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ちっぽけなわたし

いつものように、サトル君が木の枝で道に丸をいくつか描き始めた。
すぐ側では小さな子が毬付きしている。
少し離れたところでは3人の女の子がゴム飛びをしていた。
 
黒土の舗装されていない道路は子供たちの遊び場だった。
豆腐屋やら団子屋、氷菓子屋といった移動販売のリヤカーが来れば即席の店屋になり、紙芝居がくれば小さな劇場ともなった。
歩く以外の交通手段は路面電車や蒸気機関車、乗合バスが主だった。
荷物を運ぶのは荷馬車やトラック、機関車だったので、主要な道路以外に自動車が通る事などほとんどない時代だった。
 
「おっし!ケンケンパーやろうぜ」
言い出しっぺはいつもサトル君だ。
今日のサトル君はいつも以上に真剣で、ズックをはいた左足を軸に全身を使って丸を描いている。
描き終えたあと、自分が描いた丸を眺めて満足げににたっとした。
「サトル、なんだか今日の丸って大きすぎない?」
カズト君が丸を指さし不満気に言った。
「小さい丸だと簡単すぎてつまんないだろ」
サトル君は少し怒った顔をした。
「ナオちゃん、これ飛べる?」
カズト君の顔がこっちに向いた。
眉毛の上のほうで一直線に切られた前髪の下のまん丸とした目を細めて、じっと私を見つめる。
サトル君は横目でちらりと私を見た。
 
カズト君とサトル君と私は、同じ幼稚園の年中さんだ。
同じ年中さんなのに、サトル君やカズト君は私よりも頭一つ以上背が高い。
 
私よりもずっと背が高い二人に囲まれると、押しつぶされそうな気持ちがして、いつも言いたい事が言えなくなってしまう。
「だ、大丈夫」
サトル君のように体が大きくて運動が得意な子でも難しいと思えるような大きな丸なんか、私に飛べるはずもないのにそう答えてしまう。
カズト君もサトル君ほどではないが、私よりもずっと背が高くて少しぽっちゃりはしているものの、そこそこ運動は出来る子だった。
「じゃ、始めようぜ。まずはじゃんけんな」
 
サトル君が握った手を振り上げたその時、少し遠くからひづめの音と車輪の回る音がした。
その音で私はほっとした。
他の二人もその音に気が付いたようだった。
三人は音の聞こえる通りの先の道角を見つめた。
ゆっくりと茶色の大きな馬の鼻づらが見えたかと思うと、こちらに向かって荷馬車が近づいてくる。
道の端に避けたとき、カズト君だけが反対方向によけてしまった。
 
私達の前を荷馬車が通り過ぎようとしたとき、馬は小さく振るえぼたぼたと糞をした。
飛び散った糞が体にかからないように、私達は慌てて出来るだけ道の端へと移動した。
やっと馬車が通り過ぎると、ケンケンパーの丸は馬糞で見えなくなっていた。
 
「ナオ、馬糞踏むとでかくなれるんだぜ」
少し声をひそめてサトル君が私に耳打ちした。
「え?そうなの?」
私はびっくりして思わずサトル君の方に顔を向けた。
目の前のサトル君は少し顔をしかめて真剣そうな顔つきをした。
「ここだけの秘密な。本当はオレもカズトも馬糞を踏んででかくなったんだ」
その言葉を聞きながら、目の前の馬糞を見つめた。
これを踏むと大きくなれる?
大きくなれれば、運動も出来るようになって、強くなれる?
そうなったら、言いたい事も言えるようになる?
 
道の反対側から馬糞をさけて、カズト君がこっちに近づいてきた。
「一銭店屋に行こうよ」
「そだな、オレは今日はおでんにしようかな」
私は一銭店屋に向かって歩きだした二人の後ろを黙ってついていった。
 
一銭店屋の周りは多くの子供たちがたむろっていた。
メンコをしてたり、コマを回していたり、買って来たおやつを少しずつ分け合っていたりしていた。
「おばちゃん、味噌おでんください!」
店に入った途端、サトル君は10円を手のひらに乗せて大きな声でおでんを注文した。
カズト君は店の中をあれこれ見渡して、ガムを手にとっては戻し、チョコを持って首を傾げたりしていた。
店に中には駄菓子やビー玉、メンコなどのおもちゃが所狭しと置かれていた。
くじも何種類かあって、ほとんどが10円で買える物が多かった。
 
