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ツインレイに出逢ったら最後…と言われる話

深すぎるテーマなので、サクッと私の現時点で思うことについて書き出してみる。
(※結果的にめちゃ長くなってしまった。)

もちろん今世での統合を望む、望まないの選択すら個々の自由であり、
必ずしもツインレイに出逢ったからといって
その道から脱してはいけないという縛りもない。
あくまで個人の選択の自由。
けれど、実質魂の強烈な望み、願いに抗うことはかなり厳しいと思う。

私自身もこの段階に至るまでに一体どれだけ放棄して逃げようとしたことか。
現実的にもランナーになったことも多々あったし、全てを断じて断ち切ることを試みたこともあったが、結局何をどうしたってまた引き戻されてしまうこの道。
宇宙のエネルギーに逆らえば逆らうほどに、
ますます苦しみが増すという事実。
現実も精神もズタボロ、極限まで崩壊して、
生命を維持することさえギリギリの状態にまで追い詰められた。

一見ツインレイとは無関係と思えるような人生の中に起きていることも、全ては繋がっており、
自分の中で逃げていることからは容赦なく
そこと向き合わされる課題が降ってくる。
ひとつクリアしても、すぐにまた次の課題が降ってきて、休む、逃げることさえままならず…。
もちろんそこで逃避して、今世は離脱し、
来世以降に持ち越す選択だって自由ではあるし、
私もそうできることならとっくにそうしていたと思う。
だけどどこまで苦しみにのたうち回っても、どうしたって逃げることはできずにここまで進まされる流れになった。
ある意味では、この道から宇宙の強烈なエネルギーに逆らってリタイアする選択をすることのほうがさらに苦しみが大きいのではないか?と思う。
私の魂は諦めなかったので、今日に至るまでこの道を進んできてしまったのだが。

単なる恋愛の学びであれば、わざわざツインレイでなくとも
他にいくらでもこの世にたくさんいる人と体験できるだろう。
ただ、そもそもツインレイは恋愛という狭い世界ではなく、宇宙規模の大きな愛を学ぶプログラムであり、
相手はもうひとりの自分なのだから、どこまでも対であり、鏡であり、ふたつで完成形の相手なのだから
現実に起きていることを、人間という肉体を持ちながら宇宙の法則を学んでいくものであり、
この広い宇宙に他にひとりと存在しない、
唯一無二の片割れなのだから
それだけ苦しみや痛みを伴う、それほどに大きなプロジェクトなのだ。

自称ツインレイ卒業した私としては、
もはや過去のような激しい感情はもはや思い出せなくなっている。
これまでの自分の価値観を覆すような、三次元的には絶対に選ばないであろう条件の(本当に申し訳ないけど、三次元的には1番選ばないであろう条件の片割れ)
相手に、意味もわからず引き寄せられ、
どうしようもなく忘れられない感覚。
一体あの人の何がいいのかもわからないし、
もっと条件的にいい人だって、天邪鬼じゃなく
わかりやすく愛情表現してくれる人だって
いくらでも他にはたくさんいる。
どうしてわざわざこんなめんどくさい人と向き合わなくてはならないのか?
何度も頭を抱えた。
関われば関わるほどに、傷を抉られ、
どうしようもなく逃げたくなるのに、
どうしても離れたくない矛盾した感覚。
いくらツインレイ概念を知ったところで、私の思考は納得しなかった。
そんな宇宙の意図にまんまとハマるものか!と
必死に何年も抗ったりもした。

その数年間の間にもいろんな出逢いもあったし、
好意を寄せてくれる人もいた。
けれども、すでに以前のように恋愛感情のような感覚として、誰かを見ることさえできなくなっている自分に気がついた。
どれだけイケメンで、どれだけ尽くしてくれて、
どれだけ愛情をくれたとしても、
そこで満たされることもない。
思考ではいい人だな、かっこいいな、くらいには思っても、昔の自分のように相手に引き込まれることもなくなってしまったのだ。
だから物理的に親しくなったり、距離を縮めたところでどこかの時点で、
この人は何か違うと感じて離れる流れになる。
人間的思考では、絶対的にツインレイの片割れなんかより、楽で幸せになれる人というのは他にいくらでもいるはずで。
だけど、魂がそれを受け入れられないのだ。
ドMなのかよ?と思いつつも、
よくわからなくても片割れ以外の異性を
もはや「異性」として認識できなくなっていた
という感覚だろうか。

