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犬 中勘助著 (15)

※中勘助著『犬』という作品です。
※旧仮名遣いは新仮名遣いに、旧漢字は現在使われている漢字に修正し、読みの難しい漢字にはルビを振ってあります。

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15
 彼女は焼野が原となったもとの住みかを名残惜しく眺めやった。それからとぼとぼと歩きだした。いよいよ焼け跡を出ようとする時にそこに運よく逃げのびて邪教徒の毒手を免れたわずかの人たちが集まっていた。彼らは邪教徒の 去ったのをみて三々五々に戻ってきた。そうして目前に慘澹たる光景を見ながら性懲りもなくまたこの見込まれたような処に彼らの住居をさだめようとしているのである。彼女は彼らのそばを通ろうとして抑えがたいものいいたさの衝動を感じた。彼女は自分ひとりの胸に畳んでおくにはあまりに多くのおもいをもっていた。で、僧犬があわててとめようとしたかいもなく彼女は我を忘れてあられもない獣人の言葉をもって彼らに話しかけた。彼らは肝をつぶして彼女をみた。気味のわるい謔語みたいなことをいう狐色の牝犬を。そうしてかような際ではあり、彼らはてっきり彼女に魔が憑いたのだと考えて、彼女を打ち殺そうとてんでに石ころや棒きれをもって追っかけてきた。彼女は僧犬と一緒に命からがら逃げだした。彼女は自分の境涯のなんであるかをしみじみと知った。
 彼らは市外の森についてまわってから一つの川の渡渉場――それは聖者が 浴をとり、彼女が水を汲みなれたその同じ流の下流にあたっている――をわ たり、一つの丘を越え、幾つにも枝わかれした路をとおって、日の暮れる頃 ようやくチャクチャの町へついた。そこで彼らはやはり邪教徒に破壊された 天祠の廃墟を見つけてそこに住むことにした。崩れ落ちた瓦石の蔭にちょうど雨露を凌ぐに恰好な空洞が出来て、まだほかの獣の匂もしなかったし、そ れに一方口で安全であった。彼らはそこに疲れた四肢をやすめた。
 ほかの犬に対する懸念から彼らは毎日つれだって食をあさりに出かけた。彼女は人懐しかさに堪えずしばしば立ちどまってはじっと人の顔を見つめ、 またその話に耳を傾けた。
「ああものがいいたい。もとの姿になりたい」
 そればかりがおもいであった。人々のなかには時には食物を投げ与え、また稀には愛撫してくれるものさえあった。そんな時に彼女はいかに嬉しげに耳を垂れ、尾を振り、身をすりつけてその感謝と思慕の情を示そうとしたか。ただ彼女はあの苦い経験に懲りてどこまでも本物の犬でいることを忘れなかった。僧犬はそのように彼女が人間に狎れ親しむことの危険を懇々と説ききかせた。それは至極尤なことであったが、彼がそうする真の動機は実は別にあった。彼には人間に対する彼女のそうした態度は己に対する冷淡、嫌忌の反映であるように思われて、よしそれが性的なものでないまでも彼に邪な嫉妬を起こさせたのである。
 くよくよとみじめな犬の日を送るうちに彼女にとってつらいことがはじまった。それは当然早晚起るべきことで、しかも彼女が故らにそれを忘れ、若くは忘れたことにしていたところのものであつた。僧犬は彼女に交尾を迫りだした。最初のうちは産後まだ身体が本復しないという口実のもとにどうや 一日のがれをしていたが、それはいつまでもはとおらなかった。僧犬は彼 女の尻を嗅いでいった。
「そなたは嘘をいうている。そなたの身体はもうはい本復している。わしにはちゃんとわかっとるのぢゃ」
 彼は異性を嗜む者の忍耐と、根気と、熱心をもって諄々と彼女を説きはじめた。
「訳のわからぬことをいうものではない。二人は湿婆にめあわされた夫婦ぢぢゃ。わしの永年の信心と苦行が思召しにかのうたがゆえにそれそのかわええ、 そなたをわしにくだされたのぢゃ」
 ここまでいって彼は苦しげな様子をした。彼は自分のいうことが赤嘘であ ることについてはさしてなにも感じなかったが、己が彼女に授けられたもの だといおうとしてどうしても巧い理由が見つからなかったのだ。
「そなたはわしに授けられた。即わしがそなたに授けられたのぢゃ。よくよ く深い宿縁ぢゃ。二人は切っても切れぬなかぢゃ。う、湿婆がそうおきめな されたのぢゃ。う、湿婆の思召しはありがとういただかにゃならぬ。夫婦の 交りをするのはとりもなおさずあなたへのおつとめぢゃ。道ぢゃ。また楽し みの随一ぢゃ。そなたにはむつかしいかしらぬが、そなたは平生リンガを拝んだぢゃろう。あれは湿婆の陽根ぢゃ。それからリンガの立っている円い臺はあれはヨーニというておつれあいのパールヴァチー女神の陰門ぢゃ。めおとの神の陰陽交合の形ぢゃ。それ、の、この世のものは皆陰陽和合する。せにゃならぬ。わしらは神々のおたのしみにあやかりたいとお願するのぢゃ。神々になぞらえて睦じう交合するのぢゃ。の、よう考えてみいよ。それに湿婆が二人をこういう姿にしてくだされたには深い仔細のあることぢゃ。それは わしらが人間でいてはつれそうことができぬでというばっかではない。それはの、畜生の欲というものは人間よりはなんぼうきついかしれぬ。それだけ楽しみも深いのぢゃ。けれどが畜生にはそれぞれ起水の時がある。ところがわしらはもとが人間ぢゃによつて季節というものがない。それぢゃでわしらは、きつい畜生の欲でいつでも楽しむことができる。かたじけないおはからいぢゃや。わかったかの。う、ようわかったかの。さあ、わかったら子供げたことをいわずと、さあ」

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