私は、というと何も買わずにお菓子とは別の、少し高い位置の棚に置かれている箱を眺めていた。
「ナオちゃんは、今日も何も買わないの?」
「うん」
私がそういうと、口を味噌だらけにしたサトル君がこっちを見ていた。
サトル君はもう味噌おでんを食べ終わっていた。
「ナオちゃん、これ」
と、カズト君が半分にしたチョコレートを私に差し出した。
いつも要らないと言うのにカズト君は自分が買ったおやつを私に半分よこす。
「ありがとう」
私がそういうとカズト君はにっこりと笑った。
 
「ナオ、明日のパンがなかったみたい。買って来てくれる?」
夕暮れ近い時間に、いきなり母が私におつかいを言ってきた。
「う、うん・・・・」
本当はこんな時間におつかいには行きたくなかった。
 
夕暮れは人通りも減って物寂しさを感じさせた。
遣いに出されたパン屋ももうすぐ閉まる時間だ。
急がなくちゃ、と思いながらパンを買って帰ろうとしたその時。
低い唸り声をあげながら3匹の野良犬が帰り道をふさいだ。
「くるなー!」
思いっきり声を上げる。
が、しかし犬たちはひるみもしない。
『ど、どうすればいい?そうだ!パンをあげて食べている間に逃げればいいかも』
そう思ってパンをちぎろうとしたその時。
「そんなことしたらダメだ!こっちに来い!」
私の手を掴んで引き寄せてくれたのは
「サトル君!」
「こいつら、頭良いんだよ。一度でもパンあげたら、ずっと寄って来られるんだ」
サトル君は私をひっぱって逃げた。
「早く逃げろ!」
「うん・・・」
私の手をつないで、サトル君が走る。
犬は私達を追ってきたが、サトル君が犬に向かって大声を出すと逃げて行った。
「ありがとう」
私がそういうと、サトル君はぷいと顔をそむけた。
夕日に照らされた顔が赤かった。
 
空の青さが増してきて、ぽかぽかとした日差しが心地よいと感じる季節がやって来た。
私とサトル君とカズト君は幼稚園の年長さんとなり少しだけ大人になった。
丸太がいくつも積まれている材木置き場。
木の香りが体を包み込む。
その丸太の山を登って行く。
「ナオちゃん、木のトゲ刺さってない?」
私の左上のほうを登っていたカズト君が、こちらを振り返りながら声をかけてきた。
「トゲなんか刺さるもんだろ!」
サトル君は早々と一番上まで登っていて、私達を見下ろしている。
「大丈夫」
積み上げられた丸太のてっぺんまで昇ると、ずっと遠くに立っている建物まで見えた。
材木置き場から真っ直ぐ先に見える鉄工所はカズト君のお父さんがやっている会社だ。
カズト君の家は大きくて2階建てだったから、道路を挟んで向かい側のサトル君の家と隣のパン屋は見えなかった。
私の家は左手側の少し離れた場所に屋根だけが見えた。
 
材木置き場のすぐ裏を線路が1本通っていた。
毎日、朝1回、夜1回石炭を積んだ汽車、石炭車が通る。
 
かなり遠くでかすかに汽笛の音がした。
「あ、汽車が来る」
いつも一番最初に気が付くのは私だった。
遠くから黒い煙を吐きながら、石炭車がこちらへと向かってくる。
慌てて丸太から飛び降りて線路から離れた。
私はあの黒くて大きい、そして真っ黒な煙を吐く汽車が怖かった。
サトル君もカズト君も二人とも汽車が大好きで、石炭車が来ると目を輝かせて遠くに見えなくなるまで見つめていた。
やっと、石炭車が去った頃二人が丸太から降りて来た。
「あの汽車ってどこに行くのかな?」
カズト君は石炭車が向かった方向を見つめながらつぶやいた。
「オレ知ってる。機関区ってとこに行くんだ。オレ、前にとうちゃんに連れて行ってもらったコトあんだ。いっぱい汽車が停まっているところなんだぜ」
腰に手をあてながら、サトル君はちょっと偉そうだった。
「汽車がいっぱいあるってすごいね!僕も行ってみたいな」
「そだ!明日行ってみようぜ。とうちゃんと行った時も歩いて行ったから、そんなに遠くないハズだし」
サトル君とカズト君は二人だけで盛り上がっていた。
私は汽車なんか見たいとも思わなかった。
「道、分かるの?」
「線路を通って行けばいいと思う」
カズト君は行く気満々だった。
「じゃ、明日行くぞ!」
サトル君はこぶしを振り上げて宣言した。
「おぅ!」
それに引き続いて、カズト君もこぶしをあげた。
「ナオも行くよな?」
サトル君は少し怖い目をして私を見つめた。
「う、うん・・・」
そうして、明日機関区に行く事に決まってしまった。
 