そこが今の私の判断を鈍らせている要因でもある。
例えばこれがツインレイという世界に引き込まれる前であれば、片割れとトリプルを比較するレベルでもなく、何の迷いもなくトリプルを選んでいたはずだ。
ただし今の私には正直わからなくなっている。
トリプルは本当に本当に素晴らしい人で、
1番苦しい時に寄り添ってくれて、どんな私でも丸ごと受け入れてくれる人だからこそ、
自分をなかなか受け入れられずに自分責めをやめられない私も、少しずつトリプルのおかげで
自分を丸ごと受け入れることができるようになった。私の覚醒段階も、トリプルと出逢ったからこそさらに日に日に引き上げられていく感覚さえある。
もともとが面食いだった私から三次元的に見ても、トリプルをイケメンと思わない人はほとんどいないのではないか?と思えるほどの容姿端麗、
内面にも不思議と何ひとつ不満も見つからない。
そんなトリプルのことは大好きだ。
ただ、片割れとは何かが違う。
どちらかと言えば片割れとは同じエネルギー状態で、どっちもどっちみたいな感覚だとしたら、
トリプルはお兄さんみたいな感覚。
鏡というよりは、私を引き上げてくれる高い次元にいる存在…というのか。
トリプルに対しての好きという感覚は、人間愛?
そんな感覚。
では片割れに対してはどうかといえば、厳密にはこちらも今では人間愛的な要素が大きいのは確か。
現実的に私を選んでくれなくてももういいや〜!
どんな状況であれ、私は私で幸せに生きてるし、
あの人も幸せでさえ生きてくれてればもういいや〜!
その思いも本当だ。
だけどトリプルと敢えて違うところがあるとしたら、トリプルの人生においては何ひとつ気になるところもないのに対して、
片割れの人生においては、もうコントロールとか支配したいという思いはないにせよ、
無意識領域ではずっと気になっている。

やはり人間的思考と、魂視点では全く視点が違うのだ。
どちらが上とか優劣の話ではないが、結局私の魂が1番求めているのは片割れなんだと思う。
かといって、三次元的にこうしてくれないと嫌だとかそんな感覚ももうないのだけど。
そういえば夢にトリプルが出てきたことってないかも。
夢は潜在意識の領域。
現実的には真逆のことが起きていて、
トリプルと日常的に関わりを持ちつつ、
片割れとは一切の連絡も断ち、悩んだ末に現実的にも一旦リセットして距離を置くことを選んだ。

ツインレイという概念からは卒業しても、
魂の次元では私たちは何も終わってもいないこと、46時中自分の中に存在すること、
同じように相手も忘れていないことを潜在的に理解している。
結局のところ、トリプルと片割れ、どちらを選択するも私の自由であり、どんな選択すら良い悪いはない。
それも理解した上で、もうこれ以上の苦しみはごめんだよ、と思考では思いつつも
私の魂が「この人が私のパートナー」と認識しているのは結局片割れだということ。

私が気づくより先に、トリプルはそれすらはじめからわかっていたのだと思う。
思い返せばトリプルとは出逢った頃から、
言葉の端々にそのような表現があらわれていたから。
だけど今の私はその選択に、今ひとつ自信がなくて心底から片割れがいい!と言い切れるまでの覚悟ができないからこそ、
三次元的に敢えて決断を促すような流れをつくって私の魂の選択をファイナルアンサー!できるようにしてくれているようにさえ思う。

もちろんもうここまで成長を遂げてきた私には、
どちらに対しても嫉妬心や執着のようなネガティブな感情はない。
それでもどちらとも一緒に生きていくという選択は、三次元的には不可能。
私の魂として、選択をする他ないのだ。
私がどっちつかずで、本気の覚悟で選びきれてないからこそ、片割れもそのエネルギーを感じ取ってしまっているのだと思う。
問題なのは三次元的に距離を置いているとかそんなことではなく、エネルギー的に最終的に私がどちらを選びたいか?を明確に宇宙に示せていないこと。

もちろんそれぞれ片割れからも、トリプルからも学びはあるし、どちらを選択しても私の魂の成長には大きな影響を及ぼす存在であることには変わりがない。
どちらを選択しても、選択しなかった側とは完全に途切れてしまうということもないと思う。
最後の最後は、私の魂が今世でどんな学びをしたいのか?どんな生き方をしたいのか?
そこしかないのだと思う。
無意識とはいえ、私は物理的にも一旦全てをリセットして片割れに近い生き方を取り消し、
トリプルとも毎日一緒にいたところから、少しずつ距離を持つということをした。
それすらも、宇宙からは「自分軸で選択しなさい。どちらと生きていくの?」と本気の覚悟を決めるように促されているようにしか思えない。

もちろんここに至るまでもたくさんのご縁もあったけれど、それらのソウルメイトたちとは
迷いもなく選択を進めてこれた。
でもきっと、片割れを選択するのか、トリプルを選択するのかによって
私の今世の生き方やライフスタイルも違うのだろう。もちろん私自身の自分軸で、自分の自己実現をしていくということは変わらないにしても…。

