新卒フリーランス2年目が終わるにあたっての雑な感想

夜中の一筆書き。

大学を卒業してからすぐにフリーランスとして活動を始めました。あれから約2年。

現在の感想は「今のところ、自分の選択は正解だったと思ってる。でも、今後もフリーランスを続けるかは不明。未来は知らん」という感じ。

基本的に、自分はフリーランスというものが合ってると思う。

でも「新卒フリーランス」と検索すると、否定的な意見ばかり出てくる。「あー、こんなに否定的な意見が多いのか」と改めて驚いた。

「新卒フリーランス」と検索した学生は、「やっぱ無理だよなー就職しねば」という気持ちになるような、検索のラインナップだ。

新卒フリーランスって、そんなにナシなんだろうか。人間を「人間」として捉えたいマンとしては、フリーランスも会社員も人間なので、差はないとおもう。(そういう問題ではないんだろうけど。)

人間が人間として生きるのに、働き方の区切りなんているのか?と思ってしまう。(そういう問題ではないんだろうけど。)

一例として、

たしかにビジネスマナーが身に付いてないと、損することがあるかもしれない。

でも、ビジネスマナーが身に付いてないせいで獲得できなかったご縁は、ビジネスマナーを獲得してまで心の底から必要だったご縁なのか?と考えたら、別にいらないような気がする。

結局、のがした損失なんて、逃したから自分の人生には存在してないんだよ。

だから、ビジネスマナーがなってないからって逃した損失は、自分の人生の中には見えない。見えないものを考える必要はない。

それに、たとえビジネスマナーがなってなくても、人間としての優しさや気遣いができれば、迫害されることはない。

わたしも「こいつビジネスマナーがなってないな、うわぁ」と思われたことがあるのかもしれないけど、周りから人が消えてる感じはしない。

人間としての優しさや気遣いはしてるつもりだからか、クライアントさんも友達も普通にいる。むしろフラットな関係性で関われてるように感じる。


ビジネスマナーがなってなくても、フラットな関係性で関われればオッケーなクライアントさんもいるだろう、普通に。

大企業や堅めの企業に潜入しまくって働くならNGかもしれないけど、仲間内で仕事を回す人とか、ゆるい人とかもいるので、そういうのを含めた「自分の感覚にあうひと」「自分を許容してくれるひと」と関わればいいと思う。


新卒でフリーランスなんて、そんなに世の中甘くない。と言う人がいる。その意見は半分同意する。

でも、世の中の甘さってなんなんだろう?どういう基準なんだろう?何をもって甘くて、何をもって許されるんだろう?と疑問に思う。

厳しい環境と甘い環境があるなら、甘い環境を選んで生きていけばいいだけの話だ。

そんなんじゃ成長しない、といわれるかもしれない。でも、誰が「人間は成長しなきゃいけない」と決めたのだろう。なぜ、そんなに「上がること」を半ば強要されるのだろう。

べつに大したスキルがなくたって、生きてるうちに「これならやっても苦痛じゃないわ」と思えることに出会えるだろうし、成長しなくても「適応できる環境」に身を置けばいいだけだ。

個人的には、成長を求めるよりは、適応を求めて環境を選ぶべきだと思ってる。

人生において、成長は必須じゃない。逃げながら、適応できる環境にいけばいい。

適応できる環境にいれば、成長と名付けられるような上がり感がなくたって、心地よく暮らせると思うんだよね。

目指すのは適応だから、「まずは就職」というよりは、「快適そうな場所を探し歩く」方が優先だと思うんだよね。

快適そうな場所が「フリーランスの方面」にあるんだったら、フリーランスとよばれるものを目指せばいい。


すべては自己責任なんだから。何を選んだって自己責任なんだから。

人の意見を鵜呑みにするのは良くないよ、わたしの意見も含めて。自分がどうしたいのかがなんとなく分かったら自己責任で選べばいい。


そしてその選択は、一生の決断ではない。「違うな~」と思ったら、別の道に行けばいいだけの話。人生の実験を重ねながら、適応できそうな方をその都度選んでいけばいいだけ。決定は、つねに単なる実験なんだ。

自己責任で実験したらいい。人に流され続けるなら、人に流され続ける自分がどこにたどり着くのか観察してればいい。

一筆書きでなんやかんや書いたけど、正直、働き方論とかどうでもよくて、哲学の名著でも読んでた方がよっぽどプラスになると思う。

サポートはお菓子代になる予定です