「じゃ、明日な」
「またね」
十字路でサトル君とカズト君と別れて家路に向かう。
道路の中央には、数日前の馬糞がほとんど藁だけの状態で残っていた。
周りには誰もいない。
靴先で、ちょこっとその藁をつついた。
「・・・・・」
少しだけ強くなった気がした。
 
次の日、幼稚園から帰ってきて直ぐに、母に見つからないようにリュックを出して持って行く物を詰めた。
ハンカチ、ちりかみ、ばんそうこう、水筒、お財布。
お財布には今まで貯めていた10円玉を3枚入れた。
母は私が皆と一緒に一銭店屋でおやつを食べるように、と毎日10円をおこづかいとしてくれていた。
だけど、私はそれでおやつを買わずに貯めていたのだ。
リュックを背負って大急ぎで家を出て一銭店屋に向かった。
一銭店屋でチョコレートを3個買った。
一銭店屋のお菓子とは別の、少し高い位置の棚に置かれているプラモデルの箱をそっと見つめた。
 
大急ぎで一銭店屋の向かいの線路を伝って、材木置き場へと向かう。
材木置き場にはサトル君とカズト君が待っていた。
「ナオ遅い」
「おやつ買ってた」
「オレ、せんべいの耳持ってきた」
手に持った紙袋を持ち上げて、サトル君はそう言った。
サトル君の家は南部せんべい屋だった。
時々、サトル君はせんべいの耳を持ってきて、皆に分けてくれていた。
「よっしゃー!行こうぜ」
サトル君が号令をかけた。
「おー!」
「うん」
 
サトル君とカズト君はレールの上を歩いていた。
私は枕木を踏むように少し飛びながら歩いていた。
しばらく歩いていると、その先に行った事のない少し大きな道と線路が交わっていた。
「二人ともあっちに行った事あるの?」
「そんなのあるに決まってるだろ」
「僕も線路を通って向こう側に行くのは初めてだよ」
大きい道路を渡ると、線路の両側には少し大きい建物が立っていて先が見えなかった。
かすかに、嗅いだことのある匂いがする。
なんだか、その先に行かない方がいいような気がした。
それでも、サトル君とカズト君は歩き続けている。
仕方ないので、私も後に付いていく。
 
やっと建物の影から抜け出し広い場所に出た。
いきなりサトル君が立ち停まった。
「お線香の匂い」
と、私が言うとサトル君とカズト君は私のほうを振り返った。
そこは墓場だった。
墓場の奥の方から草を踏む音がした。
サトル君は体をビクッとさせ
「お、おばけだ!逃げろー!」
大声を出して走り出した。
つられて私もカズト君も走り出した。
 
お墓が見えなくなるまで走り続けた。
と、足を滑らせたのかサトル君が転んで線路に左手をついた。
持ってた紙袋からせんべいの耳が飛び出した。
「サトル、大丈夫?」
カズト君がサトル君の顔をのぞき込んだ。
サトル君はパッと立ち上がり平気そうな顔をした。
擦りむいたのか、左手のひらに薄っすらと血がにじんでいる。
「血出てる」
私がサトル君の左手を掴もうとすると、サトル君はその手を振り払った。
「こんなのつば付けときゃ治るさ」
サトル君は紙袋を拾い上げ中身を見た。
「良かった!そんなにこぼれてなかった。おし、おやつにしようぜ」
サトル君はレールに座りせんべいの耳を食べ始めた。
カズト君も隣に座って、せんべいの耳をもらっていた。
私は、リュックを下ろしてばんそうこうを取り出してサトル君に差し出した。
「ばんそうこあるよ」
「いらない」
そっぽを向いてサトル君はガリガリとせんべいの耳をかじっている。
そんなサトル君を私はじっと見つめていた。
ふと、サトル君がこっちを向いた。
「やっぱ、ちょっと痛い」
そう言いながらサトル君が左手を差し出した。
「ナオちゃん、ばんそうこう貼れて良かったね」
カズト君が私を見てにっこり笑った。
 
「そうだ、チョコ」
リュックからチョコレートを取り出して二人に渡した。
「ナオちゃん、これもらっていいの?」
「おやつ分けてもらたから」
「オレももらっていいのか?」
「犬から助けてくれたから」
サトル君はあっという間に食べ終わった。
カズト君も食べ終わり、私は半分食べて残りを更に半分にして、サトル君とカズト君にあげた。
「これもあげる」
「おぅ、ありがとな」
「ナオちゃん、ありがとう」
 
