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#3 自らの身体で傷つき修復する事の愉しさ

約二年間、自分と向き合い続け、至った知見や境地がありますので、それらを自分の為にまとめていきたいと思います。 20代で知るべき自分の好きな感覚 まず、これから先の人生を彩っていく為に、重要なことを知れました。 それは、自分の好きな感覚です。 私の好きな感覚は、自分の指標に基き、成長を感じる事です。 自分以外の全ての事は度外視で、自分の興味を持ったことを少しずつ成長させてゆく。 読書で言えば、論語を読むことにはまって、論語で学んだことを実生活で実践していく楽しさを知り、

    • #2 喝と大事なもの

      最近はたるんでいる。 メリハリなく、時間を浪費している気がする。 一度、気を引き締めなおそう。 こういう時は、内面と向き合う必要がある。 今日思った事がある。 こうしてメリハリのない生活をすると、ゆとりがあって安全で楽ではあるけど、つまらないし、なによりそんな自分が好きではない。 人生においても同じで、無事安泰で終わりを迎える人生も間違いはないが、私にはちと物足りないのだと思う。 超えるべき壁がたくさんあって、傷だらけになっても、譲れないものを追求していくような生き方が

      • #1 誰もが哲学者になる時代の到来

        正解なんて幻想が消え去りそうな現代では、各々が正解という名の納得を生み出していく必要があるわけだが、そうした貴方の哲学の始めは基礎から学び、派生させていく必要があると思うんだ。 事の初めは守であり、身についたものを壊し、親元を離れてゆく。 これがこれまでの人間の歴史から読み取れる学びの流れです。 生き方の学びを哲学と呼ぶことにしますが、学校ではこういった人間の根っこの重要なものをあまり深く探求できない。 世には、自分の生き方を追求してきた(している)偉大な哲学者がいる。

        • 日頃から人の気持ちに心から思いやる行動をする

          孔子先生は喪中の人と同席したとき、食事を腹いっぱい食べたりはしなかった。また、先生は喪式や法事に行って悲しまれた日は、決して歌など歌われなかった。 人の悲しみに同情できる当たり前の感覚を持っていたい。 これは人と人の繋がりにおいて最も重要なこと。

        #3 自らの身体で傷つき修復する事の愉しさ

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        • 私の哲学書
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        記事

          確かな感覚

          私にとっての書くこと 文章を書くことは私にとって心のメンテナンスのようなものだ。 人は生きているだけで色々な変化を味わう。 変化に伴って、心にも動きが発生する。 心の動きを客観的にみるために人は表現という手法を使う。 私は小難しい文章は書けないが、こうしてつらつらと自分の思う事を書くことにより浄化されるのだ。 未来について 私の頭はキャリアについて考える時間が多い。 今後自分はどうなっていくのだろうかと楽しみと不安な気持ちになる時がある。(楽しみの割合の方が多い) キャ

          確かな感覚

          やる気のない者を教えることはできない

          孔子先生は言われた。「自分から発憤して学ぼうとしない者には教えない。言いたいことはそこまできているのに、うまく言えないほどまでに、苦心している者でないと導くことはしない。一隅を持ち上げてみせると、他の三つの隅のことを進んで学び、分かろうとしない者には続けて教えない。」 学びとは、一朝一夕では成らない。 これは見る人が見れば、きっとわかる。 さらに言えば、かりそめの学びという鎧を着ても、心に定着していないから、どこかで浮ついてしまう事だろう。 教える側にもエネルギーがある。

          やる気のない者を教えることはできない

          学ぶ意欲を持ってきた者は必ず教える

          孔子先生は言われた。「私は入門、入学の手続きを踏んだ学ぶ意欲がある者は必ず教えることにしている。」 学ぶ意欲とは言い換えれば、原動力だ。 原動力はやらされでは生まれてこない。 心の底から手に入れようとしなければ、向こうも応えようとしない。

          学ぶ意欲を持ってきた者は必ず教える

          噛みついたら離すな

          さっそくだが、私はフリーターだ。 だけど、この生活に満足している。 自分の持ち時間が増えて、心を優先できるようになった。 おかげで生活にも明るさが出始めてきた。 激動の新社会人生活 さかのぼる事、2020年4月。 私は不格好なリクルートスーツを着て、大企業の入社式を迎えていた。 当時を思えば、中身のない少年がよくあんな立派な会社に入れたなと驚く。 働くことに対して何か思いがあったかと聞かれれば、NOだ! なんとなく新卒採用の時期が来たから、何となく皆と同じようにスーツを着

