情報を選ばずに「浴びる」と、空想力が無くなってしまう
情報が溢れすぎている世界だね。
情報は、量も内容も、選ばなきゃ自分がだめになる。
浴びると、だめになる。疲れてしまう。
情報を浴びても平気な人は、かなり限られている。
もともとメンタルがとても強くて、他人の声を無視して進んでいける人は、情報を浴びても平気。ホリエモンみたいな。
でも、ほとんどの凡人は、情報を浴びると疲れてしまう。いらない情報を無視できてるようでいて、実は全然無視できていない。心のはじっこにモヤモヤが蓄積して、気付かないうちに心を侵食してくる。
量も問題だけど、質も問題だね。
精査されていない「垂れ流しの意見」は、質が低いに決まってる。このnoteもそうだ。質が低い。
SNSの情報のほとんどは、質が低い。
5%くらいは有益かも知れないけど、残りは質が低い。いらない情報。5%を逃さないために、95%の低い質を浴びるべきなのか?と考えると、「いらない」気がしてくる。
無害ならまだしも、じみに有害な情報も多い。他人のマイナスな感情や、誰かを否定したそうな意見を浴びてしまうと、心のどこかが疲れてくる。その疲れを自覚できるうちはまだマシだけど、疲れを自覚できなくなると、自分が何に疲れてるのかわからなくなり、何となく自分が停滞していく。
話がそれてしまった。
情報を浴びすぎると、結果的に「空想する」力が奪われてしまう。
自分の目指すものや好きなものが分からなくなる。
変に情報を浴びてしまうと、その情報の中に答えがあるような気がして、誰かが提示した「ありがちな選択肢」を選ぶしかなくなる。
選択肢を広げるために情報を集めてたはずなのに、中途半端に偏った情報をむしゃむしゃ食べたせいで、「A~Fの中から選ばなきゃ」と思うようになってしまう。危険だね。
自由になるためにフリーランスを志したのに、ライティング、サイト製作、アフィリエイトから仕事を選ばなきゃいけない気分になるのも、おかしなことだ。
これらが向いてなければリゾバをしなきゃいけない、わけでもないし。
自分で稼ぐなら、ブログかYouTubeを始めなきゃいけない、わけでもない。
何か物を作って売ってもいい。
自分だけなのかな、自由をこころざしたはずが、やたら選択肢が狭まってしまったのは。
もちろんお金がないと困るし、ネットで稼ぐのは比較的コスパがいいので、やった方がいい人はたくさんいるんだろうけど。
中途半端に情報をあつめて、選択肢を広げようとすると、むしろ選択肢が狭くなって、描いてたはずの理想や空想が消えてしまうことがある。
それは悲しいことだ。
もちろん世の中の全ての選択肢を知ることはできなくて、誰だって知識は偏ってしまうけど。
でも、中途半端に情報を浴びると、自分の感覚に合ってない「正解もどき」が「正解」に見えてきて、なんとなく自分はダメな人な気がしてきて、進路にたいするモヤモヤが加速する。
そんなフリーランス2年目をおくってきた、この一年。
もっと心の底からやりたかったはずのことを、やっと思い出しはじめてるので、その感覚を大事に育てたい。自分なりの感覚、自分なりの正解を中心にして、心地よくなっていきたい。
ちなみにやりたいことは、農業を含めた「自然とかかわること」。
自分の人生における正しさは、自分の感覚だけ。
知りたくもない情報を浴び続ける弊害は、自覚していよう。じゃないと溺れてしまう。
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