2022年の日記集:意義があってもなくても

【6月21日】

最近、毎週のように友人を自宅に招いている。
18~19時くらいに来て、遅い時は日をまたぐまで話す。

といっても、近況報告をしあった後は お酒や料理を楽しみながら他愛のない話をしていることも多い。

...

「しまったなあ」

友人が帰ってから、思うことがある。
もう少し、実のある話、有意義な話をできたのではないか。
言うべきこと、聞くべきことがあったのではないか。

いや、また何かに囚われている気がする。
「良い時間」ってなんなのだろう。
「深い話」ってなんなのだろう。

他愛のない話ってダメなんだっけ。

友人が来て楽しくなって、その時間に夢中になっていたからこそ真面目な話以外が増えているのだろう。
それはそれで、良い時間なんじゃないか。

インタビューに呼んでいるわけでもないし、相談のために来てもらったわけでもない。

なのに、すべての時間を「有効活用」しないと考えてしまう。
これは自分の悪癖だ。

...

時間をかけていいし、また来てもらったらいい。
意図的に「良い時間」のタイミングを作らなくても、来るものは来る。

時間をかけるということ、焦らないこと。 きっと、あの他愛のない時間も必要なのだ。

すべてが効率化され、楽しい時間までパフォーマンスを管理するようになってしまう…それはちょっと、怖いね。

"無駄"な時間をたくさん作るために、日々の無駄をなくすのだ。

※この記事は、過去にメンバーシップ内の掲示板に投稿していたものを再編集したものです。

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