役に立たないこだわりの多さ

「こだわり」は、仕事の上では良い意味で使われることが多い。クオリティが高い、心がこもっている、といった意味合いで出てくる言葉だ。

一方で発達障害系の文脈では、生きづらさに結びつく特徴として挙げられることが多い。

決めた順番通りにこなしたい、好きな感触の素材しか受け付けない、など。わたしはこの手のこだわりが多い。一向に慣れる気配もなくて、ただ疲れるという。

とくに自分で決めていたスケジュールが乱れると最悪である。たとえば19時からご飯を食べようと決めていたのに、何かしらの理由で食べられなくなった時に、多大なストレスを感じる。

自分の中で順番を決めていたのに何かの理由で順番が崩れると、すべて台無しな気分になる。

これは思考の癖とか後天的なものじゃなくて、先天的な脳みその問題だ。いまはキャリアブレイク中なのであまり大きなストレスはかからないけど、社会の中に本格的に入っていった時には必ず「意味のないこだわり」のせいで多大なストレスを感じるから、それを思い出すと憂鬱になる。

調子の良いときは「意味のないこだわり」が薄まることもあるけど、ホルモンバランスが少しでも崩れたり、周りの人がセカセカしたりしていると、意味のないこだわりが悪化する。

学生時代〜社会人初期まで、かなり人間関係を回避してきた。時間が経ったので「なぜあんなに回避してたんだっけ?」と忘れ気味だったけど、他者との関わりが多いと、こだわりの強さのせいで消耗するから回避してたんだった。

関わりが増えれば増えるほど、変数が増える。掛け算的にイベントやトラブルが起きる。すぐに心の安寧が崩壊する。

前に書いた自分史のようなグラフのようなものを見たら、ハッピーな時は「自分で状況を選択/コントロールできている」「何かに集中している」という特徴があった。

萎えてる時は「自分で状況を選択/コントロールできない」「集中しているものが人(恋愛)」だった。

萎えている時の特徴は、どちらも似ている。コントロールが及ばない状況が無理らしい。納得感がある。

自己理解的なことをするときは、単に性格がどうこうだけじゃなく、発達的な特性を考えないと、何かがズレてしまう。

なんだか久しぶりに発達障害由来のソワソワを感じて、ずっと眠くて、萎えている感じだった。発達障害の責任をなぜわたしが取るんだっけ、という気分にもなった。 どんな問題も本人が請け負うしかないけど、でも本人のせいじゃないことも多いから、すべてが面倒くさくなる。

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