嘘つきになりたくない

最近仲のいい人に、「ななは尖ってる、いい意味で」のように言われた。仲のいいと言っても、10歳以上年齢の離れた、人生経験豊かなハイパー面白い人。

尖っているインフルエンサー系の人(例:堀江貴文さん、キンコン西野さん、はあちゅうさんなど)は尖っていても生きていけるような環境に身をおいているからこそそれでやっていけるみたい。

じゃあ、インフルエンサーでもなければ何かの専門家でもない私は、丸くなった方がいいのか?いろんな人と上手くやっていくために、角が立たないように気を付けた方がいいのか?

いやだ!

私はこのまま、勘違いした「素直さ」を貫き通そうと思う。私は多分「素直さ」みたいなものを、はき違えている。でもそれでいい。

根底にあるのは、「嘘をつきたくない」という感情。何よりも、嘘をつきたくない。無駄な正義感。ベクトルのミスった正義感。

私は嘘をつきたくない。他人にも自分にも。日常生活には、嘘がたくさんある。愛想笑いだって私にとっては嘘。行きたくない集まりに行くのも、私にとっては嘘。おなかが空いていない時にご飯を食べるのも、やりたくない作業をすることも、苦手な人に「またね」と言うのも、挨拶したくない人に挨拶するのも、体調が悪いのに隠して仕事するのも、私にとっては全部嘘。そういうのが全部嫌だ。

何が言いたいのか相変わらず分からなくなってきた。

一般社会で生きるには、嘘つきでなければ生きられない。私はそれが耐えられない。

だから、嘘つかずに生きられる場所を探している。

メンタルが不調なら、泣きながら仕事できるような場所。愛想笑いの必要ない場所。本当に美味しいものだけを食べていられる場所。そういう場所で生きる。嘘つきになりたくない。嘘ついは泥棒のはじまり。泥棒になりたくないよ。

ああ、書きたいことの主旨は書けていないし、内容のない文章になってしまった。思い描いていたものの2割くらいしか書けていない。でも、いいのだ。2割の文章でも投稿しちゃう。

サポートはお菓子代になる予定です