しばらく歩いていくと線路は国道を横切ってその先へと続いていた。
「多分あの先が機関区だ!」
サトル君が駆けだしそうになったが
「サトル、国道渡るのに線路通っていくのはダメだと思う」
カズト君がサトル君を掴んでとめた。
「あっちに、歩道橋があるよ」
私は少し離れた所にある歩道橋を指さした。
3人は歩道橋を上った。
歩道橋からたくさんの線路と汽車が見えた。
左手側から汽笛を鳴らし真っ黒な煙を吐きながら汽車が走って来るのが見えた。
「あ、あれ!!」
サトル君とカズト君は歩道橋から見える景色にすっかりと心を奪われているようだった。
「あれ!あそこ走ってるのD51だね!」
「あっちに停まってるのはD52だ!」
「え、どこどこ?」
二人は私には分からない事で大はしゃぎしている。
 
私は二人とは少し離れた場所でリュックから水筒を出してお水を飲みながら町並みを眺めていた。
 
あそこにあるのは、いつも行くお風呂屋さん。
その隣の氷屋さん。
いつも幼稚園バスに乗る場所の薬屋さん。
お風呂屋さんの向かいのお菓子工場から、甘い匂いが漂ってきた。
ラッパを鳴らしながら豆腐屋さんがリヤカーを引いていた。
通りを歩いている人がちっぽけに見えておかしかった。
路面電車が走っているのが遠くに見えた。
更に遠く正面に見える山は遠足で登った函館山。
 
「ナオ、行くぞ!」
サトル君とカズト君は歩道橋を降り始めた。
私も慌ててついていく。
 
「君たち、どこへ行くんだい?」
歩道橋を降りた所におまわりさんが立って居た。
「さっき、お寺の住職さんから『線路の上を歩いている子供がいる』と通報があったんだ」
おまわりさんは制服は着てるけれど、近所の高校生のお兄さんみたいな感じであまり怖くない感じがした。
 
「オレたち、機関区に行くんだ」
胸を張ってサトル君は得意げに答えた。
「線路を通れば行けるかと思いました」
おまわりさんを真っ直ぐ見つめてカズト君も答えた。
「機関区は関係のない人は入っちゃいけない場所だし、まだずっと遠くなんだよ」
おまわりさんは、少しかがんで私達を見つめながらそう言った。
「でもオレ、とうちゃんと行った事ある」
サトル君は少ししょぼくれているようだった。
「年に何回か見学会をやっているからね。その時行ったんじゃないかな」
 
その後おまわりさんに連れられて、それぞれの家に送り届けられた。
 
「まったく!お前が皆をそそのかしたんだろ?ごめんね、カズト君、ナオちゃん」
サトル君はおばあちゃんに思いっきりげんこつで頭を叩かれていた。
「いってぇ。ごめんな、カズト、ナオ」
涙目でサトル君は私とカズト君に謝った。
 
「あんたといるとカズトさんは碌な事しない。もう二度とカズトさんと遊ばないで」
カズト君の家のお手伝いさんが私にそう言った。
お手伝いさんは何故か私の事を嫌っていた。
「僕がナオちゃんを誘ったんだ。だから悪いのは僕なんだ。ナオちゃんは悪くない!ごめんね、ナオちゃん」
「ううん」
 
最後に私一人だけになった。
私は帰り道、ずっと考えていることがあった。
どうしても、今言わなくちゃ。
 
「おまわりさん、私の家に来ないでください」
私は立ち止まっておまわりさんを見上げて、はっきりと言った。
「ん?どうしたのかな?お母さんに怒られる?」
おまわりさんは、私のほうを向いてしゃがんで私に顔を近づけた。
「お母さんに怒られてお父さんにも怒られます。たぶんカズト君のところのお手伝いさんが告げ口に来るから、そしたらその時も怒られます」
「そうか、3回も怒られるのは辛いね。なら、家の前まで送るから、それでいいかな?」
「はい」
 
おまわりさんが見守る中、私はリュックを外の物置に置いた。
そのまま持って帰ると母にどこに行ったか聞かれるからだ。
玄関を開けると、母が台所に立って晩御飯の支度をしているところだった。
「今日はずいぶん遅くまで遊んできたのね」
母には気づかれずに済んだようだった。
 
夜、布団に入ってうとうとしながら、今日の事を思い出してみた。
家を出る時、母に見つからないかとドキドキした。
知らない場所へ行くのが怖かった。
 
お墓でおばけを怖がっていたサトル君がおかしかった。
歩道橋から見えた建物や人が小さくて、おもちゃみたいだった。
 
あそこから見たら、私もサトル君もカズト君も皆ちっぽけなのかな?
 
カズト君がお手伝いさんから私を庇ってくれた事が嬉しかった。
おまわりさんに言いたい事がきちんと言えた。
お母さんに怒られなかった。
 
どうかカズト君の家のお手伝いさんが告げ口に来ませんように。






 

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