小林憲侍

今はまだ天然パーマな会社員。

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マガジン

  • いただきますの事件簿

    至福の瞬間「いただきます」。そんな時に、起きてしまった出来事をまとめています。

最近の記事

犬だってトイレにこだわりたい。

駅まで歩いてた時のこと。 朝の時間帯は、ワンちゃんのお散歩によく遭遇する。この時期は日中暑くなったりするし、涼しくて、人の少ない時間帯が一番お散歩に適している時間なんだろう。 その日も、ワンちゃんのお散歩に遭遇。 あれは、たぶん、チワワちゃんだ。ひと昔前に一世を風靡したCM、「どうする?アイフル〜」に出ていたワンちゃんと同じ目をしている。 チワワちゃんは、電柱の下でおトイレ中だった。おトイレ後、うしろ足で一生懸命に地面をかいている。 けなげ。なんて、けなげな。 チワ

    • 明治維新を調べてみると、小田和正の音がした。

      明治維新が、マイブームだ。 「新撰組」がかっこいいなと思った。 司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んだ。 「るろうに剣心」でなに言ってるかわからん。 そんな理由だったら共感されやすかったのかもしれない。 しかし、このどれでもない。 では、なぜなんだと。 なぜ、暇さえあれば「中高生のための幕末・明治の日本の歴史辞典(国立国会図書館国際子ども図書館)」のページを開いているくらい、興味を持っちまったのかと。 きっかけは、作家であり、「夢をかなえるゾウ」の著者の水野敬也さんの

      • ごく普通のわたしが、人々に勇気を与えられるとしたら。

        勇気をくれる人とは、どんな人だろう。 たとえば、アラジン。 ディズニーアニメでよく知られているが、もともとは「千夜一夜物語」というお話集の中の「アラジンと魔法のランプ」。 貧乏人だったアラジンが魔法のランプで、夢を叶えてくというストーリー。誤解を生みそうなくらいざっくりだ。 アラジンをみて、「自分もあんな風になれるかもしれない!」と勇気をもらえるかといわれたら、もらえない。 勇気をもらうには、少しばかりの「リアリティ」が必要だと思う。魔法のランプを手にするリアリティは

        • 紅しょうが散乱事件

          あなたは紅しょうがが弾け散るのを見たことがあるだろうか。 この文章を打っている今、「紅しょうがが弾け散るってどゆこと。」と言いたげなあなたの顔が、ありありと浮かぶ。それはもう4Kテレビくらいクリアに浮かぶ。 事件は、牛丼チェーン店「松屋」でおきた。 ひとつ伝えておきたいのだが、わたしは牛丼が大好物である。「あー、この辺牛丼屋しかないよー。いい?牛丼で。」と言われようものなら、むしろ牛丼屋を妥協案みたいな言い方しないでほしいと言い返したい。言い返さないけど。 だからその

        犬だってトイレにこだわりたい。

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        • いただきますの事件簿
          1本

        記事

          青い傘を広げたい。

          傘が曲がっている。 一点にちからがかかってグニャっと曲がっているのではなく、全体的にしんなりと曲がっている。金属の軸が曲がるほどのちからをかけた記憶はない。よりかかったり、杖のようにつかった記憶もない。いったいいつ曲がったんだろう。 雨の日にさす分にはまったく困らないくらいの、曲がりぐあい。しかし、気にならないかと言ったらウソになるくらいの、曲がりぐあい。これを機に、傘を買い換えようかなあという気持ちが芽生える。 しかし、傘ならなんでもいい、というわけではない。今の傘を

          青い傘を広げたい。

          新・三種の神器とわがまま。

          食器洗い乾燥機。 今や「新・三種の神器」のひとつとされているらしい、この家電に一度も触れたことがない。かろうじて触れたと言えることがあるとすれば、家電売り場の展示品の開閉ボタンを押したくらいだ。食器はずっと手で洗ってる。 食器洗いは「ごちそうさまです。」を言った瞬間がやる気の最高点だ。そこから、ジェットコースターのように急降下していく。シンクに食器をおいた時点で、食器洗いのやる気がゼロになっていることすらある。そして、あとあとにやる気が復活することは、まずない。 食器を

          新・三種の神器とわがまま。

          ギリギリセーフ。

          慣性の法則、というものがある。 止まっている物体に力を加えなければ、そのまま止まり続けるし、動いている物体に力を加えなければ、そのまま動き続ける、という物理の法則。理科も物理もきちんとやってこなかった僕は、このような法則だということを、さっき調べて初めて知った。 物理ではないが、この「止まっていれば止まり続ける、動いていれば動き続ける」は、考えるということにも当てはまるのではないだろうか。 何かを考える。そうだな、たとえばこのnoteの文章を考えるとしよう。うんうんパソ

          ギリギリセーフ。

          街歩きイズフリーダム。

          街歩きが趣味である。 趣味という言葉の定義は「手段が目的にすりかわったこと」だと、田中泰延さんの本に書いてあって、膝をポンと打った。なるほど、この定義なら、街歩きは立派な趣味となる。 歩くとは、目的地までの移動手段だ。ええ!歩きが移動手段んん!?と思った方は、いますぐGoogleマップで経路検索してみてほしい。「車」「電車」に次いで、徒歩があるでしょうよ!ここにあるならメジャーな移動手段と言って、さしつかえないでしょうよ! 街歩きでは、歩くは「目的地への移動」という手段

