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ツインレイに華やかさなんてない

ツインレイは恋愛ではないと大々的に言われる。
これはもう本当だと、つくづく感じる。

そもそもツインレイの情報を集める時期ってのは、
ツインレイに憧れている人や、執着心の強い初期が多いから、
ツインレイ=運命の王子様的なイメージの図式になるのか。

自分の数年間を総振り返りしても、
とてつもなく引力がありつつも、片割れに対して
「恋愛相手」みたいな捉え方をしたことって、ほぼなかった。
もちろん時期によって感じ方の変化はあれど、
明らかに過去の恋愛経験とちがいすぎるからこそ、
恋愛相手として捉えたことがない。
そもそも始まりから、頭の中はハテナだらけだったし。この人って何者?みたいな。
当時はまだ地の時代で、今ほどツインレイという言葉も流行ってなかった。
で、結局年単位の時間をかけて最終的に再会しても感動なんてものはない。
あ、いたわ。全然変わってへんやん。以上!

おそらくサイレントが長ければ長いほど、すっごく相手に期待してしまうと思う。
再会したらめっちゃ楽しくて盛り上がって〜みたいな。
そんなの皆無!こんっなに感情ってフラットなの??って逆パターンで驚くやつ。
相手の言動やら何見ても、何も感じない。
人間観察視点で、淡々と相手を見てる感覚。
私はそっちの意味でギャップを感じた程。
あんっなに会いたくて待ち望んだ瞬間も、
実際目にしたら、何の感動もない。
別にどこにでもおるような人間やな。以上!

特別に他の人に比べて何かが優れているとか、いけてるとかでもない。良くも悪くもフツー。
魂視点ではない人間視点からしたら、
大したことないやん!とまで思う、なかなか厳しい自分も!!ここらへんはもともとの自分の性格や価値観によるとは思うけれど。
そもそもツインレイって男女ともに、好みのタイプからはかけ離れてるものやし。
無条件の愛を学ぶ道だから、はじめから条件に当てはまる人が相手じゃ学びにならない。
相手からみる自分も同じで、(人間的視点では)大したことのない異性。

数年かけてみて思うのは、相手は自分でしかないので
そもそも恋愛対象ではなく、人間愛。
でもはじめは、そんな唯一無二の人の存在なんて信じられないから、
何なのこの人〜!タイプじゃないけど落ち着く〜みたいな、不思議な感覚に陥る。
初期は戸惑いしかない。
どうしてタイプと真逆の人がそんなに気になるのかが、わからなくて困惑する。
サイレントという名の分離期間があるからこそ、
人間は未来に期待を持ってしまうけど、
結局そうなってみるとやっぱり恋愛的な華やかさはない。
鏡をみているだけ。当たり前にそこにいた、みたいな感覚。 
再会した人あるあるじゃないかな。

さらに私が1番感じたのは、初期はお互いが相手のために何かをしてあげたいって思うけど、
再会してみたら、相手は相手の人生を歩いていて、
自分は自分の人生で
双方が自立して生きているんだなぁって感覚。
ツインレイプログラム自体が、自立を促す学びでもあるから。
確かにどこまでいっても、片割れというだけあって
もう1人の自分なのだから、
根底にあるのは信頼感。
エゴが出てくるから、いろんなネガティブ感情が出てきたり、
他の人の前では見せたことのないような
激しい負の感情が露わになってしまうのは変わらないけど。
実際本当そうだった。
私ってここまで毒舌だった?って思う事もあるし、
相手を見ていても同じ。
あんなに普段冷静淡々として、何を考えているのかまるでわからないような雰囲気でも、
私にだけは激しい感情を出してくる。
それも成長や年月とともに、段々振れ幅は小さくはなるけど、それでも完全に消えることはない。

意味のわからない言動を相手がしていても、よくよく分析してみると
相手は意図的にしていることではなく、完全に無意識。無意識だからこそタチが悪い。笑
ツインは男性も女性も構ってちゃんなのだ。
思うようにならないと、無意識に激しい怒りを出してくる。これがエゴによる支配欲。

