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JKビジネスを無政府資本主義やリバタリアニズムの観点からまなざすと、どうやらそんなに悪いことでもないのかもしれない

http://www.stop-jk-business.tokyo/
上のサイトを見て頂きたい。なまはげがマシに見える 自画撮りが「一度送ったら取り戻せなくなる」なんて、理由としてもお粗末すぎると考えます。 成人でも、ケツ毛バーガーや野獣先輩の件があるのに、未成年だけ特別扱いはおかしいのでは?(野獣先輩は某野球選手のゲイビデオ出演が発端だが) こちらは故意ではないが、Winnyのキンタマウイルスなんかで流出した事例もあるのに? 私は、自画撮りそのものの規制を「自分で卑猥な姿を撮影しているから」事件に遭うと言った一種のふしだら侮蔑と考えるし、最近の風潮として「児童擁護」の名の元の虐待、過干渉がなされていると感じる。 https://www.buzzfeed.com/jp/kensukeseya/what-is-jigadori?utm_term=.tuvn2k3qB#.livMzNpOa そもそもこう言った自撮り被害は、大半が「裸の写真を脅されて送られた」というものであって、これを児童ポルノ云々で論じるのは筋が通らないし(そもそも現行の児ポ法は何方かと言えば児童擁護と言うより風紀法の意味合いが強いのだが)、(リバタリアニズム的に言えば)写真を送る事を強いる事での自己決定権の侵害や強要の問題だろう。 本題に戻ると、無政府資本主義やリバタリアニズムではJKビジネスは容認される場合もあるのではと思う。 只、森村進の『自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門』には、
リバタリアニズムは人々を、自由で権利を持ち責任を負う個人として尊重しようとするが、子供に関してはこの原則を徹底できない。そこにおける子供の地位は、見習い中の人格とでも言えよう。 森村進『自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門』、講談社、2001年。 ISBN4-06-149542-9、149頁。
こう書かれており、ラディカルなリバタリアンやJKビジネスを資本活動と捉える無政府資本主義者ならまだしも(そうでなくとも)、JKは大人として見なせるのでは、と考える事も出来るのかもしれない。 國には、リバタリアニズムの観点も取り入れてもらいたいと個人的に思うが、現時点で日本のリバタリアニズムは理論だけで実践がないのだ。クライフセンセは「まず初めに実践」と言ってたけど その為、リベラルパターナリズムの暴走が止められないと感じる。

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