苦しみを伴うのは当然片割れだ。
でも男性性バリバリだった私の女性性を引き出してくれたのは片割れであり、
最終的に1番苦しかった自分を責めるということさえ手放す流れをくれたのも片割れだ。
要所要所で必要な助言や促しをくれたトリプルもとても大切な存在ではあるが、
私が完成形になれるのは片割れであり、
トリプルではないのだと思う。
この時期に及んで思い出した過去。
先に見つけたのは相手で、私はしばらく相手の存在にすら気づくのが遅かったんだけど
内側から「やっと見つけた。やっと出逢えた」って声が聴こえていたこと。
分離期間に入っても全然この関係性に気づかない私にハイヤーセルフが「ツインレイ」と囁いてきて、
この関係性に気づいてしまった時、なぜかわからないけど号泣したあの日。
人前では絶対に泣かない私が、公の場で相手と話してる時に、訳もわからず勝手に涙が止まらなくなって号泣したあの日。
いろんな節目節目のことが思い出された。

人間的思考では、どんどん私自らが相手から距離をとる生き方にシフトし始めて、とにかく相手より自分の自己実現に向けて動き出したけれど、
魂は結局片割れから離れようとはしない。
相手に何かを求めるでもない。
現実がどうであれ、そんなんも丸ごと含めて私の魂は片割れといたいんだ。
思考ではトリプルと生きる道を選ぼうとしながらも、
何かに止められている感覚がするのは、
魂が諦めちゃいないって事だろう。
いつだって魂の本音を認めることは怖さを伴う。
思考は三次元でのあれやこれや、現実世界の環境に意識が向いてしまうものだから。
それでも最後は思考と潜在意識を合致させていかねばならない。
この道をきちんと覚悟を決めた先にしか、
私の本当にやりたいことは見つけられないようになっているんだろう。

どうしたってこの世界というのは、魂の願いが最優先されるのだから、抗ったところで逃げきれやしない。
たとえツインレイを卒業したとしても、それでも
もうひとりの自分である片割れからは逃げることはできない。
いい加減受け入れろよ、って思う自分と
認めたくない自分。
これまでさんっざん、いろんなことやらかしてきて、
最後の手放しも終えて、執着も何もかも取っ払って。
悪態もついたし、散々言いたい放題ぶつけてきて。
どの口が言えるんだよ。
それでも好きで、一緒にいたいとか。
どこまでいっても素直になるのは難しい。
ん?あれ?これ誰の感情?
これもまたシンクロしてる???
無意識の言動には隠しきれやしないのに、それでも思考では必死に隠そうとするとこ…、
私も相手もまんま同じだ。
でも今は三次元的に伝えても仕方がないと思うし、
私自らが距離を取る選択をしてしまったのだから。
今できることは、自分の中での魂(潜在意識)と思考の不一致を統一させていくこと。
(だから何度も、疑問系で好き?って連日テレパシーが飛んできてたのかな。私が曖昧なら、そりゃエネルギーでそれすら筒抜けてしまうものね…)

前に私が宇宙に投げたオーダーは、抽象的でどこか
宇宙に丸投げしてしまっているものだったから、
再提出を求められているのだろう。
あなた(の魂)は、本当の本当はどうしたいの?
真の望みにちゃんと気づいて!と言われている感覚。
そこに条件も執着ももうないけど、それでも
私(の魂)は、どれだけ優秀なトリプルがいてくれても片割れへの愛を止められないし、必要なよう。
ぶっちゃけ人間的思考では、ムカつく!くそ!このやろー!って思う時もある。
認めたくない気持ちもあるけど、そうして抗うエネルギーですら
実はこれも相手に向けたエネルギーではなく、自分自身に抵抗するエネルギーなんだろう。
まだ私にも、自分自身に抵抗していることがあったんやな。
トリプルさえそれを見抜いているからこそ、自分で本心に気づいて選択をできるよう促してくれてたんだ。
そんな役回りを請け負ってでも、私の成長のために
一役買ってくれる協力者。
どうしても現実的に相手を目の前にすると、揺さぶられていちいち腹が立ってしまうから、
そうなると自分の魂の本当の望みが見えなくなってしまうからこそ、また引き離すことを宇宙は引き起こしてきたんだな。
全てがまたこうして点と点で繋がっていく。
自分に抵抗するエネルギーがなくなるまでは、
どうしたってこうやって課題が降ってきたり、
分離させては自分と向き合うことをさせられる。
本当にね、もう出逢ってしまったら最後なんだよ。
どれだけ逃げても逃げても、たとえ三次元的にはトリプルと生きる道に動かしたとしても、
素直にならない限りは永遠に違和感は拭えることもなくて、何度でも宇宙は強制的に向き合わせる事象を引き起こしてくる。

私が1番最後に手放したはずの片割れ。
それが私が1番必要としていた存在だった。
(逆に相手は初期に、1番初めに私という存在を手放して今を生きているのだろうけど。)
いつかまたどこかで、この人生が交わることがあるのだろうか?
純粋なエゴのない愛からの選択であるならば、
きっといつか…。
もしまだ私にトリプルとの学びが課題として必要ならば、私も一度はトリプルと生きるという経験をさせられるのかもしれないしそれはわからないが、
いずれにせよ自分の魂の願いをへし折らないで、
大切にしてあげること。
相手は相手でどんな選択をしたって構わない。
私は自分の魂の願いを否定せずに、受け入れてあげること。
それが今の私にできること。

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