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病は気から?気を整えることの大切さ

今月も毎月の辛い周期がやってきた。
冷え性が重度なので、10代から割と重い方だと思う。
が、鎮痛剤を服用して気合いで何とか学業も、仕事も弱音吐くこともなく乗り越えてこられた。
ところが約3年ほど前から突然悪化した。
それまで全くなかった低気圧に滅多刺しになる体質になり、毎月のうち1日は必ず生理痛に寝込む体質へと変化した。公休日に当たればいいのだが、出勤日に重なるとアウト。
もはや鎮痛剤でも起き上がれないレベルの激痛。
元職場の職員はすでに閉経後の年代の方ばかりで、
そもそも汚物入れすら存在しないような環境でもあり、生理休暇なんて取得は甘えだと言われる風潮だったこともあり、なかなかに辛かった。
我慢我慢で生きていく程に、しまいにはPMSまで出てしまうようになり、過食や頭痛まで。
けれど目上の人たちの多い世界では、「生理や妊娠は病気じゃない」が常識で有給を使って寝込むことにすら罪悪感もあった。
今ではとんでもない、って思うけれどあの頃はそう思えなかった。

年代的に早めの更年期かしら?と病院に相談に行ったこともあったが、まだ早すぎやろ!とあしらわれる。
気のせい、気のせい。
その思い込みがさらに我慢を重ねさせて、どんどん身体の不調が増えていった。

今社会の時間軸に縛られない生き方を選択したことで、当時のような罪悪感を感じる必要もなくなり、
かなり負担は減った。
もちろんそれでも、なるべく予定を入れる時はその周期に予定が重ならないようにはしているけれど、
激痛で起き上がることさえできなかった時に比べたら、かなり軽減してきている。
誰かに遠慮せず、しんどい時は休養を取れる安心感が大きいのではないか?と思っている。
結局のところ、体調は本人にしかわからないから
誰かに理解してもらうことは難しい。

自分の「職場での立ち位置」「家族の中での役割」その枠組みに囚われ、自分がやらないと他に誰もやらないからしんどくてもやるしかない… その我慢が、体調面でも大きく負担になっていたのだろう。
「病は気から」という言葉がある。
あながち嘘ではないのかもしれない。
小学生の頃、発熱して胃腸炎に苦しんで保健室で寝ていた私に「痛いって思うから痛くなるのよ!」と、きっつーい言葉を放った養護教諭のことは未だ忘れられないが、それが正しいということではなくて、
自分の中の気が整っている時は、大きな病気には罹り難いのでは?というあくまで推測。
気というのはエネルギー。

自分の中のエネルギーが乱れることで、体調不良や病気という形で「自分と向き合うべき時ですよ〜。」とお知らせしてくれているのかも?と思うようになった。
もうこれでもか!!って嫌になる程、自分との向き合いを続けてくることで、かなり低気圧や生理痛も以前よりは軽度になってきた気がする。
気(エネルギー)を整えるというと、瞑想やレイキが有名だが どうにも私は瞑想があまり得意ではない。
けれど、幸い10年程前??くらいにレイキアチューメントを受け、様々なレイキは習得していたので
しばらく忘れていたのだが、少し前から思い出してまた日常的に取り入れるようになった。
瞑想は雑念が入っても、レイキのセルフヒーリングであれば身体に意識を向けるのでそれほど難しくはない。おまけに不調を感じる部位からは響きがくるので、長めにレイキを当てる。
副産物か、思考でごちゃごちゃ考えてても何となく落ち着いてぽやーんとしてくるので「ゆるむ」こともあってリラックス効果もある。
薬のように副作用もない。気が済むまで、宇宙のエネルギーを取り込むことができる。

土台の私の潜在意識の大掃除が、かなりクリアニングが進んだからこそ体調も大きくブレることなく、過ごせているのだろうとは思うが。
幸いコロナやインフル等の風邪にも罹患することなく過ごせていることに感謝。
もちろん外出時のマスクや消毒は、そこそこ気を遣ってはいるが、実の本人はあまり深刻ではないのだ。
罹る時は罹るし、罹らない時は罹らない。
そんな感覚であまり不安になりすぎないから、いいのかもしれない。

全ての病気が気から、とは言えない。
けれど、チャクラのことを学んだからこそ
ほとんどの病というのはエネルギー(気)の乱れから生じ、体調不良や病気という形でその人に気づきを与えるために起きているのかもしれない。
というのが今の私の感じていること。
病気があるからこそ、自分に向き合うきっかけになる人もいるだろう。
どうして自分ばかりこんな目に遭うんだろう?と思う人もいるだろう。
でも宇宙は平等だ。自分の見えないエネルギー(気)を目に見える形で示している。
これからも自分の内面との向き合い、レイキを通して見えないエネルギーを整えていこう。


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