          噛みついたら離すな

          よく学びよく遊ぶ心がけを目標にしたい

          孔子先生は言われた。「正しい道を学ぶことを志し、その身に着けた徳を堅く守り、他人を思いやれる仁の生き方をしながら、そのうえで他人を適切に思いやれる仁の生き方に寄り添いながら、さらに自分の趣味、教養を磨いていきたいものだ。」 正しい道を学ぶことを基本とし、それに伴い生成される縁を育み、常に自分と対話し、良いものは取り入れ、間違いは認め、改良してゆく。 出来なかったことが出来るようになれば、自分の中に真の喜びが芽生える。 静を好み、動を尊ぶ。 今日、私は以下の学びがあった。 ・

          よく学びよく遊ぶ心がけを目標にしたい

          夢の中に現れるほどの熱心さも時にいい

          孔子先生は言われた。「私も随分衰えてきたものだ。尊敬する偉人である周公旦の夢を暫く見ないのだから。」 夢の中に現れるくらいに集中する。 自分の身体に耳を傾ける。 そこから出てくる自分の心に耳を傾ける。 この時間が好きだ。 ゆっくり。 今この時間を感じよう。 体の中の食べ物が消化してゆく。 気が整ってゆく。 これこそ至福のひと時か。 水もいいけどお茶だろう。 刺激からの緩和。 気の調整は繊細。 言語の壁さえも必要ない。 種類の壁さえも消し去る。 吾と心ここにあり。 自分で自分

          夢の中に現れるほどの熱心さも時にいい

          私生活は穏やかでありたい

          【訳文】 孔子先生が家でくつろいでいる時は、誠にのびのびし、にこやかで、いかにも楽しそうであった。 【思うこと】 オーラと言われるものは、その人のありのままの姿の時によく出る。

          私生活は穏やかでありたい

          いつも自分を省みる基準を持ちたい

          【訳文】 孔子先生は言われた。「①道徳が身につかなくなっていないか、②勉強と学問が滞っているのではないか、③正しいことを聞いても実践できないのではないか、④良くないことに気づいているのに改められないのではないか、この四つのことをいつも自戒している。」 【思うこと】 ①儒教における道徳とは「五常」=仁・義・礼・智・信である。 仁<他人に対する親愛の情、優しさ> 義<正しい行いを守ること> 礼<社会の秩序を保ち、人間相互の交際を全うする> 智<知識を得てかつ正しい判断が下せるよ

          いつも自分を省みる基準を持ちたい

          学ぶことと教えることは飽きない

          【訳文】 孔子先生は言われた。「わかったことを口に出して人に言いふらすこともなく、学ぶことを嫌に思うこともない。そして、人に合った教えを飽きずに与え続けることができる。これくらいが私の取柄である。」 【思うこと】 知らず知らずのうちに怠慢になり、謙虚な心を忘れてしまうのが人間だから、常に自分に問うようにしたい。「今の自分は好きか?」と。 何の曇りもなく、YESと言えるのなら拍手だ。 評価軸を常に自分の中に持ち続けていたい。

          学ぶことと教えることは飽きない

          古典、歴史に学ぶことで今に役立つものが出てくる

          【訳文】 孔子先生は言われた。「私は昔から伝わる古典や歴史に学び、それを基本として述べているのであって、何も全て自分で創作しているのではない。殷の時代に古典、歴史好きの老膨という賢人がいたというが、私もそのような人になりたいと密かに願っているのだ。」 【思うこと】 日々学びはあるが、学びのアンテナを作るためには出来るだけ良書に触れる必要があると思っている。良書の定義は人それぞれではあるが、私の思う良書とは端的に分かりやすく、それでいて味わい深い本。 最重要事項は、本を読んで

          古典、歴史に学ぶことで今に役立つものが出てくる

          仁とは自分が望むことを自分の周りの人にさせることである

          【訳文】 子貢が尋ねた。「もし、多くの民衆に施しをし、苦しみから人を救うことが出来れば仁者というべきでしょうか?」 先生がおっしゃった。「仁者どころではないよ。それは聖人の所業だ。しかし、(聖人と名高い)尭舜も全ての人を救うことが出来ずに悩んでいた。仁者は、自分を立てようと思っては人を立て、自分が成し遂げようとするなら、人の達成も支援する。これを日常生活で実践する。これを仁者という。」 【思うこと】 最近の私はいい加減に生活していたようだ。 質素で自分の心と対話出来ている状

          仁とは自分が望むことを自分の周りの人にさせることである

          本物はバランスがいい

          【訳文】 孔子先生は言われた。「過ぎることもなく、及ばないこともないという中庸の徳は、至上、至極のものである。しかし、最近これが失われがちなのは嘆かわしいことだ。」 【思うこと】 私自身、最近は感情の制御が出来ていないと思う。 それは自分のやるべきことが明確になっていないからだ。 もう一度、今年の自分の目標を認識して、淡々とやろう。 ・10月までに仕事を見つけて今年中に一人暮らしを始める 目標は、質素で心から願う事だけにします。

          本物はバランスがいい