やっぱり高知に住みたいかもしれない

(ここまで書いて、パソコンがばぐった。スクショしといてよかった…続き。)

何が言いたいのか分からないけど。

私は限りなく身内に近い人のことを愛しすぎている。もしかしたら、自己愛の延長かもしれない。偽善的な愛情かもしれない。だけど、せっかく仲良くなった人のことを許していたい。助けたい。私にできることがあるなら力をかしたい。

今はまだそんな力はない。資金的にも。

だけどできることならお金持ちになって、ドラえもんがのび太に道具を出すみたいにお金を出す人になりたい。それが最終目標なのか?いや、最終目標は知らない。しいて言うなら、みんなで幸せになることか。分からん。

とりあえず、身内を幸せにするには自分が幸せで安定した存在にならなければ。

最近思う。やりたいことをつきつめると、実は「困っている知人の役に立ちたい」に辿り着くんじゃないかと思う。社会の最後の砦、セーフティネットみたいな。

そう考えるとね、私は保健室の先生になることを辞めたけど、やりたいことは変わってないと思うんだよね。

保健室の先生を目指し始めた理由は、「学校(=子どもにとっての社会)からはみ出しそうな子どものセーフティネットになれるのが保健室の先生だから。」

今やりたいことは、「社会で生きづらい人に居場所を提供して、自分らしく生きられるように手助けすること。」

あぁ、同じじゃないか~。規模が学校→社会全体 に拡大しただけじゃないか。保健室の先生(を目指すの)を辞めたのは、諦めや退化じゃなくて、進化だったようだ。

まとまりがないね。

でも、私にとってのnoteって、そんな場所。

想いを出発点に行動していくよ。行動するだけならただのアホ。考えるだけでも存在価値はない。考えて行動して考えて行動する。


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