何とも夢のない話になってしまったが、
本質はそこではない。
無意識(潜在意識)の自分を出せるからこそ、唯一無二なのであり、希少。
相手を通して自分自身の状態を客観的に知ることができる。
何だかめちゃくちゃ現実的で、一見ネガティブな事ばかり書いているようでもありつつ、
やっぱり根底にある信頼感や、落ち着きは最初から最後まで消えない。
プロセス自体は人生の大転機だらけで、ジェットコースターみたいではあるけど、
実際はすごくシンプルで、恋愛のような高揚感ではなくて、家族みたいな親友みたいな、同士みたいな
当たり前に存在していて、1番幸せを願いたい相手でもある。

数年間の学びから、自分とは何者か?をこれでもかってほどに知ることになり、自分の知らなかった一面をたくさん見ることになった。
いいところも悪いところも全部。
だからこそツインレイには、華やかさはない。
けれど、これを三次元的視点でみると
長年連れ添って生きていく夫婦なんかは、
何十年も恋愛感情のある夫婦なんて存在しないし、
それよりもっと洗練された信頼関係や、安心感があるからこそ
仮面夫婦にならない夫婦は長続きする。
だって相手はもうひとりの自分なのだから。
あくまで違うのは肉体だけ。
初期はそれがまだわからないけど、
再会する頃に気づく。

あんなに初期に、お互い相手にしてあげたいって思っていたところから、
もう自分が何かをしてあげなくてもこの人は
ひとりでも生きていけるな、って自立に気がつく。

けれど、人間として肉体を持って生きているうちは
エゴが0になることはありえないから、
生涯ずっと学びと言われるのだ。
実際私もそう感じている。
相手の現状をみることで、あーこりゃまだまだあかんやん!って思ったってことは、
そのまんま私自身に、まだまだ未熟なところがたくさんあるということにも気付かされた。
もちろん闇があれば光もあるので、逆も然り。
自分がいてあげないとって思っていたはずが、いつのまにか相手はひとりでもこなせるように成長していっている。お互いに。

何が言いたかったかって、結局人はいろんなものを欲しがる生き物だけど、結局いろんな物を集めたり、
いろんな刺激のある恋愛をしたり、たくさんの経験を積んでも
最後にはシンプルに行き着くのだ。
ツインレイもそれと同じ。
いろんな寄り道をしたり、いろんな異性を試したりしながらも、最後は華やかさはないけれど
1番しっくりくるのがどんなに条件のいい相手でもなく、地味でも信頼感や安心感が消えることのない
もうひとりの自分。

私たちは皆自分の幸せのために生まれてくる。
誰かのためじゃない。親のためでもなければ、
子どものためでもない。誰かのためでもない。
自分が幸せになるために、たくさんの闇と向き合う道。
そのトンネルの先に見えてきたのは、期待していたような世界ではないかもしれないが、
世界が違う見え方になる。
自分はそのまんま、ありのままでよかったこと。
繕う必要とか、誰かのために頑張る必要なんてなかったことに気づく。

それが結婚という形の人たちもいれば、親友であったり、ビジネスパートナーであったり、形は様々。
いずれにしても、そこに強い信頼関係や安心感があるからこそ、
どんなに目に見えている相手がめんどくさい言動をしていても、それはあくまで表面でしかなく
もっと深い潜在的なところでは、何を望んでいるのか?
本心(潜在意識レベル)は何を望んでいるかを察知し、表面化している現実に惑わされることなく、
冷静に相手を信じることができる。

そう思えば思うほど、この関係は現実的な繋がりは
あくまで表面的なものでしかなく、
潜在的に決して切れることのない縁であることを感じる。
あくまで目の前の現実は現象でしかない。
たとえいま目の前にある現象が、とてつもなく受け入れ難い状況であったにせよ、
もし本物のツインレイなのであれば、
絶望ともとれる現実など関係ない。

華やかさもなければ、高揚感もないそんな相手こそが、シンプルで、誰よりも1番身近なのだ。
もう嫌になるほど、いろんな感情、エゴに振り回されて苦しんだ末に最後に出てくる感情は
「ありがとう」
「幸せでいて」
これに尽きる。
紆余曲折で、人間的にはしんどすぎる道であることには違いないが、
それでも今世でツインレイと出逢えたことは、
私の宝。
ただただ、幸せでいてほしい。
もうそこに初期の頃のような、相手を支配したい感情は消えていく。
そこに「存在してくれる」だけでいい。
恋愛とは、桁違いの経験を積めるもうひとりの自分。

いつだって、潜在的に幸せでいてほしい相手。
それがツインレイの片割れであった。


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