キャリアカウンセラーの方と3時間話したら、意外な発見があった

なんだか機会にめぐまれて、キャリアカウンセラーの人とがっつり3時間もお話した。ありがたいことだ。

自分がなんとなく考えていたことを確信に変えてくれたり、長年の疑問に対して答えをくれたり、かなり良かった。

まぁ今後自分で考えて、実践していかないと意味ないので、満足度は75~80%としたけど。本当は120%と言っても過言ではない。それくらい有意義だった。

内容はややこしいので、全部はここには書かないけど。

そういえば、中学~大学まで、つねにカウンセラーに相談してたな。カウンセラーと、保健室の先生と、精神科医をつねにキープしてた。

なのに社会人になってからは、カウンセラーやメンター的な立場の人がいなかった。だから迷走してたのかもしれないね。

今日印象的だった話のひとつが、「なぜわたしは、向いてないはずの養護教諭や看護師を目指していたのか」というもの。

わたしはどんな性格診断をしても、養護教諭や看護師のような「人を直接サポートする仕事は向いてない」と出る。

実感もしてる。

バイトや教育実習でそういうのを経験しても、「向いてないな」と思った。

なのに、
サポートする仕事ばかり志してしまうのは何故か?

キャリアカウンセラーさんいわく、「人に勝ちたい欲求(マウントを取りたい欲求)が強いので、あきらかに自分より弱い立場の人と関わることで、勝っている気持ちよさを味わってたのではないか」みたいなところに行き着いた。(表現がちょっと違うけど。)

たしかにそうだな、と思った。

実際、児童相談所で働いてるときは、自分のプライベートがとても辛かった。辛いとき、勤務するたびに「この子供たちは私より人生が詰んでいる。詰んでいる者同士、仲良くしよう。私は詰んでいる君たちに優しくして、自分を保っているよ。」などと思っていた。

あきらかに自分より詰んでる人に優しくすることで、いい人になった気分だった。自覚があった。

だから、サポートする仕事の中でも、とくに「めっちゃ困ってそうな子供」の相手をするような養護教諭や児童相談所の職員に興味を示していたんだろうね。納得でしかない。

サポート系の仕事は向いてないと客観的にも教えてもらえて、スッキリした。長年の「いつかは養護教諭にならなきゃ」という囚われから解放された気分。

つぎ。
印象的だった話の二つ目は、じつは家族とあまり仲良くないんじゃないか?家族に期待してないんじゃないか?という話。

個人的には家族と喧嘩することもなくて、ずっと家族と仲良い方だと思ってたので、「まじ?そうかな??」と「?」だった。

でも確かに話を進めてみると、親と深い話はしないし、頼ったこともないなぁと感じた。

父は家にあまりいなかったし、私が不登校になったときに話も聞かずにぶちギレてきたから、そこで心を閉ざしたなぁと思い出した。父の仕事の都合で転校したので、その恨みもあったかもしれない。

母は少しメンタルが弱くて、私が不登校になったり自殺しようとしたときに、号泣した。子育ての本を買い漁ったり、家に塩をまいたり、あらゆる病院に連れていかれたこともさっき思い出した。

そんな母を見て、「私がマイナスなことを言うと母が号泣するから、言わないでおこう」「母に言わなければ、家は平和だし、私に金を使わせることもない」と感じたなぁと思い出した。

少し経ったら母は「あんたは生きてればオッケー」と言った。それは母なりの「そのままでいいよ」って気持ちだったかもしれないが、母の本心は「ななにまっとうな人生を期待するのは辞めたから、好きにしてくれ」だったんじゃないかと思う。

いまだにたまに、「生きてればオッケー」と言われる。それは子供である私にとって慰めになるというよりは、期待されてないなって感覚。

まぁ、親のことは問題だと思ってないので、いいんだけど。親との関係性が微妙だなんて気付かなかったから、今日発覚して面白かった。

そういえば、わたしは小学3年生から日記を書いている。かきはじめた理由は、「親が私の気持ちを分かってくれないから」。自分が親になったときは子供の気持ちを分かってあげたいと思い、「八歳の子供の気持ち」をノートにかきはじめたんだよな。子供の気持ちを分かる親になりたかったんだよな。

ってことは、八歳の頃にはすでに、親にメンタル面で頼るのを辞めているってことだ。早い。八歳の頃にはすでに、自分のことは自分で考えて、決めているんだよな。

たしかに今までの人生、すべて自分で決めてきた。塾も習い事も進学先も、幼稚園のころから自分で勝手に情報を集めて決めていた。

長い間、一人で生きてきた感覚が強いのかもしれないね。

だからこそ恋愛(だめんず)に依存してきたわけだし。

キャリアカウンセリングというよりも、過去への納得の面の方が印象深かったかもしれない。

つぎ。
印象深かった三つ目は、わたしは周りのことを気にしすぎる、ということ。これはあらゆるカウンセラーさんに言われることなんだけど、未だに自覚はない。むしろ、他人を気にせず生きてる方だと信じていた。でも、違うらしい。

本当の意味でまわりを気にせずに、比較せずに生きられるようになれば、幸福度は上がるんだろうね。そうなりたいね。これは、どうしたらいいのか分からない。Twitterをやめたのが、第一歩だと信じてる。

ようやくまともに生きられる環境を手に入れたので、ようやく人間として生きる準備が整った。

子供のころから「大器晩成」という言葉が好きだった。大器晩成してくれなきゃ、わたしの人生どうなるんだよ、大器晩成してくれよ、と願っていた。

25歳で土台が整ったのは、マシだと思う。想像よりマシだ。だって、20代で恋愛をこじらせて自殺すりもんだとばかり思ってたから。大器晩成してくれ、わたしの人生よ。

成仏してくれ、悲しい記憶たちよ。

金に困らない人生を歩んでくれ。下手に他人の子供を傷つけないように、自分に合った仕事をしてくれ。

成仏してくれよ、自分。なんとかいい感じに生きてくれ。八歳の自分を救ってくれ。

サポートはお菓子代になる予定です