃない」と濁したくなる。

どんな方向から考えてみても、わたしは「自分なりの細い道」を見つけないと、生きていけないタイプだろう。働く業界を考えたり、向いてる職種を考えたり、そんな王道の道をたどれるタイプではない。「キャリア」とか、そんなんじゃない。ただ生きてるだけのことを、そんなのにくくるな。説明のしにくい収入源や、紹介しにくい肩書きを携えながら、その時その時で「自分なりの細い道」を開拓していくしかない。

分類できなくたって、組織にいなくたって、人に対して価値提供さえできれば、生活は成立するはずだ。じゃあ、その価値って一体何だろう。言語化すること、謎の道を歩くこと、くらいは見当がつくけど、具体的にはふわっとしている。わたしに何かを頼むとしたら、人は、何を頼むんだろう?実用的なスキルや社会人としての常識があるんだかないんだか分からないわたしに、共鳴してくれてる人は、何なら頼むんだろう。

本を読んでると、似たような先輩に遭遇できるから嬉しい。この人は、この生き方しかできないんだろうな。わたしと同じで、就職とかいう次元じゃないよな。

わたし、この感じで、現実的にどうやって生きてくのよ?と思うこともあるけど、とくに死ぬ気はないので、竹やぶを「わたしが歩けばここは道です」と言いながら、堂々と歩いていくしかない。小舟で海を漂っている、とも言えるかもしれない。

とにかくこういう人は、どこまでいっても「個人」なのである。個人で生きて、地下深くで誰かと合流する。「こんなとこに仲間、いたの〜!」「あなたはそっちの道を歩いてたのね!個性的な道だねぇ」とか言いながら、心の友と出会いたい。すでに日々、出会ってる。

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