          街歩きイズフリーダム。

          その視線にドキドキな朝。

          おじさんが、こちらを見ている。 朝の通勤電車である。それなりに満員な車内で、隣のおじさんが完全にこちらを見ている。なんなら上半身をひねって、しっかりこちらを見ている。しかも、ある程度の時間ずっとそのままである。 こういう時、目を合わせてはいけない…というか、目を合わすことができない。これは、きっと過去の経験から学んだ防衛機能なのだろう。あれは中学生の時。部活からの帰り道、とぼとぼと一人帰っていた時のことだ。 歩道のない狭い道があり、後ろから車が来てないかなーと振り向いた

          その視線にドキドキな朝。

          いつかは髭ダンディズムに。

          充電池は、いじわるだ。 彼らは肝心な時に、なくなる。懐かしのモンハンでもやろうかしらと思ったときに限って、PSPは充電切れ。好きなアーティストの新曲が配信されたという時に限って、イヤホンは充電切れ。そして、朝寝坊してしまって1分1秒をあらそう時に限って、シェーバーは充電切れだ。 顔の右半分をそりおわった時に、突然モーターが止まる。充電してくださいのマークがチカチカ点滅している。なんで今だ。最初から動かなければ無精髭ですんだのに。とんだアシンメトリーフェイス。ある意味、芸術

          いつかは髭ダンディズムに。

          メンコとショベルカー。

          ふと思い出した話。 あれはまだ、ピッカピカの小学1年生の頃のこと。 家のすぐ近くで、工事が始まった。新しい家が建つらしく、物心ついたころからあったボロボロのちいさな倉庫みたいな建物が、あれよあれよと解体された。何もなくなった倉庫跡地に、ショベルカーがきた。 憧れのショベルカー。なんでかはわからないが、当時、一番好きな乗り物がショベルカーだった。ショベルカーのおもちゃも、5台くらい持っていた。 そんな憧れの乗り物を、間近で見るのは初めてだった。しばらくずーっと見ていたが

          メンコとショベルカー。

          マンモスが未来を救う。

          ジュラシックパーク。 見たことはなくても、一度は耳にしたことであろうこの映画は、現代に恐竜を復活させたところから始まる。 たしか、樹液の化石(琥珀)に入っていた恐竜の血を吸った「蚊」から、恐竜の遺伝子を採取することでよみがえらせたというような話だった気がする。LEGOとお絵描きにしか興味のなかった小学生のぼくは「蚊って、恐竜の皮膚も刺せるんだ。すご。」とぼーっと見ていた。その後、ティラノサウルスにビビり倒すことになる。 そんな映画の話だった絶滅生物の復活。この研究が、太

          マンモスが未来を救う。

          あなたが勧めてくるならば。

          人に、本をすすめる。 つい話の流れで口から出てしまう、これ絶対読んでほしい、というような言葉。これは時に、相手に変なプレッシャーをあたえかねない。絶対に読まないといけない。読んで感想を言わなきゃいけない。そう思わせてしまっては、もはや脅しに近い。新手のカツアゲだ。感想のカツアゲ。 しかし、すすめた側には当然脅している意識はなく、この本はきっとあなたのために書かれた本だ、とさえ思うこともある。いま悩んでいることのヒントがここから得られると思う。あなたのやりたいことってこうい

          あなたが勧めてくるならば。

          熱狂に出会いたい。

          スポーツ観戦で、熱狂したことがない。 電車に乗ると、鮮やかなTシャツを着て、鮮やかなタオルを持つ人がちらほら。調べてみると、近くでサッカーの試合があったようだ。いわゆる「サポーター」の皆さんだった。お疲れの様子を見るところ、さぞ、熱狂したんだろう。 スポーツ観戦で熱狂してみたいとは思う。熱狂している人に、少し憧れに近い感情すらある。「今週末は、試合だ!楽しみだ!」とか、「あの選手が加入した!すげぇ!」とか。そういう人を外から見ていると楽しそうだなと思う。しかし、いざ熱狂し

          熱狂に出会いたい。

          指一本の労力

          読みたい本が、たまってきた。 本屋さんに行き運命を感じた本に手を伸ばしてしまうだけでなく、「これは気になる!」と思った本もネットでポチッとしてしまう。こうして、積読が積まれていく。積もり積もって、本がミルフィーユのようになっている。 読む時間がない、というわけではないはずだ。たとえば、電車での移動時間。たとえば、お風呂で湯船につかっている時間。たとえば、寝るまでのほんの少しのゆったり時間。これらの時間に、本を開かず、気づくとあいつに時間を奪われていることが多い。あいつとは

          指一本の労力

          ライオンの魚釣り。

          最近よく考える。 個人の能力は、その人が最適な環境にいることで初めて花ひらくものなんだよなと。 たとえばここに百獣の王ライオンがいる。立派なたてがみは勇ましく、サバンナを駆け抜ける筋肉と、獲物をとらえて離さないツメとキバをもっている。 このライオンを海に放り込んで、「さあ!アジをとってらっしゃい!」と言う。ライオンは泳ぎが苦手で、ゴボゴボと溺れてしまう。それに、サンマとアジの違いすらわからない。死に物狂いでおぼれながらとった魚がサンマで、「結果が出せていない」「なんて何

          ライオンの魚釣り。