見出し画像

就職したくない大学四年生と話したら、「生きる希望がわきました」って言われた

この地域でやっている「移住者支援プログラム」の見学に来ていた、大学4年生の女の子とちょっとお話をする機会があった。

話した後、「生きる希望がわきました」って言ってくれた。

それはもちろんプログラムありきで、私が何かいいことを話せたか?と言えば特に話せていないのだけど。

「こういう人間もいるよ」ってことを分かってもらえたら、それでいいと思ってる。

私は本当にだらしなくて、大したことをしていないのだけど、それでも生きている。「よく分からないけど生きている人間」を目撃すると、進路選択の幅が広がる。「そう簡単には死なないな」っていう謎の根拠を持った人は強い。

「そう簡単には死なないな」って思うためには

・ガチで瀕死の状態、でも死なない状態を体験する

・自分に近いけど死んでない人間を目撃する

などの方法がある。今日来てた女の子は「自分に近いけど死んでない人間(=私)を目撃した」わけだから、心が強くなったはずだ。

こういう人間がいるってことが、私がただ生きてることが、誰かの役に立つのは本望だ。

今年は自分一人が生きる分だけ稼ぐ。

来年度は周りの人にもそれを伝える、救う、雇用を生み出す。

そういう人になりたいと思ってる。


人間、本来は寿命が来て死ぬ。病気には逆らえない時もあるけれど、本来は生物学的な死=人間の死だ。

だけど今は、社会的な死(会社を辞める、クビになる、お金がない)が死に直結してしまう。自殺。

社会的に死んだって、生物としては死なないのに。

社会的な死が命の終わりに直結するのは、悲しいことだ。社会のよくわからない仕組みや常識のせいだ。

金谷に来れば、死なない。週3日レストランで働けば死なない。もしレストランで働くのも難しくたって、周りに雇用や優しさが落ちてるので、それを拾えば食いつなげると思う。

サバイバルな生活をオススメしてるわけじゃない。余裕があるに越したことはない。

だけど、社会の底辺を綱渡りしてる人でも「生物として死ぬ時以外は死ななくていいよ」って言いたい。

そういう場所、仕組みを作りたい、私も。

だから私はまだ死ねない。

最近、死ねない理由がどんどんできてくる。

それは幸せなこと。

死ねない理由がどんどん増える、それが幸せ。

死にたいと思うことで救われる気持ちも確かにあるけれど、それでも死にたいと思うことは悲しい気がする。

サポートはお菓子代になる予定です