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ゼロサムとプラスサムで分岐がある [くま日誌]96号


ゼロサムなのか、プラスサムなのか?
というシンプルな問いは、常に念頭に置いておきたいものです。

この世界認識の違いは、結果として途方もない差をもたらします。


例えば、よく、
・高齢者の雇用が若者の雇用を奪っている、とか
・移民に仕事が奪われている 
などの主張を見ることがあります。

世の中はゼロサムの世界ではないので、これは誤りですよね。

実際は、高齢者の雇用が増えることで世の中全体で見れば付加価値が上がり、若者の雇用も増えます。


ゼロサムの世界は、奪う/奪われるという世界観です。
人になにかを与えれば、その分、自分のモノはなくなる。という世界観ですね。

これはですね、発想としては「自分さえよければいい」となってしまうんですよね。分かりやすい例ですと、詐欺の世界ですね。


以前、なにかの記事で読んだことがあるのですが、
非常に繊細な方で、その方は引きこもりになっています。

その理由は、
「自分が職につくことで誰か知らない人の職を奪ってしまっているのに耐えられない」

とのことでした。
これも、ゼロサムの世界認識を持たれている例だと感じました。


一方、世の中をプラスサムで見ることもできます。
相手に与えれば、世の中はさらによくなるし、その結果(時間軸は中長期で見る必要がありますが、)自分にも恩恵がある。という世界認識です。

相手が幸せになってくれれば、
それは結果として自分の幸せになる、という考え方ですね。


この「世の中はプラスサムである」という世界認識はよいコミュニケーションをする上で必須だと考えています。

善良な人間同士の人間関係は、
プラスサムになります。付加価値を生みます。


ゼロサムのコミュニケーションを(無意識でも)してしまっている場合、
徐々に、自分でも気づかぬ内に、人間関係が閉じていってしまいます。

負のスパイラルに陥ります。

常に相手から奪おうとして、「くれくれ」と連呼するわけですから、
当然、付き合う人も減っていってしまいますよね。


かなり前の話なのですが、将棋道場に行った時の話です。
将棋と言うのは、指す相手がいなければ成立しないゲームです。

結構、高齢者の方で賑わっていたのにもかかわらず、
ある方は、指す相手を見つけることができず、ポツンとしてらっしゃいました。


自分は、その人に話しかけて勝負することになりました。結果、自分が勝利したのですが、負けが確定した時に、その人は盤上に駒を投げつけてきたんですよね。

あー、これが原因で誰も、この人とやりたがらないのね、と合点がいきました。


狭義の意味では、勝ち/負けの2つをやりとりしているゼロサムのように見えるかもしれません。

ですが、ゲームと言うのは、相手がいなければ成立しないものですし、
自身のスキルを上げるという点にフォーカスした場合は、誰も不幸にならないプラスサムのゲームであると見立てることもできますよね。


世の中のニュースにおいても、多くがゼロサムの世界認識によって引き起こされている事件に溢れているような気がします。

そうではなく、プラスサムの世界認識を持つことで、
自身もより生きやすくなりますし、世の中もよりよくなるのではないでしょうか。

■まとめ
ゼロサム/プラスサムのどちらの世界認識をしているのかは常に考えておく価値のある問いである。

ゼロサムは奪う/奪われるの世界になり、長期逓減の修羅の道につながる。
プラスサムは、長期逓増の幸せの道につながる。

常にプラスサムの世界認識をもってコミュニケーションをとっていきたいものだ。



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