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謎の人の記憶

 アサイさんは、自分が物心付いた頃には既に祖父の家に出入りしていた。
 いつ行っても大抵いたからてっきり親戚なのだと思っていたが、どういう親戚かと母に訊いたら、違う、親戚ではないと返ってきた。
 祖父が高校教師をしており、アサイさんはその教え子なのだと云う。
 祖父は終戦後、親を亡くしたり家庭に問題のあるような教え子の世話をしたと聞いていたので、その中の一人なのかと問うたら、それも違うらしい。
 よくわからないけれど、口ぶりがあんまりいい感情を持っている様子ではなかったから、その件はそれぎりにしておいた。
 アサイさんは九州の訛りがあった。九州の人がどうして広島で祖父の教子になったのか、今となってはもう知りようもない。

 アサイさんは母や叔母よりも若く、口髭を生やしたダンディな人だった。
 ある日、母に「来てごらん」と呼ばれて台所へ行ってみると、「今からこのラジオでアサイさんの演奏が流れるよ」と言った。
 どういうことかと思ったら、あの人はそういう仕事をしているのだと教えてくれた。自身のバンドを率いて、サックスを吹いていたらしい。
 一度、やっぱりラジオ番組で演奏するからと収録スタジオに招待されたのを覚えている。母に連れられて行ったけれど、子供には何だか退屈で、結局アサイさんの出番前に帰ってしまった。帰る時に母が「ごめんなさい、子供がどうも退屈みたいで」と、すまなそうに謝っていた。
 アサイさんは「仕方ないですよ」と、気にする様子もなかったけれど、せっかく晴舞台に呼んでくれたのに、悪いことをしてしまったと今は思う。

 自分が小学校を卒業すると、「卒業祝をやりましょう、ぜひやりましょう」とそう言って、祖父宅の近くの店で鍋をご馳走してくれた。
 祖父は亡くなった後だったから、その時のメンバーは両親と自分と妹だった。
「足りなかったらじゃんじゃん言ってくださいね」と言い、「いや、もう、充分ですよ」と両親が遠慮する横から、「餅がほしい」と自分が言うと、やっぱりニコニコしながら早速餅を4個追加してくれた。鍋に餅を入れたのは初めてで、随分気に入ったのである。

 ある時、祖母が「もうアサイさんは来ないと思うよ」と言った。
 祖父が亡くなった後もアサイさんは時折顔を出していたけれど、警察がアサイさんについて何かを訊きに来たのだと云う。
「警察が? 何だったの?」と母が驚く。自分はテレビを見ながら、大人の話に聴き耳を立てていた。
「警察の人は教えてくれなかったから、後でアサイさんが来た時に訊いたんだけどね、『あれは、間違いだから大丈夫ですよ』とか、何だかはぐらかすのよ」
「でも、警察の厄介になるようなことをしているのなら、出入りされるのも困るわよねぇ」
「そうねぇ。それでチクリと言ってやったら、もう来なくなったわ」
「言ってやったのね」
「最後に、先生の眼鏡を形見にいただけませんかって云うから、あげたのよ。何か、一番汚れてるのを、『これがいいです』って持って行ったわ」
「そう……」
 アサイさんが単に祖父の没後も身内と交流を続けたかったのか、或いは何か打算的な狙いがあったのか、それはもうわからない。

 どういうわけか自分の父は一人で、アサイさんのことをアザイさんと呼んでいた。自分は、それでは戦国時代の人みたいだと思っていたが、今では家族でアサイさんの話をすることもなくなったから、別段どっちでもいい。

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