「来年は田舎暮らしをします」とは言うものの
田舎が向いていないことは、重々承知している。
性格的にも体力的にも、向いていないに決まってる。
一人じゃなんにもできないし。
体力ないし。
人と関わるの、そんなに好きじゃないし。
半強制参加の行事とか、だるいし。
ペーパードライバーだし。
親戚が亡くなったトラウマ?で、今後もできれば運転したくないし。
不便なの嫌いだし。
でも、「向いていないことの確認」をするためにも、田舎に住まなきゃ始まらないと思う。
多分、9割がた本気で向いていないのだけど。
確認しなきゃ分からないからね。やってみるしかない。
あと、そもそも私は「自然が好き」だとか「地域のために何かしたい」とかって気持ちは一切ない。
「自然が好き」って感覚がよく分からない。でも、昔から「自然になりたい」とは思ってる。大地になりたい。海になりたい。空になりたい。雲の上の空気になってみたい。そんな感じで、自然と共になにかしたいわけじゃなくて、あくまでも「自然そのものになりたい」。自然と同化したい。地球に還りたい。土でもいい。水でもいい。宇宙でも、地球でも、月でも、星でもいい。自然になりたい。
だから、一般的な「自然好き」「アウトドア愛好者」とは違うと思う。
そして、「地域のために何かしたい」なんていう善人でもない。ただ、どうしようもなく生きづらい私を、自然は受け入れてくれる感じがする。自然には敵いっこないから。自然には時々殺されそうになるから。その抗えない感じを含め、自然災害で死ぬことを含め、自然は私を内包して受容してくれる感じがする。自然の中にいると、生きることを許される感覚になる。生きることを許されるってのは、ナチュラルに災害で死ぬこととほぼ同義。「生きることを理由なしに許される≒いつでも死んでしまう脆さ」って感じ。
何が言いたいのかよくわからないけれど。
あえてまとめると、
①私が田舎暮らしに向いていないことや都会の方が暮らしやすいことは重々分かりつつも田舎に住もうとしている。
②「自然愛好家」ではない。「自然そのものになりたい」だけ。自然のことを現実ではなく、あくまでも概念としてとらえている。
③田舎で「地域のために」何かしたいわけじゃない。ただ、そこにいることを許されていたい。エゴの気持ちしかない。
おわり!
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