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宇宙の采配に任せるほかない

今日の寝起きは夢を見ていた。
やっぱり今の私の潜在意識のほとんどを占めているのがあの世界なんだ。
昨夜アルコールなんてのんでいい気分で眠りについたわけだけど、その前には怖いからと逃げてたことをまた一歩行動に起こした。
怖さのピークは超えて覚悟は決めていたけど、やっぱり人間的思考ではほんの少し怖さもあった。
本当に?本当に?それでいいの?って怖さを感じながら、もうどうなっても知らんからね?えいっ!て感覚で思い切って飛んだ感覚。

眠る前は酔ってはいても、思考では本当に間違ってなかったんだろうか?私はこの先どんな人生を歩んでいくんだろうか?って考え事をしながら眠りにおちた。
そして目覚めた朝。
まだベッドの中にいる時間。
私はその場所にいる。三次元のこれまでの険しい顔をした私ではない。
楽しくワクワクしながら日々を過ごしている。
まるで別人の有様。
そして久々にハートにいる魂が歓喜している感覚を味わう。もちろん日常の中でも感謝や喜びは多くて、
幸せだなぁと、すでに思える日々を過ごしているが、
私の魂がここまでわかりやすく歓喜してくる時というのはいつも決まって将来の自分の生き方に関して
踏み出したり、こうしたいって思いが湧き出てきた時だ。
私としては強い思いという感覚というよりは、
夢を見せられている状態なのだが、もうその状態自体は波動としてその次元に今この瞬間存在している自分でもあって。
魂こんなに歓喜するんや!!
へぇーって冷静にみている自分。
何にそれに対して喜びを感じるのかさえ、思考には理解できない。
が、とにかく私自身が幸せそう(というより幸せ)なので周囲の人も幸せそうなのだ。

うーん、ライトワークっつーのは、もろに私の前職でやってきたことのような部類が典型的だよなー。
あれがどっからどう見てもライトワークの部類にははまんないと思うんだけど…。
確かに括りとしてはそうなるのだろうが、私自身が喜びや幸せを感じることで、周囲の人へもそのhappyが伝播するということ?
何をするか?が重要なのではなく、自分が喜びを感じられるかどうかが大切?
思考でごちゃごちゃ考えてもよくわからない。
ただとにかく私が幸せそうであり、魂がこれほどにまで喜びを感じている…らしい。(他人事…)
さらにそのビジョンを見続けていたところで、
出てきましたね。もうひとりの自分…登場。
あーなるほどね。
ここでこう繋がるわけね!!
やっと今向かわされている道の意味が理解できてきた。何が私のこの先の人生でここに繋がって、何がもうひとりの自分と関係しているのか、全てが理解できた瞬間。

結局そうなるわけか。というか、思考だけが追いついていないだけで、魂たちはわかっていたのだろう。
だってシナリオは魂たちが決めてきているのだから。
だから私たち人間同士は何にも自覚がなくとも、私の魂も相手の魂もそうなることは知っているのだろう。
そう思うと、こんな何十年も生きてきて、本人は何も自覚がないのに魂の計画に沿って生きるべく仕向けられていたこの計画の壮大さには本当驚く。

最近ぼーっとしている無意識の時間は、ほぼ私はその世界に意識が飛んでいる。
細かな描写までみえてくるのだ。
本当人間的思考からしたら、未だに不思議で仕方がない。どうして私が??私の役目はそれじゃないでしょ?そう思うのに、魂視点ではそれしかもう見えていない。
ねぇねぇ、ズレてない〜?私のすべきこと絶対他にあると思うねん!他にしたいこと、あるでしょ??ってまた突っ込んでみたりもする。
見事に、しーーーーーーん。無反応で何ひとつ出てこない。
人間とはあくまで魂の入れ物でしかない。そこに思考というオプションがついてきてしまっているだけ。
結局主人公は魂なのだ。
私の自覚してきた特技や長所というものも、思考や三次元視点でしかなくて、
短所、苦手だと思って避けていることほど実は魂が1番今世で経験したいことでもあるらしい。

