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刀と怪鳥

 居合を習い始めた頃、自主練習する場所がないのに困った。
 最初はアパートの部屋でゆっくりやったけれど、うっかり普通に刀を振ってしまって天井を斬り付けた。刀は真剣ではないが、それでも刀疵は残ったから、それきり止した。
 退去する際、何の疵か問われるかと思ったら、大家さんは床と壁を見るばかりで頭の上には気付かないようだった。

 それからアパートの前でもやったけれど、往来で刀を振り回す人がいる、不審者だ、不真面目だと通報されそうだと思い付いて、これも止した。
 いくら真剣でなくたって、見た目には分からない。そもそも真剣かどうかは問題でなく、公共の場で危険な物を振り回す事自体が取締の対象になる。
 その意味では、往来で素振りをする野球少年だって取締対象だけれど、あちらは野球が上手くなりたいという目的がはっきりわかる。素振りをする少年に「貴様、隣家の老人を撲殺する練習をしているのだろう、不真面目だ」とやる人は恐らくない。
 それに対してこちらは、ただのサムライオタクとか武器マニアの中年に見えなくもないから、分が悪い。全体、当人にその気がなくたって、刀を振るという行為が元来殺人目的なのだから、愈々いよいよいけない。

 結局、日が暮れた後に近くの神社で練習するようになった。
 そこの祭神は武芸ではなく学業の神様だったからお門違いな気はしたが、何かを学ぶという意味で、武道だって学業の一環と云えなくはないだろう。

 始める前と終えた後に「お邪魔します」「お邪魔しました、ありがとうございました」と神様にご挨拶は必ずしたけれど、小さな神社で常駐している人はいなかったので、人には断らずにやっていた。
 ある夜、いつものようにヒョウヒョウと刀を振っていたら、本殿の裏からざっざっざっと足音がして、じきに知らないおじさんが現れた。おじさんは刀を見て「ひぇっ!」と怪鳥のような声をしたから、自分はぷっと笑いそうになった。
 近所の人が掃除でもしていたのだろうと思う。
 おじさんは何も云わずに出ていったけれど、「勝手に境内で刀を振る者がある、あれは全体どこの誰だ」となると面倒だから、神社で練習するのもそれぎり止した。


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