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悲しみの正体の、おはなし。


こんばんは。

最近は不安定な天気が続き、洗濯物を外に乾かしている最中に自然の洗濯機が猛威を振るい洗い直しするというのが日課になりつつあります。この時期はコインランドリーが大変重宝しますね。さっきも同じ境遇であろう人々が、夜な夜なコインランドリーで井戸端会議をしていました。田舎も悪くない。そう思える瞬間です。



そんな今日は、悲しみの正体のおはなしをしたいと思います。



突然ですが、悲しみはどこからやってくると思いますか?



ちなみに今回の悲しみは、辞書通りの意味合いとします。


人間の感情表現の一つであり、自己の無力感、挫折感を伴う。涙を流して泣く、独特の表情、意欲・行動の低下、自己へのひきこもりが観察され、胸がしめつけられるという身体症状の訴えもみられる。悲しみの生じる状況では、愛情や依存の対象が失われるという危機がみられる。この対象は人物の時に強く現れるが、仕事とか生き甲斐、自分の身体等も含まれる。



これを踏まえ、改めて悲しみはどこからやってくると思いますか?



私は、「 心の弱さ 」からだと思っていました。


心が弱っているときって、いつも以上に心拍数が早く思えたり、鼓動が大きく聞こえたりします。なぜかそういうときほど、心が手に取るように分かってしまう。それが、知らず知らずのうちに悲しさを助長させているのですが。


心が弱っているから、悲しみを真正面から受け取ってしまう。


これが、悲しみの正体だと思っていました。



これは耳にした話なのですが、ある精神分析医が、人の気分の移り変わりをいろいろと観察し分析するうちに一つの法則に気づいたそうです。



楽しい時期が終わりに近づくと赤血球が減り、悲しい時期が終わる頃に赤血球が増え始めるということに。



このように、悲しみの正体が実は赤血球の数の問題だと分かれば話は簡単です。悲しみは心の弱さの問題ではなく、身体の問題だということです。


ついつい、人間は悲しみを正面から受け取ってしまうと、複雑に考えてしまいがちです。

私は、感情に囚われやすい性格なので尚のこと実感します。


私のように感情に囚われやすく、繊細で敏感な人はこう考えると少しは複雑に考えすぎずにいられるのではないかと思っています。


時に、必要以上に悲しみに向き合い、自分自身のたったひとつの心を弱らせることがないように。お互いに気をつけていきましょうね。




それでは、また。


05/18/2021 (tue.)

chiho.





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