思えば不思議なもので。私的には今この地に移住してきたこと自体が未だに謎でしかないのだ。
何のためにどうして私はここにいるのか?
それがわからないまま1年が過ぎた。
1年前もう引越しは決まっているにも関わらず、わけもわからない私は混乱していた。
何度も何度もこんなのおかしい!と思って、
私やっぱり行かない!引越し自体やめる!私は一生ここにいる!と涙ながらに訴えたのだ。
けれど、今思えばあれは完全に宇宙の介入だった。
周囲の人たちが強力に後押ししてくれていた。
異常な程に全てがスムーズに動いていった。
「そりゃね、あんたにはここにいてほしいよ。でもね、あんたは行かなきゃいけない。というか行くべきなの!今この決断をへし折ったら、あんたは一生後悔するよ?だから行きなさい!決めたんだからやり通す!精一杯やりなさい!やり切ってやり切って、それでもダメだったらいつでも戻ってくればいいから。
あんたの戻る場所はちゃんとあるからね。」
そう言って最後の最後に何度も強く背中を押してくれたのは、なんと当時まだインナーチャイルドの傷だらけで1番不調和だった母親だったのだ。
そんな母親が1番の協力者であった。
そうして私は今この地に存在すること。
そして傷が癒えて円満になった今でも、誰よりも今の私を気にかけてくれている存在でもある。

そうやって宇宙というのは、
人間的思考では全く理解できなくとも、魂レベルでは理解していて、こうやって後押ししてくれていることを
今更ながらに感じる。
だから、ここからどうなったらそうなるのかさえ未知ではあるものの、宇宙的にはもうそうなることは当たり前で何度も思考が抵抗しようと阻止してもちゃんとそうなるようにできている。
だからごちゃごちゃ、何をどうしたらそうなるか?さえも考える必要がないのだろう。
そうなるものはそうなる。
それは私の魂が決めたら、そうなるのだから、
そうとしか表現できない。
それが宇宙の法則なのだ。
現実的には紆余曲折あったり、また途中で試練が間に入ったり、いろんなことがあるのかもしれない。
それでも結局寄り道をしたって、最後はそうなるようなできてるんだと思った。

直感を信じて行動しろ!というのは、全てはここなんだと思う。
それをして何になる?何の意味があるの?
思考がそんなジャッジをしてくるが、それ自体が魂、宇宙の計画なのだから思考がどれだけ阻止しようが、
抗おうが何度でも何度でも本人が気がつくまで仕向けてくる。
それに気づかなかったり無視をして生きるほどに試練も大きく膨れあがり、強制終了という形で現実にストップをかけてくる。

宇宙の壮大な計画は、実はもう私が10代の頃から始まっていたことを思い出させる。
どうして第一志望であった大学に、十分な成績、実力が足りていたはずの私は落ち、滑り止めであった全く予想もしていなかった地の大学に進まされたのか?
そもそもあの頃にその地で生きる経験をしていなければ、今の私がこのエリアに移住するという選択肢すら持つことはなかったはずで。
そうなれば、もうひとりの自分と今世出逢うこともなければ、今向かわされている課題に関しても全く縁のない今世となっていたことも。
全てはずっと前から決まっていて、宇宙の壮大な計画のもと、無意識ながらにそれに沿う生き方をしていたということだ。
何歳でこの人と結婚という経験をし、何歳でこの魂を我が子として迎え入れ、何歳でもうひとりの自分と出逢い、何歳で離婚という経験をして…
そんなことまで人間的思考には関係のない水面下で
着々と計画通りに進められてきたということ。
もうそうとしか考えられないのだ。

全て何もかも…こうなることは決まっていた。
自分の魂さえ忘れていた計画が、宇宙によって進められているだけ。
だから人間としては、しんどかったり、嫌だなーと思う体験を重ねながらも、あとは宇宙にまかせておく以外にない。
どうせそうなるのだから…。
それを夢を通じて伝えてきたのだろう。
そうは言っても入れ物である人間としては、ここから何がどうなっていくのか当然不安もあるけれど。
ただ私はもう自分の人生についてのオーダーをすでにしている。
だから途中また紆余曲折、寄り道体験をすることになるかもしれないし、あれれ?やっぱり道間違えちゃった?という出来事に遭遇するかもしれないが、
最後はビジョン通りのことを実現していくのだろう。

すごすぎる…!深すぎる!宇宙って何者よ?…


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