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美術鑑賞は、不要不急だったのか?ピカソが追求した表現の自由に考える社会的な圧

「キュビスム展」@国立西洋美術館(上野)に行ってきました。

キューブを組み合わせたような表現が、キュビスムと呼ばれたのが始まり。
有名なのは、ピカソです。
3次元の立体を、むりくり2次元で表現したような、あの特徴的な美風を指します。

パブロ・ピカソ「女性の肖像」


いかに写実的に描くかが追求されていた時代に、キューブ的な表現をし始めるというのは、革命的というか、芸術の、表現の自由をすごく感じました。


ジョルジュ・ブラック「大きな裸婦」
ジョルジュ・ブラック「楽器」


キュービスム初期はまだ面白いのですが、そこからさらに抽象的になると、もはや何を描いているのか分からない時代が来ます(個人的には、残念な感じ)。



そこから、具体性を取り戻して、洗練されたキュービスムになり、ロシアあたりの合流もあって国際性も混交すると、芸術は国境を越えた方が面白い!と思えました。

ステパノフカ?「エレーヌ・エッティンゲン」

(ロシアよ、侵略戦争するより、芸術鑑賞しよう!)



最近は残業が多くて、なかなか美術館に行けなかったのですが、なんとか午後半休を確保して、実現できた美術鑑賞。

「人は、自由に表現していいんだな。自由に生きていいんだな。」

改めて、そう思えた時間でした。
自殺の増えた時代だからこそ、不要不急ではなく、人間に必要なものだったのではないでしょうか。



社会で生きていると、どうしてもいろいろな「圧」に押されて、<自分>が縮こまってしまうのを感じます。
家族を養うために、辞めることのできない会社。
会社に所属している以上は、断ることのできない残業。
子を養育している以上は、優先せざるを得ない子育て。

どこか自分以外の要素が強い社会的な圧で縮こまっている時は、「自分のペースで歩きながら、素の自分で、自由な表現に触発される自分のこころを味わえる。これが自分なんだと、社会圧から解放される」。
そんな美術鑑賞は、貴重な時間です。

ジョルジュ・ブラック「ヴァイオリンのある静物」
パブロ・ピカソ「少女の頭部」
ファン・グリス「本」


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