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取材を受けてもらえるのは会社の看板のおかげである

ふと思ったのだが、大手メディアの記者は、基本的に断られる経験をあまりしていない。
取材を申し込めば「ぜひ」と相手も乗り気であることも多い。いうまでもないが、それは当然取材先もパブリシティという形で利用できると考えるからである。都合が悪いものではない限り、基本的にウェルカムな状態で受け入れてくれる。そうでなくともとりあえず相手にしてもらえることは多い。

断られたり無下にされる経験を知らないと、人は往々にして生意気な態度をとる。場合によってはいたく横柄になったりしてしまう。
記者によっては取材を断られただけでブーブー文句を言っていることもある。ひとりの記者として気持ちはわからんでもないが、少なくとも当該記者の取材に応じる義理もメリットもないので応じていないだけの話である。親密な人間関係ができている場合は別として、ほとんどの場合は企業同士の利害関係の問題にすぎない。

零細メディアにいたのでよくわかるのだが、しょうもないメディアを相手にした時には企業の取材対応は極めてシブい。メディアとして信頼されておらずいかがわしいと思われているので、好き勝手書かれることにリスクしかないからだ。
基本的に断られることが多いし、そもそも過去いろいろ問題が発生して取材そのものを受けていないケースもある。私自身、電話で取材したときにだんまりを食らったこともあってさすがに堪えたものだ。
そういう経験があると、同じ会社に連絡をとっても大手メディアと零細メディアだと対応は雲泥の差であることが実感をもって知ることができる。

私を含め、大半のサラリーマン記者は、大企業に付き合ってもらえるほど価値のある人間ではない。会社の名前があるから相手にしてもらっているだけである。自分の力でネタを抜いたとか深い取材ができていると思うのは、恥ずかしいほどの勘違いなのである。

そして、そんな勘違いをした記者は時にメディアの価値を押し下げることがある。
メディアを通じてなされるべきリテラシーの向上には寄与せず、活動家のような記者による有象無象のしょうもない言説が世界にはびこることになる。

記者として「所詮は1個の人間に過ぎない」という廉直さを持ち合わせたうえで時にあえて取材攻勢をかけるくらいではないとそのうちに横柄な勘違い記者が生まれ、そしてマスメディア業界にもそう明るい未来も来ないのではないか、という気がしている。

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