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存在の痕跡

 高校時代に通った塾で、古文の先生がある時「本屋の参考書は、自分の本ぐらいに思ってどんどん読んだらいいんだ」と随分乱暴なことを言い出した。知識を得ることに、もっと貪欲になれということだったろうと思う。
 生徒らが「えぇ!」と云ったら、「何なら名前も書いたらいい」と愈々無茶を言う。これもきっと、そのぐらいのつもりでいけということで、本当に書けという意味ではなかったろう。

 先生がそう云うのならと、その日から塾帰りに駅前の本屋で片っ端から参考書をぱらぱらやり始めた。さすがに名前を書くのは憚られたから、名前を書いた紙を栞代わりに挟んでおいたら、翌週見た時にはそのうちの一冊がなくなっていた。買った人は随分気持ちが悪かったのに違いない。

 二十代の終わり頃、酒を飲みながら木寺が突然ドストエフスキーについて語り出した。
「ドストエフスキーの『悪霊』は凄いぞ。お前、読んだか?」
「いや、『罪と罰』は読んだが『悪霊』はまだだ」
 すると木寺はニヤリと笑った。
「うん、まだか。『罪と罰』もいいけどな、うん。でもやっぱり『悪霊』だな。いいんだよ、『罪と罰』も。だけどやっぱり……」
「うん、そうか」
「そうなんだよ」
「どう凄いんだね?」
「それはな……」

 酔っ払って何を云っているのか判然しないが、そんなに凄いなら自分で読むのが確かだろうと思った。
 それで翌日、古書店を覗いたついでに『悪霊』の文庫版を買った。何冊かあった中で、一番古そうなのを選んでおいた。上中下巻揃えて五百円ぐらいだったと思う。

 家に帰って開いてみたら、上巻に写真が挟まっていた。
 若い男が二人、「三里塚」と彫られた石碑の前で並んで写っている。服装から、どうも六十年代から七十年代ぐらいらしい。
 知らない人の写真を持っているのは気持ちが悪いが、捨てるのも何だか気が引ける。それ以上どうしようもないから、挟んだままにしておいた。
 そうして四半世紀が経過して、結局『悪霊』はまだ一度も読んでいない。写真もそのまま挟まっている。

よかったらコーヒーを奢ってください。ブレンドでいいです。